冒険のための準備

第3話 プレゼント

 僕は思い違いをしていた。すぐにでも冒険できるのだと思っていたんだ。

 けれど現状は全く違う。前世と同じように自身の意思で動くことがまるでできないのだ。

 原因はわかってる。死ぬ直前、転生前後にレスター兄様が。僕を抱きしめてくれていた感触を全身に感じている。だからこそわかる、大きさの違い。間違いない、間違いないのだ!


 僕は、赤ちゃんとして転生した!


 今生の母が何やら話しかけてくるが全く分からない。分からないのは仕方ないけど、なんとか理解できる単語があるのだ。


 ――エルナー。


 そう、僕の名前だ。レスター兄様が付けてくれた名前は、今こうして両親が新たに付けてくれている。そのことが堪らなく嬉しく感じる。

 その感情が動きに反映されたのか、体が動く。それに対して僕を抱いていた母が弾んだ音程の声を上げる。近くにいたらしい男性の声もする。僕が名前に反応したのがよほど嬉しかったのかな?



 体の自由が利かないのは慣れている。慣れているんだけど排泄の自由がまるで効かないのは居た堪れなかった。二重の意味で泣きじゃくったり。


 目が見えるようになってから見る光景で興奮した勢いで漏らしたり。ぎりぎり窓から見える外の景色を見てたらやたらと大きい鳥のような生き物が通り過ぎてびっくりしたせいで漏らして泣いたり。


 母から母乳を貰い、お腹がくちくなって眠り、起きたら下半身が濡れていることに気づいて恥ずかしさもあって盛大に泣いたり。


 ……漏らして泣いてが仕事とはいえなんだろうこれ。すごく恥ずかしい。世界中の赤ちゃんたちはこうして強くなっていくんだろうか、などと逃避してみたり。



 日課となりつつある外の景色を見ていると、母親がおもむろに手を翳し……え?

 僕はしばし、その光景に心奪われた。だってあれは……見えない何かで草を刈るとかどう考えたって魔法としか!

 その後も刈った草を見えない何かが一か所に集めて燃やすという一連の現象を手を翳している母親が行っていることは歴然で。見るまで思い至ってなかった魔法のある世界であることに気が付いて。


 僕は興奮していた。母親が魔法使いならば僕にも使えるかもしれない! そう思って漫画の知識を必死にかき集めて訓練しようと思い至った時お尻の不快さに気づいて泣いた。



 ある日のこと、眠っている割には鮮明な意識があった。見覚えのある何もない空間である。そういえば混乱もあってあの時は周囲に目を向けてなかったなぁと思いつつ視界の端に蠢く黒い靄は意識から追いやった。


「久しぶりですね、エルナー。お元気そうで何よりです。かわいいです」

「あうあうあー」


 ……喋れない! 泣きそう!


「ふふ、大丈夫です。心を読めますから。……ああ、かわいいです」


 レスター兄様の思考がおかしくなってらっしゃる。ともあれお久しぶりです、レスター兄様。

 ところでここは? また死んでしまったのですか……?


「いえいえ、エルナーの夢に干渉しました。様子を窺っていたのですが、かわいかったのでつい……それに冒険のことでお話もありましたし」


 そう、冒険。冒険である。期待してたのと違ったのでびっくりしてるんですよ!


「エルナー、これは必要な措置ですよ。言語の壁や魔法の有無、周囲の情勢や環境など知らないことは数えきれないほどにあるはずです。そんな中放り出す事なんてとても正気の沙汰ではありませんから」


 言われてみればなるほどとしか思えない。確かに耳にする言葉は未だよく分かってないし魔法がある世界で戦いがないとは思えない。そもそも、十歳の僕じゃ野生の獣にだって負けそうだ。


「ですから、生まれ落ちた瞬間からその世界線の住人として成長して学んでいく必要があったのです」


 でもレスター兄様。漫画では神様やそれに通ずる存在がチートなる荒業で言葉とか魔法とか与えていませんでしたっけ?


「エルナー、知らないこと、知らない場所、知らない存在。そういったものを知ろうとする者が冒険者でしょう?」


 ……! ……っ! レスター兄様大好きっ!


「……! あぁっ! かわいいですっ!」


 抱き上げられて頬ずりされました。僕も嬉しさのあまり頬ずりしました。


 兄弟揃ってバグってる場合じゃない。僕にとってほとんどの出来事は無知だ。それらを既知に変えることこそ僕の冒険である。見知らぬ場所を、見知らぬ人を、誰も至らぬ秘境へと。見て、触れて、感じることこそを僕は冒険と定義した。


「あぁ、名残惜しい。ですがそろそろ時間のようです。エルナー、こちらの世界線の管理者、神様ですね。彼女を脅……言質……説得。そう、説得して一つプレゼントです。地図は好きですか?」


 ……レスター兄様大好き! 地図くださるんですか!?


「かわいいっ……! っとと、えぇ、固有魔法としてエルナーにプレゼントです。楽しんでくださいね」



△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽



 白い空間から光が差す感じという不思議な感覚を味わいながら意識が覚醒する。身動ぎすると下半身がずっしり重いけど気にならない。今気にすべきはレスター兄様からプレゼントされた固有魔法である。


 意識を地図魔法に集中させる。地図魔法、地図魔法、と心で念じるように唱え丹田に力をこめると、僅かな喪失感と大きな爽快感が巡る。

 喪失感は恐らく魔力のようなものだろうか。視界にこの部屋と思われる図のようなものが現れた。窓の外の景色も図に載っていることから目にした情報が反映されているのだろう。

 一方の爽快感。非常にすっきりしたもののやはり気持ちがいいものではない。思いっきり泣いて母親に助けを求めたよ。

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