Episode 21 壁は今壊された
二人の間にある空気はすこし和らいだ。社長が紅茶をいれなおそうと席を立ち、茶菓子を持ってきたからだろう。
トクトクと注がれる音と共に運ばれてくる香りが将太郎の心に一時的な安らぎを与えてくれる。
「さっきは勝手に砂糖を入れたけれど、将太郎くんはない方がお好きかな?」
「いえ、とても美味しく頂けたのでまた同じ形でお願いします」
社長は昔からこういったことを率先して行う。好きだからこそ邪魔をされたくない気質であり、社員としては有難くも非常に気を使うところである。
今の将太郎にとっては空気が軽くなったことで、これからどのような話の流れに変わるのかわからず困ったといった次第だ。
「社長、それでこれからの話なのですが……」
「まあまあそう焦らなくてもいいじゃないか。言っただろう、私の考えは固まっていると」
「それはそうですけど…………すみません、急ぎすぎました」
彼はなにも変えられなかったんだと言葉を止めた。この空気も話し合いという場の終わりを表すためで、ここからは流れるように社長から話をされるだけ。そんなふうに諦めかけている。
目の前に置かれたクッキーの缶箱からひとつ取り出して食べ、社長が持ってきた紅茶のカップに口をつけても味のことをあまり考えられないぐらいには現状の絶望感を味わっているようだ。
先程のアドバイスさえもこれから先、職を失っていく者への土産なのかもとさえ思えてしまい、思考は混乱状態だ。
「さて、ここからは私の考えを話そうと思うんだが……おや、将太郎くんは私と同じぐらい顔に感情が出やすいんだね。まるで私にもう何を言っても無駄だとでも言いたいような、そんな様子だけど」
うつむき加減の彼の顔を覗くように社長は問うた。
「あっ、いえ、そんなことは……ないとも言いきれないですけど」
「それでいい。ただ、君はなにか勘違いしているようだね。私が二人を切り離そうとしている悪魔にでも見えているかもしれないが、そんなつもりはない」
「えっ?」
驚きを隠せず身を乗り出す彼を座らせて社長は話を続ける。
前提が崩されたことで彼の頭のなかはもう訳のわからない状態だ。いろいろな単語があちらこちらを飛び回って捕まえることが出来ない。
それゆえに動かそうとした口もすぐに閉じていった。
「たしかに私にとって何より優先すべきは社員と所属している子たちを守ることに違いない。しかし、それは君たちにも当てはまるだろう? であれば、私がやるべきことはただひとつ、この結果をうまくまとめあげるための策を講じること」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ここでようやく疑問が生まれ、それに動かされるように質問を投げかける。
「たしかに社長が僕たちの関係性に否定的な立場であると思いはしていました。ですが、もし今の言葉を鵜呑みにしたとして、策というのはあの男のことですか? 社長が用意した筋書きだったと?」
「いいや、あれは本当に偶然が重なっただけなんだ。ただそれでも結果として瑠璃香のことを傷つける形になってしまったのは申し訳ない。
そのことに関してはいくらでも頭を下げるよ。
将太郎くんからすれば不運を信じられない場合、私に疑いが向くことは容易に想像できるから許してもらえるかは分からないけどね」
将太郎はそこまで考えた上で部下に堂々と頭を下げる社長の姿を見て何を感じただろう。失望? 憐憫? 当然そんな暗いものではない。先程からどうしてここまで漢なんだという感動だ。
それから今はもうないにしても一度でも社長のことを疑っていた自分を恥じる思いも。
社長は言葉が返ってこないため彼の顔を確認する。
「どうやら私の思いは伝わったようだね。それじゃあここまで長かったけど、これから私が披露する物語を聞いてくれるかな?」
「はいっ!」
大きく頷いた将太郎。
この社長に付いてきて本当に良かったと思い、ここまで捨てずに育ててくれたことに感謝する。
当然面倒くさい部分がないわけではない。だが、その全てを打ち消すほどの事務所に対する熱情、そしてその関係者への愛情は計り知れないと改めて思わされた。
そんな彼はその策とやらを聞き逃さぬよう胸ポケットからメモ帳を取り出しペンの芯を出す。
ここに来てようやく続いていた勘違いがなくなったことで話はまた一歩進展する。二人のあたたかい未来へ向かって。
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