時間は急に止まらない





 私は物を捨てられない。

 実家暮らしを続けて二十四年、幼少期から使ってきた物ですら処分せずに溜め込んでいた。眼鏡なんて毎年買い換えていたから、引き出しのなかに十本以上並んでいる。幸いにして田舎の一軒家で物置代わりに使える空き部屋もあるので、ゴミ屋敷にはなっていない。

「んんー?」

 学生時代から愛用していた腕時計が壊れたタイミングで、会社員になって初めてのボーナスが支給されたので、奮発してちょっといい腕時計に買い換えた。

 壊れた時計を、歴代の腕時計をしまっているひきだしに並べたところで、妙なことに気付いた。

 小学生のころに使っていたパステルカラーのデジタル式の時計も、中学生のときにちょっと背伸びした精一杯大人っぽいデザインの時計も、高校生のときに当時の彼氏からもらったセンスが微妙な時計も、全部一時二十七分で止まっているのだ。

 わざわざ時間を合わせた記憶はないし、合わせるとしたら零時零分だろう。

 手元にある、ついこの前まで使っていた時計も同じく一時二十七分をさしている。

「呪われている?」

 いや、そんな呪いがあるわけがない。

 仮に呪いだったとすれば、いくつも思い当たることがあった。小学生のころやんちゃをして眼鏡を壊したのも、親に何度も頼み込んで手に入れたケータイが壊れたのも、大学生になって初めて買ったパソコンが壊れたのも、お気に入りだったトートバッグの紐が切れて荷物を路上にばらまいたのも、全部お昼過ぎだった気がする。

 もしあれが一時二十七分だとしたら、私にかけられた呪いの内容は『一時二十七分になると大切なものが壊れる』というものだ。

「ねえ、ちょっと聞いてよ」

 翌日、同期の美穂に大発見について報告した。

「え、じゃあ死ぬのも一時二十七分ってこと?」

 ずいぶんと怖いことを言われてしまう。

「え、どうだろ……でも……」

 理屈でいえばそういうことになる。私の身体を私の所有物とすれば、壊れるのは一時二十七分というルールは適用されるだろう。

 実験するわけにはいかないので、美穂の説が正しいかはわからない。でも、自分の持ち物が一時二十七分に壊れる度に、自分が死ぬ瞬間について意識させられてしまう。

「私が死ぬときも、一時二十七分……」

 もし、重い病気にかかったり、年をとったりして、今よりも死について考える機会が増えたとき、私は正気のまま過ごせるのだろうか。

 今日もまた時計の針は進み、一時二十七分はやってくる。

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