Episode 19 経験者

 迎えた翌日。

 ホテルからタクシーを使って事務所まで向かう。


 外は雲が空を覆い暗がりばかりだ。

 エレベーターがロビーに着くと入れ替わりで他の社員が降りてくる。先輩は再度社長との話し合いに向かう彼を思って声をかけた。


「もし辞めなきゃならなくなったら、俺の知り合いがやっているところ紹介してやっからな。まあ小さいところだけどよ、将太郎みたいな優秀なやつだったらすぐ雇ってくれるだろうから、とにかく今は社長とのことに集中して頑張れよ」


「ありがとうございます」


 昨晩に瑠璃香の事件は報道されていたため誰もが知っている。そのことと社長からの二度目の呼び出しを加味すれば辞職の話だというふうに誰でも察するだろう。


 世間の声としては、犯人の動機がファンのなかで数少ないであろうRURIの素顔を知るものとして、もっと近くの存在になりたいと思うようになっていった結果、どこでネジが外れたのかこんなことを思いついてしまったというものだったので予測することは難しかっただろうと擁護する声と、二度目の失敗は許されないことだと批判する声にわかれている。ただ、なるべく所属タレントを守ろうと体制を整えていたことは評価されて前者の方が多い。


 それでも責任問題を問う声が消えるわけではなく、その矛先は社長とマネージャーである将太郎に向けられているわけだ。そのどちらが責任を負わされるかとなれば簡単だ。

 実際、今回も瑠璃香とのこととは言いつつも最終的にはそこに行きつくことになる。どうこの事件を処理するかということに。


 十階に着いた。

 エレベーターから降りる彼の表情に暗さはない。昨日瑠璃香に言ったように精一杯やるだけだと決めてこの場に挑もうとしているからだ。一度目のときとは違って愛の糸で繋がれた瑠璃香の存在がその覚悟を強くしている。


「八倉です」


「入りなさい」


「失礼します」


 ドアを開けると既に社長は座っていた。テーブルには湯気を立たせるカップが二つ。以前との違いは辞職用の紙は置かれていないこと。


「まあ、まずは座りなさい」


 言われた通り、とりあえずは客人用のソファに座った彼。雰囲気は前と比べれば軽いことを感じて力の入っていた部分も多少は和らいだ。


「それを飲みながらでいいから話を聞いてくれ。話す内容が内容だからね。場の空気が重くなりすぎないようにしたいんだ」


「そうですか。では遠慮なく」


 香り漂う紅茶を一口飲んだ。


「今回あった事件のことから話そうか。これは警察から聞いた話だが動機は一時的な気の迷いで綿密な計画がなされた形跡はなし。元よりあのマンションの向かいに住んでいたことで偶然君たちを見つけたという話も事実だったみたいだ」


「どうして計画性はないと?」


「そもそもあの日は偶然将太郎くんが友理のために家を空けていただけで、犯人にはそのことを知る由もない。当然盗聴等の捜査が行われたみたいだが見つからなかったんだと。だから、犯人の言う通り当日出かけていく瑠璃香の姿を見て急遽決行したというのも、本当だろうってことになったみたいだ。

 もし将太郎がいた場合にすぐ捕まらないために、駐車場から侵入して隠れていたのも筋は通っている」


 将太郎は納得できない。そんな物語があってたまるかと怒りさえ生まれた。

 あまりにも上手くいきすぎている。偶然が重なりすぎてどうしても嘘くさく見えてしまう。これは仕方がない。


「わかるぞ、将太郎くん。私だってまだ信じられないからね。

 もちろん、後日瑠璃香から得た情報と照らし合わせてさらに事実解明には努めてくれるだろうが、望みは薄いだろう。そもそも彼女を誰よりも知っている君が何も知らされていないのでは、兆候のようなものがあったというわけでもないだろうからな」

「……全くその通りです。残念ですが、今は警察の方がどうにかしてくれるのを待つしかありません」


 このことに関して何も出来ない自分が悔しい。たしかに彼女のことを助けたのは自分だ。だが、もし何かの間違いで犯人があの部屋に侵入できていたら自分は何もできずただ後にそのことを知らされて終わりだったかもしれない。


 その世界線があったと思うと本当に悔しくてたまらない。自分があのとき夕食を一緒に食べたいと提案してくれた瑠璃に材料はこっちで買って行くからと言っておけば、そもそもこんなことにならなかっただろうと後悔がやってくる。

 そんな思いが彼の拳に力を入れる。


 社長はただその様子を見守り、彼の気が落ち着くのを待った。


 数分の後、すみませんと態度を改め深く息を吐き、また紅茶を一口飲んだ。

 そんな彼を見つめて社長は言葉を紡ぎながら話をする。


「構わんよ。前にこの事務所の子が襲われてしまった事件のとき、私も同じような気持ちだった。あのときはたしかに執拗に送られてきていた手紙があったのに何も対応できず、大切な子に傷を付けてしまった。心の奥深くにだ。

 どうして早く気付いてあげられなかったと気が狂ったように怒った覚えがある。私にとってこの事務所にいる皆は家族のように大切な存在なんだ。特に独り身の私にはそう感じられて仕方がない。

 そんな私と君とでは持っている感情は違えど、愛があったことには変わりないからこそ忘れないで欲しい。

 今ある怒りや後悔は役に立つ。これから人生を歩んでいく上で間違えた選択をしないためにも必ずだ。だから今は甘んじてその感情を受け入れなさい」

「…………わかりました」


 社長の言葉には重みを感じられる。全ての責任を負う者としての覚悟のようなものが彼には見えた。

 同時に自分はまだまだ心が若すぎるのだと思い知らされたような気がして、これからもっと大人として成長できるよう精進していかなければと反省した。


「なんだかクサイ話をしてしまったね。さて、今のところ警察から聞いたことはそれぐらいだ。そろそろこれからのことに移ろうか」


 すこしぬるくなった紅茶をグッと一息で飲み干した社長はパッと切り替えた。

 将太郎も同様に残りを全て流し込み、思考を無理やりそちらに向かせる。


「どうぞ、よろしくお願いします」

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