『描いた色は』
(主人公、舞台上であおむけに寝ている)
主:「まぶしい…」(起きる)
「どこを見ても真っ白。ここは、どこ?なんで私、こんなところにいるんだろう。…わたし、私?私は、誰?…なんでだろう、何も思い出せない!」
?:(舞台、右手側から出てくる)
「あら?」(主人公に近づいて)
「やっと、目覚めたみたいね」(後ろから、主人公に耳元に近づいて。)
主:「だっ、誰?」
コ:「そんなに避けなくたっていいじゃない」
主:「いや、だって、わたし、あなたのこと知らないですし。…びっくりするじゃないですか、突然、知らない人が隣に来たら」
コ:「そっか〜。」
主:「そうだと思いますけど…。えっと、ところで、あなたは誰ですか?」
コ:「私はコハル」
主:「コハル、さん…」
コ:「コハル、でいいよ。私たち同い年くらいだと思うし」
主:「そ、そう。…じゃあ、コハル。あなたは、ここが、どこなのか知っていますか?」
コ:「敬語もなし!ほら、私のことは友達だと思って!対等に話そうよ~」
主:「…今知り合ったばかりの人に、そんなに心を許して話すなんて、できないと思いますけど。…ここにいるってことは、あなたが私を、こんな変な場所に連れてきた張本人かもしれないですよね?」
コ:「それなら、私もここがどこなのかあなたに教えてあげないもんね!」
主:「うっ……じゃあ、コハル、ここはどこ?あなたは何者なの?」
コ:「前者の問いに対して、実はあたしもここがどこなのかよく知らないんだよね」
主:「えっ、それならさっきの交換条件は…」
コ:「まあまあ、固いこと言わずに、最後まで聞いてくれない?」
主:「…わかった」
コ:「知らないことには知らないけど、ここは、当たり前にある世界とは違う場所で、だけど、なんだか安心できる、安全な世界であることはわかっているわ。ただ、今の私たちみたいに誰かと出会える機会なんて、今までそうそうなかったけどね」
主:「そう、なんだ」
コ:「あと、後者の問い、あたしが何者なのかについては、答える気はありません!」
主:「えっ、なんで?」
コ:「まだ、答えられない。だけど、あなたがここにいるのは、あたしのせいではないの。どうかそれは信じてほしい」
主:「…その、証拠はないの?」
コ:「ない。だから、その分あたしはあなたを助けてあげるつもりでいるわ」
主:「…うーん。」
コ:「さっきも言ったけど、今みたいに、誰かと出会えることはあんまりないのよ。ほら、あたしなら、この世界の道案内とかもできるし。一人より、誰かといたほうがずっと心強いと思うわ。それに、あなたも、しゃべり相手がいないとつまらないでしょ?」
主:「まあ、たしかに…。」
コ:「はあ、そろそろ、あたしにばっかに話させてないで、あなたのこともおしえてよ。あなたこそ誰なの?」
主:「私は………誰なんだろう?」
コ:「ええ?あなた自分のこともわかんないの?」
主:「なんだか、全く思い出せなくて…自分が、誰なのか、どこから来たのか、今まで何をしていたのか…。」
コ:「大変じゃない!」
主:「…あのさ、私がなんでここで寝ていたかわかる?」
コ:「いいえ…少なくとも、あたしが来た時にはここに倒れていて、助けなきゃと思って駆け付けてみれば、ただ眠っているだけだってわかった感じだったから」
主:「そっか…」
コ:「…まあでも、分からないなら探すだけね」
主:「えっ、探すって、何を?」
コ:「決まってるでしょ?あなたの過去よ?」
主:「私の過去を?」
コ:「そう。あなたの過去さえわかれば、あなたが誰であって、どこから来ていて、今まで何をしていたのか、そういうことがわかるじゃない?」
主:「でも、そんなことどうやって…」
コ:「ふふん。実はあたし、心理鑑定の知識を結構持ってるんだよね。だから、あたしがあなたを手伝うことで、あなたの失った記憶を取り戻すことができると思うわ」
主:「なるほど。…だけど、少し怖いな」
コ:「私の鑑定の技術を疑っているなら安心して。これでも、人の心を読むのは得意…」
主:「それは、もちろん心配なんだけど、そうじゃなくて」
コ:「やっぱり、心配なんだ…。うん、それで?」
主:「自分の記憶を取り戻すことが怖いなって思って」
コ:「どうして?」
主:「…今、私が記憶喪失になっているのは、過去の私に、それなりに大きなつらい出来事とかがあったからかもしれない。そう思ったら、進んで過去を取り戻そうと思えなくなっちゃって」
コ:「たしかに、あなたの過去は、訳ありでしょうね。記憶がないだけじゃなくて、自分のことがわからないんだもの」
主:「…。」
コ:「だけど、悪いことばかりじゃないはずよ。楽しかったり、嬉しかったり、あなたにとって大切な思い出がたくさんある。わからないままだったら、きっとどこかで後悔してしまうわ。さあ、わたしも一緒に手伝うから。2人で過去探しを始めましょう?」
主:「そうだね、ありがとう。やってみる。」
コ:「そうと決まれば…、まずは、あなたの状況確認から始めようと思うわ。さあ、そこへ座って!…本当に何も覚えてないのよね?」
主:「うん。さっきから、そう言ってるよ。」
コ:「なら、どうして、私によって、ここに連れてこられたなんておもったの?」
主:「だって、見覚えのないところで目覚めたと思ったら、あなたが近くにいたから」
コ:「見覚えがないと思うってことは、この世界はあなたのいた世界じゃないってことなんじゃない?」
主:「それは、わからない」
コ:「どうして?」
主:「初めはここじゃないどこかにいたって感じてたけど、ここはとても居心地がよくて、元からここにいたような気もしているから…」
コ:「そう。」
主:「コハルは、昔からここにいるの?」
コ:「…そうね。あなたに合うよりも、ずっと前からここにいたわ」
主:「答えてくれるんだね。」
コ:「まあ、いつかあなたにあたしのことを話す時は来ると思うし」
主:「今じゃだめなの?」
コ:「今はまだ、はやいと思うわ」
主:「…コハルはさ、出会った時から、私に親切にしてくれてるよね?本当に知らない人なの?」
コ:「たとえ、知っている人だったとしても、あなたはあたしを見てても、なにも思い出せないんでしょう?」
主:「そうだけどさ…」
コ:「そんなことより、過去探しでしょ?あなた、制服を着てるみたいだけど、その制服に見覚えはないの?」
主:「ほんとだ、制服を着てる。驚くことばっか起こってるから、気がつかなかった」
コ:「17,8歳くらいに見えるし、学校とかに通ってたんじゃないかしら?」
主:「学校。……確かに、私、学校に行ってた気がする」
コ:「思い出してきたみたいね。その学校はどんな場所だった?」
主:「…高校だった。あんまり楽しいとは思えていなかったような…。今、具体的にどんなところだったか思い出そうとしてるんだけど、頭がもやがかかったみたいになってて……んー、頭痛い」
コ:「一度、休憩しましょうか」
主:「うん」
コ:「(リュックからペットボトルを出して)お水のむ?」
主:「いや、大丈夫。ありがとう」(コハル:リュックにしまう)
主:「頭が痛くなるってことは、私にとってよくない思い出が待ち受けてるってことなのかな…」
コ:「そうかもしれないけど、きっといい思い出もあるわよ」
主:「そうかな…」
コ:「そうだ!息抜きに、一緒に遊ぶのはどう?」
主:「あ、遊ぶ?いきなり、どういうこと?」
コ:「心理鑑定士の立場からいわせてもらうと、あなたは今、分からないことばかりで、すごく緊張しているんだと思うわ」
主:「そうだね、確かにかなり疲れてるかも」
コ:「そ、こ、で、(リュックから紙とクレヨンを1セット取り出し両手に持つ)心を癒してあげるために、絵を描いてみるのがいいんじゃないかと思うの!」
主:「どうして、絵になるの?」
コ:「知ってる?絵を書くのって、心を落ち着かせる効果があるらしいの。あなたも、少しリラックスしたら、思い出せることが増えるかもしれないわよ」
主:「そうなんだ。でも、私、絵なんて描けるかな?」
コ:「うまく描こうとする必要はないわ。ただ、あなたの気持ちに沿って思うままに紙を埋めていくだけでいいの」
コ:「それが、難しそうだなって思うんだけどな」
コ:「とにかく、描いてみる!話はそれからよ」
主:「わかったよ。(紙をもって床に座る)うーん、何を書こうかな…」
コ:「たとえば、あなたの気持ちに合わせて色を選んだり、今、あなたの頭にあるぼんやりした記憶のことを描いたりするのもいいんじゃない?」
主:「なるほど。今、私が感じているイメージを描くのか…」
コ:「そうそう」(絵を描き始める)
「…あたし、昔も、すごく仲が良かった友達と一緒に、よくこんな風にお絵かきしてたんだよね~」
主:「へー、そうなんだ。」
コ:「同じ保育施設に通っててね。絵の授業の時とか、一人だけ遅くなっちゃっても、最後まであきらめずに描き切るような子だった。どんなときでも、一生懸命頑張ってたから、すごくかっこよかったわ。本人は気づいてないみたいだったけどね。ちなみにその子の名前は…」
主:「礼奈」
コ:「えっ?」
礼:「あっ、…私の名前」
コ:「思い出したの?」
礼:「…うん。…私も、絵を描くのが遅かったなって思い出して、そうしたら一気に記憶が流れ込んできて…」
コ:「どのくらい、思い出したの?」
礼:「…高校の時のことと、私の名前、かな」
コ:「良かったわね」
礼:「………うん」
コ:「あんまり嬉しそうじゃないのね」
礼:「………いい思い出じゃなかったから…」
コ:「そうなの?でも、大丈夫よ。あなたならきっと受け止められ…」
礼:「やめて!何にも知らないくせに、てきとうなこといわないでよ」
コ:「…どうしたの?礼奈」
礼:「どうして、そんなに他人に優しくしてくれてるの?わたしなんか…無事に第一志望の高校に入れだだけで、勉強に、部活に、生活にって、何をやっても中途半端。自分のことで精一杯だったのに!将来を見据えたことをしろっていわれたけど、そんなのわかんないし!頑張るしか脳がなくて、頑張ってもうまくできない私が、私は大っ嫌いだったんだ!!それで、自分なんて消えてしまいたいと思ったから記憶喪失になった!私なんて、こんな弱い人間なんだよ」
コ:「そんなことないよ、礼奈は頑張ってきたんでしょ?すごい人だよ」
礼:「頑張ってるからすごい?そんなの、結果がともなってなきゃなんの意味もない。どうせ、頑張ってる過程を、その人自身のことを、認めてるってわけじゃないんだよ」
コ:「認めてないのは、礼奈自身なんじゃない?」
礼:「えっ?」
コ:「自分に自信が持てなくて、自分に価値なんてないんだって、その考えを持ってるのはのは礼奈でしょう?自分には何もできないって決めつけて、かけてきた努力を、自分を認めてあげていないのはあなた自身よ!」
礼:「…それでも、ずっと苦しかったんだ。なりたい自分になれない私が……。ねえ、コハルはどうして、そんなに他人に優しく、明るくいられるの?どうして、そんなに前向きに物事を考えられるの?どうして、私はそうなれないの?…どうして、私に過去探しをしようなんて言ったのよ?どうして?…どうして?」
(コハル、礼奈に近づき背中をさする)
コ:「…そうね。あなたは、ずっと、苦しかったんでしょうね。誰にも話せない思いを、こんなにも抱えて。……だけど、礼奈は礼奈が思っているよりずっと強いわ。過去から目を逸らし続けずに、向き合おうとしてる、礼奈は本当にすごい人だよ。今まで、よく頑張ってきたね」(礼奈の背中をさすりながら言う)
礼:「………ごめん、ひどいこと言った」
コ:「いいのよ。落ち着いた?」
礼:「うん。ありがとう、なんかすっきりした」
コ:「そう、それならよかった」
礼:「不思議だな。あんなに誰にも言えない悩みだったのに、コハルにはこんなにもすぐ、話せちゃった」
コ:「あたしたちも、ついに真の友達になれたってことかしら」
礼:「そうかも」
コ:「そういえば、あなた、高校に行ってたって言ってたわよね?それは、この世界にある高校なの?」
礼:「…いや、違うと思う。たぶん、この世界じゃない」
コ:「なら、あなたはやっぱり、別の世界から来てたのね」
礼:「うん、そうみたい」
コ:「どうする、これから?」
礼:「どうするって?」
コ:「まだまだ、思い出せていないことも多いけど、ここの世界じゃないところからきたのなら、元の世界に帰ったほうがいいんじゃない?」
礼:「そうか…確かに」
コ:「元の世界の、家族や友人が心配してるかもしれないわよ」
礼:「うーん。私、どうするべきなんだろう」
コ:「あたしは、帰るべきだと思うわ」
礼:「うーん…」
牧:「1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13...ついにこの日が来た。今日こそ、やっと変わるでしょう」
コ:「あら?」
礼:「えっ?」
牧:(礼奈たちに駆け寄る)「これは、珍しい。この世界で誰かに出会えるなんて」
礼:「…あなたは、誰ですか?」
牧:「失礼しました。私は、牧師をしている者です」
礼:「牧師……この世界に職業とかあったんですか?」
牧:「あったというわけではなく…あると思ったから、ここに存在していると言った方が正しいですね」
礼:「どういうことですか?」
牧:「まあ、牧師という職業はあるということですよ」
礼:「そう、ですか」
コ:「そうだ!牧師さんなら、いま私たちが抱えている問題に、何かいい助言をくださるんじゃないかしら。」
礼:「えっ……でも、今知り合ったばっかだし、いきなりそんな話をするのは…」
コ:「こんなところに三人も人が集まるなんて、きっと何かの意味があるわ。物は試しっていうでしょ?こういう時は行動あるのみ!」
礼:「わ、わかったよ。…あの、出会ったばかりで失礼だとはわかってるんですけど、ぜひ、力を貸してもらいたいことがありまして…」
牧:「どうしたんですか?」
礼:「私、礼奈っていうんですけど、実はさっきまで、記憶喪失なってて、記憶をなくしてたんです。だけど、これまたついさっきに、思い出したんです」
牧:「それはよかったですね。それで?」
礼:「そうしたら、元々、この世界とは別の世界にいたことがわかって。牧師さんにお話を聞いていただいて、私がこれからどうするべきなのか、何かいい助言を頂けたらと思って」
牧:「そんなことなら、もちろんお手伝いしますよ」
礼:「いいんですか?」
牧:「せっかく出会えた人からの頼みを、迷惑だなんて思って断わりませんよ」
礼:「ありがとうございます」
牧:「立ち話もなんだし、座りますか?」
礼:「そうですね」
コ:「分かりました。」
礼:「……えっと、さっそく本題に入ろうと思うんですけど、」
コ:「ちょっと待って、一つだけ質問してもいいかしら。牧師ははどこから、いらっしゃったの」
牧:「ここから、とても遠くて、一番近い場所、といえばご納得いただけるでしょうか?」
コ:「やっぱり、そうなんですね」
礼:「どういうこと、コハル?」
コ:「…私とは、まったく逆の方向からいらっしゃたみたいにみえたから……今、ここにこの三人が集まっているのは、ほんとうに奇跡なんだなって思っただけだよ」
礼:「たしかに。でも、そんなこと、言おうとしてる口調じゃなかっ…」
コ:「いいの、いいの。とにかく今は、お悩み相談でしょ?。悩みがあるんじゃなかったの?礼奈さん」
礼:「そうだった」
コ:「牧師さんも待ってるじゃない。ほら、速く話して」
礼:「はあ、えっと、さっきも言ったみたいに、私、記憶のない状態で気づいたらここにいて、そんな時に、コハルが助けてくれたんです。過去探しをしようって」
コ:「そうだね」
牧:「ほうほう」
礼:「そのおかげで、過去を取り戻すことができて、結構つらい過去だったんですけど、コハルに励ましてもらって、気持ちを整理することもできて、」
牧:「…」(うなずく)
礼:「だけど、今度は元の世界に戻るかどうかで、今、とても迷ってるんです」
牧:「どうして迷っているんですか?」
礼:「なんだか、漠然とした不安を感じるというか」
牧:「ほう」
礼:「元の世界に戻るのはいいとは言い切れない気がして、今、十分楽しいし、この世界で生きていくのもいいのかなと思ってて」
牧:「なるほど」
礼:「牧師さん、私はどうするべきだと思いますか?」
牧:「その質問にお答えする前に、通りすがりの牧師の立場として私からも一つ聞いてみてもいいですか?君たちは神の存在を信じていますか?」
礼:「えっ…」
コ:「…あたしは、信じてるわ。神様は、いつもあたしたちのことを見ていてくれて、守ってくれているんだとうわ」
牧:「ほんとうにそう思いますか?」
コ:「はい?」
牧:「私たちが苦しい時や、悲しい時、実際に神は助てくれましたか?その存在をこの目で見て、確認することはできないですよね。どんな時でも、私たちは、幻想という形でその存在を感じて、信じていることしかできない。それでもあなたは本当に神を信じていたいと思っているのですか?」
コ:「…たとえ、現れなくても、信じているということが大事なんじゃないかしら。神を信じているということではなくて、私たちが神を信じている私たちを信じているということが」
礼:「どういうこと?」
コ:「神を信じることで、間接的に自分の思いは正しいんだって、自分のことを信じてあげられるんだと思うの。だから、自分に自身を持てる。自分のことを信じられるって一番大切なことだと思うわ。だから、大事なのは、願い続けているということ。つまり、私は神を信じているわ」
礼:「すごい、そんな考え方、したことなかった」
牧:「そうですね。驚きです」
コ:「いいでしょう」
礼:「そういえば、あんな言い方するってことは、牧師は神の存在を信じてないんですか?」
牧:「わたしが最初1から13まで数えて、ここに来たのを覚えていますか?一つ、面白い話をしましょう。13が不吉な数字ということはご存知ですね。この数字は調和を乱すことや未知を象徴するため古くから忌み嫌われてきました。人が調和が乱れることや未知のものを嫌うのは当然です。それまでの状態が崩れますから。でも、調和が乱れないと新しい世界は訪れないんです。たしかに未来に踏み出すことは、大きな賭けです。しかし初めのうちはいくらでもやり直しができますし、逆にやり直しが効くうちに何度もやり直さないと大きな損をすることになります。ですから、私は神を信じています」
礼:「どういうことですか?それに、神のことが信じられないみたいな言い方をしてました…よね?」
牧:「私は、神がいて、たとえ彼が世界の理の全てを知っているのだとしても、その中で様々な選択をして動いていくのは、結局、私たち自身なんだなってよく思うんです」
礼:「というと?」
牧:「行く先に苦しいことや、辛いことがあるとき、逃げるのも、向かっていくのも決めるのは私たちです。しかし、逆に言えば、さっきも言ったように、誰も決めてくれないんです。全てが自分次第。それが本当で、運命、ましてや偶然なんてことも存在しないんです」
礼:「なるほど」
牧:「そういえば十字架はいくつも種類があって、十字形ではないものもあるんです」
礼:「はぁ…」
牧:「例えば、この八端十字架。これは、
磔台としての十字架を正確に表したものです。
上についている短い棒が罪状を書いた札を、下の斜めの棒が足台を表しています。また、こちらのケルト十字架は、伝説によると太陽と十字架を合体させたものだと言われています。このように、十字架と一口に言っても、たくさんの種類があるのです。…ですから、礼奈さん、あなたはそろそろ帰らないといけません」
礼:「え?」
牧:「正しくは、あなたの決断によって、ですね」
礼:「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなのいきなり言われても、」
牧:「納得できないですか?」
礼:「できません」
牧:「そうですか。それなら、すべて話す必要があるようですね。どうですか、コハルさん」
コ:「ええ、私も、そろそろそうしようと思っていたから」
礼:「…全てを話すって何?あななたちは、私に関する何かを知ってたけど、ずっと教えてくれてなかったってこと?」
コ:「そうよ、あなたに隠していたことがあるの」
礼:「…もしかして、ここに私を連れてきたのは二人で、私のことずっと騙してたとかそういう話?」
コ:「あなたにそんなことは、誓ってしないわ」
牧:「そうですね、これでも私は、牧師ですし、そんなことしていません。今からお伝えしようとしているのは、あなたがここにいる理由と、この世界、私たちについての真実です」
礼:「そうなんだ」
牧:「まず、この世界は、物質的に、あるいは肉体的に、実在している世界ではありません。では、どこにあるのか。それは、ここ。(脳を指さす)あなたの意識の中にある世界なんです」
礼:「私の意識の中?」
牧:「そう。ここは、あなたの時間と空間の概念、そして、あなたがあなたに対して感じている思いが入り混ざりあって、できた場所なんです。簡単にいうなら、あなたが見ている夢の中の世界ともいえるでしょうね」
礼:「私が見てる夢……もしかして、あたしがあたしに感じていたやるせない思いが、この空間を作り出したっていうの?」
牧:「そうです」
礼:「…それなら、どうして私はここにいるの?意識の中なら、肉体は存在しないはずなんじゃ…」
コ:「それは、あなたという存在が、そもそも肉体じゃないからよ」
礼:「えっ……じゃあ、もしかして、私は幽霊ってこと!?」
コ:「あはは、違うよ。あなたは今、礼奈という人間であるとされて、この世界に置かれているからそう感じるのかもしれないけど、実際にはあなたも私たちも、現実の世界にいる礼奈という人間によって作り出された、一つの概念なのよ」
牧:「そう、あなたは概念であり、礼奈さんが感じている礼奈さん。つまり、礼奈さんそのものと言えます。先程の十字架の様に、受け入れ方によって、存在を含む概念は変化します。そして、今のあなたは意識世界の礼奈さんです」
礼:「なら、現実世界の私は今、どうしてるの?」
牧:「元の世界にいたあなたが、あなた自身、つまり、礼奈という存在に苦しみ、未来を見ることを怖れて、過去の思い出にばかりすがって生きていたのは知っていますね。そんな時に現実世界のあなたは事故に会い、意識不明の重体となっってしまったのです」
礼:「…まさか…」
牧:「そう、現実世界のあなたは今も、眠ったままです。…しかし、状態としては回復しています。目覚めることは十分にできるはずです」
礼:「それなら、どうして?」
牧:「あなたが元の世界へ戻ることを、拒んでいるのです」
礼:「えっ……」
🟥
牧:「今の自分を消し去り、過去の楽しかった日々に戻りたいと思っていたあなたは、過去の世界にいた、かつてあなたの親友であったコハルさんを、あなたの意識世界の中に呼び出しました。この世界で過去に浸って、もう現実には戻らないつもりでいたからでしょう」
礼:「…コハル、そうなの?」
コ:「ええ。私は過去の世界からやって来た、礼奈の親友よ」
礼:「どうして、何も言ってくれなかったの?」
コ:「何にも覚えてないって聞いて、礼奈が自分を忘れたがってることが分かったの。あんまり急いで記憶を伝えても、あなたのためにならないと思って」
礼:「私のためにならない?…」
コ:「あたし、過去の世界にいた時から、今の礼奈の様子をそっと見ていたの。礼奈が自分自身に苦しんでいるのを見るのは、とても悲しかった。この世界に飛ばされて、あたしは礼奈を助けるために呼ばれたんだって思ったわ。だから、ただ、記憶を伝えるだけじゃだめだった。礼奈には礼奈であることの自信を取り戻して、生きて欲しかったからね」
礼:「コハル…」
牧:「コハルさんのおかげで、あなたは無事にある程度の記憶を取り戻し、自分に自信を持つことができるようになったはずです。しかし、あなたが元の世界に変えるためには、まだ、足りないものがある」
コ:「それは、何?」
牧:「勇気ですよ。礼奈さん」
礼:「勇気?」
牧:「神についての話を覚えていますか。未来に対してもまったく同じことが言えるんですよ。今からあなたが戻る現実の世界には、苦しいことや辛いことが、これからもどこかで待ち受けているでしょう」
コ:「だけど、その中であなたは、自分の描く幻想を、即ち、自分自身を信じて進むことしかできない」
牧:「だから、あなたが自分を信じ続けて、前に進んでいくことができるということ」
コ:「あなた自身による決断」
牧:「それが、あなたに必要な勇気です」
礼:「そうだったんだ」
牧「多分これでもう、あなたは現実の世界に帰れるはずです」
礼:「…分かった。いろいろ教えてくれてありがとう」
牧:「いいえ。…あなたはあなたを信じて進むことしかできない。どうかそのことを、胸に刻んでこちらへ来てください。私は、あなたの描く未来そのものなんです…。先に行って、あなたがこちらへ進み出してくれるのを、楽しみに待っていますよ。それでは」(牧師去ル)
(暗転)
礼:(椅子に座っている。)
「あれ、ここは…」
コ:「また、二人になったわね」
礼:「うん。…コハルは私が元の世界に帰ったらどこへ行くの?」
コ:「きっと、また、礼奈の過去に戻るんだと思うわ」
礼:「もう、会えないの…?」
コ:「そうね、会うことは、できないでしょうね」
礼:「そうなんだ…」
コ:「でも、あたしはこれからも礼奈の過去から、礼奈を応援しているわ。………そろそろ、あたしとあなたの帰る時が来たみたい。…それじゃあ、またね」
礼:「…どうして、もう会えないんじゃ?…」
コ:「あたしは、礼奈の過去なのよ。礼奈は、今の自分と過去の自分に優劣をつけて、考えていたのかもしれないけど、それは違う」(手を握る)
礼:「今のあなたも、過去の集大成。過去もかつては未来だった。つまり、あなたが存在する限り、あなたはいつもあなたなの。自信を持てなくてもいい。みっともなくても不甲斐なくても生きて。決して、絶望なんて、しないでほしい。」
礼:「…わかった。それじゃあ、…」
コ:「うん。それじゃあ、…」
(二人でいう)「またね」
礼:(牧師のさった方向に去る)
コ:(小さく手を振った後に、歩き去ったのを確認し、逆方向に歩く。)
(人のいない舞台を5秒おく。
ホリゾン幕がゆっくり白く光る。
幕が降りる。)
fin.
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