桜色のカノン
霜月このは
白くてふわふわして、甘いもの
菜奈Side
第1話
放課後の教室で、西日に照らされた三角のメトロノームが、コツ、コツ、と規則的に音を立てる。遅れないように息を吸って音を出すと、斜め隣からやってきた同じ色の波に押し返された。うおん、うおん、と、うねる音がする。
やばい、と思い始めたときに、声がかかった。
「ストップ。もう一回、やり直そうか。
パートリーダーの
「はい、すみません」
私は、楽器をいったん下ろして、急いで楽譜の上に、大きく上向きの矢印を書き足した。私の動作を待ちながら、真雪先輩は他のメンバーにも指示をする。テキパキとした進め方がかっこいい。
真雪先輩のきらきらしたフルートの音は、部活の中の誰よりも輝いていて、わかりやすく上手いってことがわかる。それに加えて、反則みたいなストレートロングの黒髪に、やたらと目鼻立ちの整った顔、とくれば、後輩たちの憧れの的になること必至の存在なのである。
「フルートはDの音、低くなりやすいから。いつも、気持ち高めって思って吹くといいよ」
「はい!」
真雪先輩のアドバイスに元気よく返事をすると、再び音を出すように指示されたので、もう一度楽器を構えて、息を吸った。今度はさっきよりも明るい音が鳴る。遅れて入ってきた斜め隣からの音と溶け合って、心地よい波が生まれた。
私たちオーケストラ部はいま、秋の文化祭での本番に向けて、練習を重ねている。今はその中の全体合奏ステージで演奏する曲を練習しているのだった。
高校一年になった今年の春から始めたフルートだけど、さすがに10月ともなると、最近ではようやく、少しずつ言うことを聞くようになってきた気がする。最初の頃はスッカスカの空気音しか鳴らなかったのに、一応半年で三オクターブ、出せるようになったんだから、ちょっとは褒めてもらいたい。
まぁそれも、こういった、先輩方の手厚いご指導の賜物、というわけではあるのだけど。
チラリと前を見れば、真雪先輩が満足げに微笑んでくれる。今度は上手くいったみたいだ。先輩の笑顔を見て嬉しくなって、夢中で音を並べているうちに、チャイムが鳴った。
「お疲れ様」
練習が終わって帰り支度をしているときに、斜め隣から声をかけてくるのは、同じ一年生の
ここは三階の隅にある二年A組の教室で、パートリーダーの真雪先輩や、同じフルートパートの
「一緒に帰る?」
桜花が楽器と鞄を持ち上げると、セミロングの黒髪が肩のあたりで揺れる。猫みたいなぱっちりした目に、下向きのまつ毛はびっくりするほど長くて。唇と頬は、メイクもしていないのに桜色だ。
こんな美少女と一緒に帰る贅沢をしたいのもやまやまだけど、今日の私には先約があった。
「今日はまだ残ってる。この後、約束があって」
「そっか。……美冬先輩?」
「うん。駅前のカフェに行こうかなって。桜花も行く?」
「ううん、遠慮しておく。お邪魔虫になったらいけないしね」
桜花はそんなことを言って、颯爽と教室を出て行く。べつにお邪魔虫ってわけじゃないけど、桜花の気遣いにはちょっとだけ感謝してしまう。
だって大好きな美冬先輩を独り占めできるのだ。こんなに嬉しいことはない。
美冬先輩は二年生で、私と同じフルートパートのメンバーだ。背中まで伸びた天然のくるくるウェーブの髪は、染めてもいないのに茶色がかっていて、生粋の日本人らしいのだけど、あまりそうは見えない。
歩くフランス人形とか、奇跡の美少女とか、ファンの生徒たちには、まあいろんな表現のされ方をしているみたいだけれど、私からいわせれば、そんなの全然生ぬるい。
「菜奈、お待たせ」
「美冬先輩! お疲れ様です」
桜花と別れてから、正面玄関の前で待っていると、五分ほどして美冬先輩は現れた。髪だけじゃなくて、話し方から、存在そのものがふわふわとしていて、清らかな、白いオーラを感じる。
ほんと、可愛い。
「美冬先輩とデート! やったー!」
思わず口から出てしまう私の本音にも、この世のものとは思えない、やわらかい微笑みを返してくれる。
美冬先輩はこのくたびれた地上に舞い降りた救いの天使だ。そうに違いないのだった。
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