第7話 曲がった爪 001

 


 時刻は夜の零時。


 こんな時間に、今日知り合ったばかりの女の子と二人きりというのは不健全極まりないが、しかし目的のためならやむを得ない。



「……大丈夫か、立花。結構冷えてきたけど」



「あ、うん、大丈夫。ありがとう」



 俺と立花はファミレスやカラオケで時間を潰し(俺は歌ってない。歌うのは嫌いだ)、かれこれ二時間程門倉かどくら市の繁華街をうろついている。


 もちろん、例のカワード――『曲がった爪ネイリスト』をおびき出すためだ。


 橙理とうりによれば、立花は今日、奴に命を狙われる……当然、そのことは伏せているけれど。



「そろそろ終電だし、とりあえず駅に向かうか。お前も帰らないとまずいだろ」



 聞けば彼女は一人暮らしらしいので門限はないだろうが、遅くまで連れまわすわけにもいかない。



「大丈夫。ここからなら最悪歩いても帰れるし……それに、何でかわからないけど、今日会える気がするの」



「それはまた……オカルトだな」



 その勘を、しかし馬鹿にはできない。


 十中八九、彼女は昼の時点で


 右腕の反応からして、それは間違いない。


 だからこそ、橙理の言う通り、彼女は今日襲われる可能性が高いのだ。獲物を見つけた肉食獣が、いつまでも爪を研ぐだけとは思えない。



凛土りんどくんこそ、その、いいの? 妹さん、心配しない?」



 俺が先月の事件の被害者遺族だと知ってから、立花はどこかぎこちない。自分が興味本位で追っているカワードという存在から現実的な被害を受けた人間を見て、その生々しさを実感したのかもしれない。



「お気遣いどうも。でもあいつには、前もって遅くなるって言ってあるから平気」



 いくら事前に用事があると告げていたとはいえ、その内容までは教えていないので、ばれたら普通に怒られる気がするが。



「そう……。そしたら、もう少し粘ってみましょう」



 言って、彼女は歩みを再開する。例のビルを中心に、ぐるぐると同じ道を行ったり来たり。



「……」



「……」



 出会って一日目の人物とこんなに長く一緒に居たことがないので、いよいよ会話はなくなり始めていた。相手は俺に気を遣っているので、なおさらである。


 ……そもそも、カワードをおびき出せたとして、その後のことを考えていなかった。立花は見るだけで満足といった口ぶりだが、俺には俺でやることがある。まさか、彼女の目の前でやるわけにもいかないし。



「……」



 暇潰しに携帯を見るが、橙理から連絡はない。あればあるだけ鬱陶しいが、なきゃないで不安になるのだから、すでに立派な奴隷なのかもしれなかった。



「……凛土くん、もう一回ビル、入ってみる?」



 立花は振り返ってそう提案する。繁華街に戻ってきてから一度だけビルの探索をしたが、『曲がった爪』の痕跡は見つからなかった。だからこうして街を練り歩いているのだが……再度ビルを確かめるのもいいだろう。


 正直、もうそのくらいしかやれることはない。


 繁華街とは言え、周囲の人影もなくなってくる頃合いだ。完全に人気がなくなる前に、本丸を訪れるのはありかもしれない。

 奴も人目があればそうそう襲い掛かれるもんじゃないだろう。まあそれを言うなら、俺が立花の真横にぴたりくってついているから、襲いに来ないだけなのかもしれないが。



「そうだな。よし、行こうか」



 俺は提案を飲み、先導して雑居ビルへと向かう。


 これで何もなければ、今日は解散ということにして、立花には一人で帰路についてもらおう。その後をつけて、もし『曲がった爪』が現れれば御の字だ。


 彼女には申し訳ないが、しかし俺にも猶予がない。

 橙理から、すでに最後通告を受けている――何とか今日中に片をつけなけないと。


 俺は、凛音りんねの待つ我が家に帰れない。



「……」



 期限が差し迫ると、人間というのはどうして注意力が散漫になる生き物だ。差し迫った状況にのみに意識を裂いてしまい、結果、大局を見られなくなってしまう。


 今の俺が、まさにそうだった。


 何かきっかけをつかむため、急いでビルに向かうあまり、近道をしてしまった。


 先程までは避けていた、人気のない路地裏。


 日付も変わり、無意識に焦ってしまっていたのだろう――用心を怠った。



「……!」



 気づいた時には、遅かった。


 路地を半分ほど進み、後方に気配を感じて振り返った時。


 攻撃は、すでに始まっていた。



「ああっ‼」



 立花の右胸部を、何かが貫く。暗がりで良く見えないが、鋭利な刃物のようなものが彼女の柔肌を貫通し、前にいる俺をも襲わんとやってくる。



「くっ!」



 その場にしゃがみ込むことで、すんでのところでその刃物を躱す。


 攻撃を避けられたのを察し、襲撃者はその刃物を驚異的な速度で



「……」



 引き抜かれた衝撃で、立花はその場に倒れこむ。流れ出る鮮血は、緊急の処置が必要なことを示していた。


 俺は刃物が伸びてきた方を見据え、一つの人影を捉える。



「……お前が、『曲がった爪』か」



 暗くて顔はよく見えないが、確かに若い女性で、立花と同じく長い黒髪を有していた。



「……そうよ。あなたはその子の彼氏さんかしら? だとしたらごめんなさいね」



 女は静かに笑う。


 見れば、彼女の右手の先から、ぽたぽたと液体が垂れていた。

 それは明らかに、人間の血液。


 『曲がった爪』……どうやら、自身の爪を自在に伸縮させる能力らしい。一見地味だが、音も気配もなく対象を殺すことを考えれば、凶器のいらないスマートな能力だ。



「……別に、今日知り合ったばかりなんだけどな。だから情とかそういうのは全くないし、こいつのために報復しようとかも全く思ってない」



「そうなの。ドライなのね」



 女は笑う。今度は声を立てて。


 カワード特有の、異能を手に入れたことによる全能感。

 力を試したくて仕方がない衝動。


 恐らく、彼女は今年カワードになったばかりなのだろう。



「えっと、じゃあ俺のことは見逃してくれる感じ?」



 足元に倒れた立花を見る。出血の量から見て、すぐにでも病院に連れて行かなければ、彼女は絶命するだろう。



「うーん、どうしようかしら。今日はその子にするって決めてたから、本当は見逃してあげたいんだけど……でも、あなたが蠅みたいにぴったりくっついて歩くから、こんな時間までお預けを食らっちゃったのよね」



 『曲がった爪』は自分の右手を見る。そのご自慢の爪は鋭く光り、いつでも俺を貫く用意はできているらしい。



「私、我慢ができないタイプなのよ。あんまり高スパンで人を殺しすぎると四脳会に目を付けられるからよくないってアドバイスしてもらったのに、それも破っちゃうし」



 アドバイス……普段ならその言葉が出てきた背景について考えを巡らせるが、今はそれどころではない。



「あなたむかつくし、我慢できないから殺すわ」



 彼女の中で結論が出たようだ。

 その右手の爪が、俺に向かって容赦なく伸びてくる。




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