コップ一杯の花嫁

@noberu

コップ一杯の花嫁

「遂に手に入ったわ」

美香は大喜びでティーパックを僕に見せた。

「なにそれ?お茶?」

無邪気に喜ぶ美香に僕はニュートラルなテンションで聞いた。

「もう、テンション低いな〜前に話した花嫁よ」

美香から言わせれば僕のテンションは相対的に低く見えたのだろう。ちょっと彼女はほっぺを膨らませたように見えた。

「あーそういえば言ってたね。花嫁っていうドリンクだよね?飲むと結婚式から1年間の新婚生活まで疑似体験出来るという」

僕は美香の話を思った以上に覚えていた自分に驚いた。美香は過去に話した内容を僕が忘れているとよく拗ねるので僕は安心した。

「そうそう、それよ。よく圭ちゃん覚えていたね。いつも私の話をボヤッと聞いているからまた忘れたんだと思った」

美香はやけに感心した様子だった。

「失礼だね。ちゃんといつも話聞いてるよ」

「どうだかね〜圭ちゃんのことだからまぐれかも。まあ、ちゃんとわかってるのなら良かった。早速飲みましょうよ。私はピンクのティーパックの花嫁、圭ちゃんは紺色のティーパックの花婿を一緒に飲むのよ」

美香は電気ケトルでお湯を沸かし始めた。

「圭ちゃん、結婚式、新婚生活楽しみね」

美香は仔犬のようにはしゃいでいた。

「うん、そうだね。ちょっと緊張するかな」

僕はこれを飲んで万が一にでも散々な新婚生活になったら僕ら結婚出来なくなるのかなぁと心配な気持ちでいっぱいになった。

電気ケトルがカチャッと鳴った。お湯が沸いてしまった。あとはティーカップにお湯を注ぐだけで花嫁、花婿が出来上がりた。こんな簡単に新婚生活が始まってよいものか。僕は自分の中で迷いが大きくなるのを感じた。

「どうしたの?圭ちゃん?」

美香が僕の様子の変化に気づいた。

「いや、ちょっと緊張しちゃって」

「そうだよね。もしかして飲むの嫌?」

美香は僕の顔を覗き込んだ。

「そんなことないよ。美香との新婚生活は楽しみだし、飲んでみようよ」

僕は思いっきりの強がりを言いながらカップに手を伸ばした。

「良かった。圭ちゃんも同じ気持ちで。きっと楽しいに決まってるよ」

美香もカップに手を伸ばしながら「じゃあ、せーので飲もうね」と言った。

「せーの!」

僕らは花嫁と花婿になった。



僕らの結婚式は無事に終わった。多くの友人が参列してくれて、楽しい時間を過ごせた。僕は最後の最後でカミカミだったけど、美香はそんな僕を笑顔で許してくれた。後にも先にもこの時の美香の花嫁姿はきっと忘れないだろう。だってあまりにも綺麗過ぎたからだ。

新居への引っ越しも特に大きな問題はなく、スムーズに進んだ。美香と僕は楽しい毎日が始まるのにワクワクが止められなかった。しかし、新居での生活が始まると問題が発生し始めた。

「なんで、ちゃんと綺麗に元の場所に戻してくれないの?」

美香は僕を鋭く睨んで言った。

「あ、ごめん、ごめん、ちゃんと直したつもりなんだけどな」

僕は頭を掻きながら言った。

「もう、いい加減にしてよ!何回言ったらわかるの?私、本気で怒ってるんだよ。何度も同じこと言わせないでよ!」

美香は昔のようにほっぺを膨らまして怒ることはなくなった。今となっては鬼の形相で怒るようになった。僕は美香が本当の鬼よりも怖く見えるようになっていた。

やっぱり、他人同士が一緒に暮らすのって難しいんだな。僕は改めて感じた。

早くこの生活から抜け出したい。

僕は毎日小さなことで怒る美香を見てそう思うようになった。

そんなことを思ってたある日、事件が起きた。

「だから、圭ちゃん、なんでちゃんとできないの?前にここに洗濯物入れないでって言ったよね?一体、何でこんなに馬鹿なの?」

美香はいつものように僕に怒りをぶつけた。いつもの僕ならスルーしていたようなことだったが、腹の虫のいどころが悪いのか、何故だかイラッとしてしまった。

「美香って、なんでそんなに細かいんだよ!あんなお茶飲むんじゃなかった!全然新婚生活なんか楽しくないじゃないか!」

僕は家を出ようとした。

「圭ちゃん、ちょっと待ってよ!」

美香が呼び止めようと僕の腕を掴んだが、僕は振り解き外に出た。

怒りで我を失ってた僕は赤信号も気にせず、道路を渡った。

ブー!!

大きなトラックが僕の方に向かっていた。

「えっ!」

僕は気づいた時にはトラックに轢かれてしまった。



目を覚ますと、花嫁、花婿を飲んだ時間と場所に戻っていた。

隣で美香が眠っていた。

僕はあっちの世界で死んでしまったから新婚生活を1年間終えることなく戻ってきてしまったのか。それにしてもあれが現実でなくて良かったと思った。

しばらくすると、美香がゆっくりと目を開けた。

僕は美香を覗き込み「どう?大丈夫?」と尋ねた。

美香は僕を見ると、「うん、貴方と結婚するわ」と真っ直ぐな眼差しで言った。

「えっ、マジで」

僕はまさかこんな形でプロポーズされるとは思わなかった。

「でも、向こうで僕死んじゃったんだよね?しかも、喧嘩別れだったし」

僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「本当に圭ちゃん、いい加減にしてよ。あの後凄く大変だったんだから」

「僕が死んでから何があったの?」

僕は更に申し訳ない気持ちになった。

美香の話によると、僕が死んでからすぐ妊娠が発覚したらしい。

彼女は一人でつわりを乗り越え、出産もしたらしい。3020グラムの男だったみたいだ。

「私、圭ちゃんの子どもを産みたい。だから結婚したい。だってあんなに可愛い子を圭ちゃんにも見せてあげたいもん」

美香は目をキラキラさせて言った。

「そっか、僕も見てみたいよ。じゃあ、早速婚姻届を手に入れないとね」

僕は立ち上がった。

美香も立ち上がり、「それもそうだけど保険の資料請求もしときましょ。圭ちゃんに万が一のことがあっても困るから」と言った。

「そうだね」と僕はバツが悪そうに答えた。

僕は、あのコップ一杯の花嫁が保険の窓口で売っている理由がわかった気がした。

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