怪異『六夢』

@Trap_Heinz

守 : THE PAIN 『参上!夢怪盗団!』

「はーっはっは! 『夢怪盗団』がこの夢は貰っていく!」

「出たな夢怪盗! 今日こそつかまえてやる!」

「君たちに捕まえられるかな? この私をッ!」

腰に手を当て、完璧に作られた“不敵な笑み”で教壇の上からその男子を見下す。

「つかまえろー!」「りょうかい!」

教室の机の間をすり抜けながら迫ってくる男子達を横目に、颯爽とマント……もとい肩から羽織り、前で袖部分を結んでいるだけの黒いウィンドブレーカーを旗めかせ教壇を飛び降り廊下へ駆け出す。

「いつもの場所で落ち合うぞ!」「わかった!」「あーい!」

 私の声に団員の二人が応え、それぞれ渡り廊下、階段から階下へ走っていく。私は追ってくる『探偵団』を引き付ける様に廊下を直進していく。放課後のこの時間、それも金曜日の校内だ。慌ただしく落ち着きがない雰囲気が充満している。ほかのクラスの教室前でたむろしている生徒達の間を踊る様にすり抜けていく。私は速い。私の特技……もとい『ギフト』は、"絶対不干渉"。誰にも触れられない・感じられない"透明"と成れるのだ。私はそのギフトを最大に活かし全力で走り抜ける。「待てー!」と男子達の声がする。アンタ達一般人が私を捕まえられるワケないでしょ。そう心内で笑いながら廊下の突き当たりを左に曲がり、階段を一段飛ばしで駆け降りる。

 渡り廊下から上履きのまま体育館裏まで走る。いつもの集合場所、大きな銀杏の木のもとへ来る。既に二人は木の下で息を切らしながら待っていた。

「追手は撒いた?」「うん」「もちろん」

私も息を整えながら少し汗ばんだ額をシャツの袖で拭う。六月の終わり、もう夏の雰囲気を感じさせる湿気と熱が纏わりつく。

「ゆー団員、中島くんの夢はどうだったかな?」

「んー? 味しなかったかな〜」

「そっかぁ〜……」

「……」

「ふふっ……」「あっははは!!!」「ひーーっ!」

三人がその雰囲気に耐えられず笑い出す。

「というか起こした時の顔めっちゃ笑った!」

「ねー!」

私達の遊び……稼業は、人が見ている夢を盗む事。主にそのやり方は、休み時間に寝ている子を叩き起こしてその夢を奪い取るという、極悪非道な怪盗なのだ! そしてその奪い取った夢を美味しく頂く芸術家でもあるのだ。

「ねー団長さん。夢の味っていつするようになるんー?」

「え、気付いたら、いつの間にか……」

嘘である。夢の味なんて分からない。そういう設定。

「へぇ〜」

「ねぇ、りく」

少し返答に困っていた私へ愛美(えみ)が神妙な面持ちで訊いてくる。

「なに?」

「アレ、やってみようよ」

「え……」

思わず言い淀んでしまう。アレ、とは勿論アレの事だと私は分かった。

「えー、やめとこうよ〜」

横から優(ゆう)が乗り気では無い事を表情に示した上で言ってくる。

「今『むきょういり』をやるのは多分……ヤバいよ。もっとちゃんと調べないと……」

私も愛美を諭す様に言う。

「えーつまんない」

露骨に両手を後頭部で組み面白く無い事を示された。

「学校にある本だけじゃ儀式の情報が少なすぎるよ。明日図書館行ってみない?」

「うん、そーしよ?」

優の意見に賛同し再びえみへ投げかける。

「……わかったぁ」

不服そうだが彼女も一応了承してくれた。

「夏休み入る前に図書館行くとか、頭良いみたい!」

「その発言が頭よくねーよ」

「っぷふ!」

「なんでよー!」

私は肩に着けていた“マント”を外し、優の言葉に笑いながら三人で校舎に戻って行った。


「おかあさーん。明日図書館行くからカード貸して」

最後の一切れのハンバーグを口へ運び、キッチンに立つ母親に話しかける。

「あら珍しいわね。ゆーちゃんと?」

「うん、えみちゃんも一緒」

「あっそう。明日雨降るかもしれないから気を付けなさいよ?」

「うんー」

おかあさんがカードケースを手に私の向いの椅子に座る。「えーっと……」と呟きながらケースから取り出した大量のカードの中から図書館のカードを探している。使っているのかどうかも分からないお店のポイントカードや割引券、病院の診察券等がごちゃまぜだ。

「あったあった。はいこれ」

「ありがと」

目の前に差し出されたカードを手に取る。『大前 陸』と名前が書かれている。なんて事ないただの図書館のカードだけれど、自分の名前が書かれているカードというだけでなんだか大人になった気分がして良い。

「そういえばアンタ、まだウィンドブレーカー学校に持っていってんの? もう暑いから要らないでしょ?」

「……要るの! ごちそうさま!」

「ちゃんと洗濯出しなさいよー!」

母の言葉を聞き流しながら図書館カードを手に取り、早々と自分の部屋へ戻る。

「年頃の娘はわからんわ〜」

そう母は一人呟きながら、陸が残して行った皿を下げ始めた。


 私はいつもそうだ。他人に自分を示すのが難しくて、いやだ。ゆーちゃんとえみちゃんの前でも。でも夢怪盗を“演じて”いる時は違う。堂々として、優雅な怪盗として話し、行動出来る気がする。もちろん“ギフト”なんて名付けている特殊能力も嘘だ。でも、今日も廊下を駆け抜けた時、私は廊下を行く生徒達の動きがまるでスローモーションの様に見えて、その間を縫う様に動く事が出来ていた気がする。

 ベッドに倒れ込み、枕元に置いていた本を手にする。本の背には、私の小学校の物である印のシールが貼られている。いつも栞を挟んでいるページを開く。

 怪異『六夢(ロクム)』。私の地元に伝わる夢を喰らう怪異。大昔、人の意識を食らい、ヒトを廃人にさせていた怪異に対して、人々は夢を捧げ食わせる事によって赦しを貰っていた。六夢はその夢を味わい楽しむだけの存在となり、現代では忘れ去られてしまった存在らしい。私の地元について様々な町の成り立ちや風俗について記されているこの本の中で、異様な存在感を現すこの怪異についての文章。今年の始め、特別授業として地元の事について生徒達でグループを作り、好きな事柄について自ら学習し、そしてその内容を発表するという催しがあった。その中で私はこの本に触れたのだった。私のグループは昔の稲作方法等という面白くもなんともない内容を発表したのだが、もう私はこの六夢という存在に夢中であった。だが学校にある本で六夢について触れられているのはこの一冊のみであった。

 私は、この六夢という存在にどこか憧れを抱いていた。『夢境(ムキョウ)』と呼ばれる彼女独りの世界で、人々の夢を眺めそしてそれを喰らう。人々から恐れられていた存在、孤高の美食家。そして私は勝手に女性の様なイメージを抱いていた。この日本に伝わる怪異だが、ワイングラスでも右手に持っていそうな、そんなイメージ。私はそこから夢を盗む者、夢怪盗と自称し始めた。

 そして今日愛美が言っていた『夢境入り(むきょういり)』。それは人が自ら夢境に入り

、六夢への捧げ物となる行為だ。最後に夢境へ入った巫女が自我を代償に、人の意識を喰らうのを止め、代わりに夢を喰ってくれと契約したのだ。結果、それが最後に行われた夢境入りらしい。今夢境に入ってしまえば、私達も意識を食われてしまうのではないか? 正直本当に行けるとか信じがたいが、今は“彼女”に会ってみたいという好奇心の方が勝ってしまっている。

 この章の挿絵に、顔に装飾を施した巫女が横たわっている儀式の様子も描かれていた。私はこれを初めて見た時に全身に走った冷たさを覚えている。恐怖、そして未知への憧れ。その二つが入り混じり全身を駆けた。


「りくー! 早くお風呂入りなさーい!」

部屋の外から聞こえる声で目が覚める。どうやら少し眠ってしまっていた様だ。だがあの本が無い。ハッと身体を起こすと、ベッドのすぐ横に落ちていた。栞は外れ、本から離れて落ちていた。それと今までの貸し出し履歴の記されたカードも。


 土曜日の朝。待ち合わせした通り十時に近所のファミリーマートに三人とも集まった。飲み物を買い、そのまま町の図書館へ直行した。天気は晴れ。雨なんて降らないだろう。


「これにも載ってないや〜」

「この妖怪図鑑にもなかった」

「ん〜〜」

まだ来て一時間も経っていないが、あまり芳しくない雰囲気が漂う。愛美はもう面倒くさそうだ。

「パソコンで調べてみる?」

「ゆーちゃんパソコン出来るの!?」

「ちょっとなら……」

「スゲー!」

優が照れ臭そうに言う。そうと決まれば早速図書館のパソコンに取り付き、ネットで検索を始める。

「怪異、六夢……」

たどたどしくキーボードを叩き検索を掛ける。大量のショッピングサイトや関係なさそうなサイトが検索結果を埋める。

「これは?」

私が画面を指差した『怪異・妖怪辞典』というサイトに飛ぶ。

 六夢のページが開かれる。だが大凡そこに書かれている内容については、前に読んだ本と同様の内容であった。ただ、『夢境入り』の儀式についての詳細が描かれていた。

・巫女の両手に青の布を巻き付ける

・巫女の額に三個目の瞳をその者の血によって描く

・巫女は潔白な女のみが成れる

巫女が清らかな水で丸一日を過ごした後、眠りに落ちれば夢境へ入る事が許される、と。

 その文章を見た三人は硬直し、画面を凝視していた。

「潔白ってどういう事?」

「さぁ。犯罪とかしてなけりゃ大丈夫なんじゃない?」

「は〜」

愛美の答えに優が分かった様な分かっていない様な声を返す。私はそのサイトに載っている文章をメモ帳に書き殴りながら一つ気付く。

「これ、この本を参考にしたって事かな?」

私が画面の指差している所を二人も見る。

「抜……なんて読むんだろ」

「とりあえずこの本探してみよ」

「そだね」

私はその本のタイトルをまたメモした。

 受付カウンターに行くと、一人の白髪のおじいちゃんが受付のおばちゃんと話していた。

「あ、こちらどうぞ〜」

私に気づいた別のお姉さんが隣の窓口に案内してくれる。

「すいません、本を探したいんですけど」

「本のタイトルは分かりますか?」

物腰の柔らかい、優しい声で訊いてくる。

「えと、『○×県研究記』の三巻なんですけど……」

「ちょっと待ってくださいねぇ」

お姉さんは傍に備え付けられてあるパソコンで何やら検索をしている様だ。

「おや、可愛い子が珍しい本を探しとるのぉ」

隣のカウンターで話していたおじいちゃんが私に話しかけてくる。

「そうなんですか?」

「君の様な子が、それもわざわざ土曜日に図書館に来てまで探しているとは。ワシでも書いて以来読み返してないわい」

「書いてから……?」

「え、もしかして永田先生ですか!?」

パソコンを見ていたお姉さんが立ち上がる。

「え?」

呆然と私はその会話を見ていた。

「先生なんてもんじゃないよ。ただ昔の資料をまとめなおしただけじゃよ」

「失礼しました〜!」

「いやいや、なんのなんの」

「えっと……?」

「その本、ワシが書いたんじゃよ」

「え、」

その瞬間、私の喉奥から音が既に出ていた。

「六夢について教えて欲しいんですけど!」


「この数字がな、棚の番号。ここに書いとるじゃろ? それでこの番号が棚の何段目か、そしてこのカタカナが本の場所。本棚の左上から五十音で並んどる。これで大体どこら辺かがわかるんじゃ」

「へぇ〜!」

私はおじいちゃんの助言を頼りに目を煌めかせながら目的の本を見つけ出した。そして踏み台を使い、棚から本を引き出す。そして二人の待つテーブルへおじいちゃん、永田先生と一緒に戻りここまでの経緯を話した。

「六夢か……。懐かしい名じゃのう」

六夢について記されたページをめくりながら先生が言う。

「六夢に会った人とか居たの?」

「夢境ってほんとにあるんですか?」

愛美と優の質問が止まらない。

「ほっほっほ。もう十年くらい前じゃったかの。君たちの様な子に色々訊かれた事があったわ……」

一瞬空を見つめ、そしてまた話し出す。

「すまんが、ワシも知ってるのはここに書いてある事くらいなんじゃ」

そしてまた一ページ先生が捲る。

「昔、県の偉い人から頼まれての。この県の事について載っている色々な本を渡されて、そこからこの本にまとめただけなんじゃ。すまんのう」

「その、昔読んだ本ってもう分からないんですか?」

「うーんそうじゃの……」

先生は本を裏返し、後ろからページを捲る。

「ここに参考にした本を載せてはいるが、もう殆ど残っとらんじゃろうのう……。六夢についても、どの本から抜粋したかまでは覚えとらん。すまんのうダメな老人で」

ぽつりと、先生が涙を溢した。その光景に三人は呆然と眺めている事しか出来なかった。

「あ! お父さんこんな所で小さい子に油売ってから。ごめんなさいねうちの人が〜」

先生の後ろから一人のおばさんが寄ってきた。

「いえ、私達の方が訊きたい事があったので」

「あら、そうなの」

おばさんが意外そうな言葉を返す中、先生は静かにハンカチで涙を拭っていた。そして三人に耳を寄せる様に左人差し指で招くジェスチャーをしてきた。

「良いか。お願いだから『夢境入り』を試すんじゃないぞ」

静かな声だが、力強い意思を感じる言葉だった。そして席を立ち上がると、先ほどまでの柔らかな表情のおじいちゃんに戻っていた。

 呆気にとられたまま、その二人が手を振りながら図書館を後にする姿を見守る事しか出来なかった。


「えー夢境入り本当にやらないの?」

図書館を後にして、再びファミリーマートに戻ってきた。涼しい店内のカフェスペースでアイスを頬張りながら話し合う。

「だっておじいちゃんも言ってたじゃん」

「良い子ちゃんぶるなよ」

「ゆうは良い子だもん!」

「キモ!」

「やめなよ二人とも……」

何故か私が二人の仲介に入る。

「そういう団長さんこそ、夢境に行ってみたく無いの?」

「そりゃ行ってみたいけど……」

「でしょ? だからやってみよーよ。こっくりさんみたいなもんじゃん」

「うぅん……」

私は答えかねてしまう。確かに行ってみたい。六夢に会ってみたい。でも、あの永田先生が言ってきた時の目を忘れられない。大人が本気で何かを伝えようとしている時の目だった。

「あ」

店の入店音と共に一瞬の静寂を破ったのは、同じクラスの男子の声だった。

「夢怪盗団!」

「うっさいわね! 今あんたらに付き合ってる暇はないの」

「なんだとー!」

「二人とも行こ」

愛美に言われるがまま席を立ち上がる。先ほど借りてきた○×県研究記を机から持ち上げた時に何かカードが落ちた。それをパッと床から拾い、バッグへ本と共に突っ込む。何も言い返せず立ち竦んでいた男子の横を通り過ぎ、店の外へ出る。そこには別の三人の男子がたむろしていた。

「あ」

「「「あ」」」

お互いに目が合う。一瞬の間。

「夢怪盗だ! 捕まえろー!」

「ちょ」

「もーほんと男子ウザい!」

「逃げよう!」

うんざりする愛美へ優が言う。

 店の駐車場を走り抜け、図書館がある方角の住宅街へ走る。図書館の傍から駐車場へ入り、旧町役場の建物を抜け、もう閉じてしまっている店が立ち並ぶ通りまで出てきた。

「いたぞー!」「こっちだ!」「リョウはやくしろよ!」

と遠くから声がまだ聞こえてくる。

「ほんっとしつこいんだからなんとか探偵団」

愛美はそう言いながらもどこか得意げな顔だった。

「はーキツい! あのお好み焼き屋の裏まで行って、川沿いに逃げよう」

優も何だかんだでこの状況を楽しんでしまっている。

「よし、そうしよう!」

そして私も。

 再び駆け出した時、空は晴れているのに小雨が降り出してきた。私達は水滴を顔面に受けながらまだ走り続ける。「んふっ」という優の一声から自然と笑いが溢れてくる。こうやって三人で居る時間がやっぱり好きなんだ。


 小川沿に走り、小さな農具倉庫の様な建物で雨宿りをした。

「あ、虹出てる!」

「結構近くない? 足元行けそう!」

「宝探しか〜、それも良いね」

「というより、ウチらはまず先に行くべき場所があるでしょ?」

愛美が再び言う。

「えー……」

優がそう声を溢しながら私に目線を寄越す。

「よし、やってみよう。『夢境入り』」

「さっすが団長!」

「えぇー」

「やっぱ夢境に行ってみたい。六夢に会ってみたい」

「りく急にどうしたん」

優は心配そうな目で見てくる。

「大丈夫だよ。……夢怪盗が怪異ごときにビビって、何が怪盗か!」

私は一歩外に出て二人を見つめる。両手を広げ身体を後ろへ反らす。そして目を閉じ顔を空へ向ける。

「大丈夫。三人なら何も怖くない!」

私の完璧な不敵な笑みを二人へ振りまく。そして夏を匂わせる通り雨は足を引っ込め、蒸し暑さだけを残して去って行った。


 私達は日曜日の丸一日、水だけを摂り儀式に備える事にした。『清らかな水で丸一日を過ごす』。儀式の第一歩だ。私は部屋に閉じこもり、学校と町の両図書館から借りた本を延々と読んでいた。おかあさんへは朝ごはんも昼ごはんも要らないの一点張りで部屋から出ず食べなかった。

 ふと、昨日ファミマで本から落ちたカードの存在を思い出した。大きめの肩掛けカバンの底を探ると、一枚のボロボロの厚紙のカードが出てきた。昨日雨に濡れた所為でこうなった訳ではなさそう。もとよりかなり年季が入っている様に見える。

 それは嘗て使われていたであろう貸し出し履歴を記したカードだった。今の様にパソコンで管理していたのではなく、全てこのカードに書いていた様だ。とは言うものの、私の学校の図書館は専ら今もそのシステムだが。履歴の最後には『黒石 灯』と書かれていた。日付は今から九年程前だ。九年……。私が生まれる前からこの本は存在していて、そして私が生まれた年にも誰かがこの本を読んでいたんだ。そう思うと何か不思議な感覚がする。ふと思い、学校で借りた方の履歴カードも見てみる。そして、初めてこの本を読んだ時の様に全身の鳥肌が立つ。私の前にも数人借りた人が記されているが、同じく九年前、そこにも『黒石 灯』の名前が記されてあったのだ。私は気持ち悪くなり、思わずそのカードを床に落としてしまう。黒石 灯。私と同じ様に六夢に魅了された人なのだろうか? いや、それとも単純に郷土史を授業か何かで調べていただけだろうか。履歴カードの学年の欄には『四−二』と書かれている。私と同じ四年生だった人。だとすれば私の九つくらい上の人。灯という名前が男の子なのか女の子なのかも分からない。

 ハッと、永田先生の言葉を思い出す。そしてあの表情。昔六夢について訊いてきたのは、この子なのではないだろうか。私の直感がそう告げる。彼女に何かあったのだろうか。先生にまた会えたら訊きたい。そう思った。


 月曜日の朝。黒く重たい曇り空は今か今かと雨を降らすタイミングを見計らっている。

 じめじめとした教室に入り、自分の席に座る。すぐに持ち出せる様に、バッグにあの二冊は入れたままだ。

「おはよ〜」

優も教室に入ってきた。おはよ。と私も短く返す。昨日の『黒石 灯』について、二人に言うべきだろうか。私は迷ったままだった。

「めっちゃお腹空いたわ〜」

と無理に優が明るく振る舞っているのを感じる。

「“アレ”終わったらご飯食べられるし、もう少しの辛抱だよ」

「そうだね」

と、彼女が向けてくる笑顔が眩しかった。今朝私に弁当を渡す時に、お母さんがとても心配そうな顔をしていたのを思い出す。少し悪い気がした。

「おはー」

いつもの様に朝の読書の時間ギリギリに愛美も教室に入ってきた。私は引き出しから単行本を取り出し、途中から読み始めた。

 一時間目国語、二時間目社会の授業を終え休憩時間となった。

「あー朝から国語はやっぱキツい。滅茶苦茶眠くて困るわ〜」

愛美が笑いながら言う。

「今日はむしろ都合が良いけどね」

「たしかに〜」

これから行う事に対して、緊張と期待が静かに高まっていた。


「青い布、これで大丈夫かな?」

優が持ってきたリボンの様な青い布を自分の手に巻き付け、軽く結び固定する。昼休みの西側校舎の一室。空き教室や理科室等が集中するこの校舎に人は居ない。

「良いと思う」

二人にも布を巻き付け、そして。

「じゃあ……やるよ」

私を意を決し、自分の右人差し指の腹をハサミの刃に当て滑らせる。一本の赤い線が現れ、そこから鮮やかな血がじわと流れ出る。そしてその指を自分の額に付け、三つ目の瞳を描いていく。あの本で見た様な不気味な目。家から隠し持って来たコンパクトミラーを見ながら自分の不思議な顔を眺める。他の二人も恐る恐る自分の指を切り、目を描く。

「なんかヘンな気分」

「私、他の人と違う事がしたいから怪盗団に入ったんだ。だからスゲーたのしみ」

「前もそう言ってたよね」

「何か、今何を自分がやってるのかよくわかんないけど、楽しい」

「私も」

「私もそう思う」

教室の床に横になり、三人で手を繋いで天井を眺めている。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

「夢境で会おうね」


 昼休みの喧騒。雨の所為で校内でしか遊べない生徒達の叫び声、笑い声。壁にかかる大きな時計の秒針の音。両隣で寝る二人の小さな息。床から感じる振動。教室の埃っぽい香り。そして両手から伝わる温もり。目を瞑ると感覚が研ぎ澄まされていくのを実感する。徐々にまどろみ、身体の力が抜けていく……。

 その時、左手首に痛みを感じ目を薄く開ける。

「何、これ……」

思わず声が漏れる。両手を離し、手を上げ手首を見る。皮膚を抉る様に、小さな火傷の様な痕がついていた。小さな爆発が起きた様な、まるで、『火花』が散った様な……。不思議で……。


 目を覚ますと、真っ暗な空間に居た。無音。身体を起こし辺りを見渡す。遠くに淡く白い光が見える。立ち上がると、足は地面についている様な、ついていない様な不思議な感覚がした。私は無心でその光の元へ歩き出した。

「ぐぅあぁ〜……」

うめき声の様な音が聞こえた瞬間、ぐしゃり、と大きな音が一つ聞こえ甲高い悲鳴も聞こえてきた。優の声だ。

「優!!」

私は精一杯の叫び声を上げる。

「あーっはっはっは!」

優の声とは別の、大人の女の様な笑い声が聞こえる。そしてその光に近づき、二つの影が見える。

「陸! にげ……」

その声が途切れる。大きな影が、小さな影を呑み込んだ。

 小さな影、優“だったモノ”、首から上がないその物体がゴトリと地面に倒れ込む。

「優うぅーーッ!!」

私は臆する事なく更に歩み近付く。

 影の輪郭が鮮明になり、大きな影の中身が見えてくる。真っ白な太腿まで伸びる美しい長髪をした女、らしき者がこちらを卑しい目で見つめている。口角が裂け、大きく開く口からは優の黒い髪がはみ出て垂れる。

「あぁ……? もう一人居たのか……」

口に含んだモノを呑み込み、その女がこちらに近付いてくる。

「アンタが、六夢……?」

私は声を絞り出す。

「そうだよ。なんだ、お前はちゃんと喋れるじゃあないか」

「二人を、どうしたの」

「あの捧げ物? いつも通り食べさせて貰ったよ。美味しかったなぁ、久々のヒトは」

全身の血が引き、喉が一瞬にして乾き切る。

「お前も捧げ物か? 一気に三人も捧げるなんて、人間界では何か厄災でも起こったのか?」

「ち、違う……。私達は、ここに来てみたくて、アンタに会いたくて『夢境入り』を試してみただけなの……」

「あぁ? そうだったの、よく来れたねぇ」

“六夢”は何も感じない様で普通に喋り続ける。

「夢境入りとか名前つけて勝手に侵入してくる奴らさ〜、みんな夢の中じゃ『こわい〜』とか、『お腹減った〜』とかしか思ってなくて、全然美味しく無いんだよね」

何を言っているんだコイツは。そうか、夢か、その味の話なのか。

「でもまぁ、本当久々にヒトの意識を喰ったけど、やっぱり堪らないねぇ……!」

恍惚の表情を浮かべ、指を咥えてしゃぶっている。

 六夢。その怪異は私が予想していた通り、美しく、そして危険な、ヒトの形をした化け物だった。

「二人を……元に戻して……下さい」

私は必死で声を振り絞る。涙が出そうだ。急に恐怖心が湧き上がってくる。

「え? そんなのムリだよ。戻したりした事ないもん。それよりさぁ……」

ぐいと六夢が一気に間合いを詰めてくる。少し前屈みになり、私の右耳の横で囁く。

「キミも食べちゃって良いよね? ね?」

全身の筋肉が氷漬けにされた様に全く動かなくなる。

「キミたちが私の“食覚本能”を呼び起こさせたんだ。千年前の巫女が自己犠牲の上に築いた契約を破って、ね」

「ショッカク……?」

六夢の舌が、私の首筋を這う。暖かくも冷たくも無い。ただそこに触れられている事しか分からない。

「ん? 千年前? 少し前にも誰かに会った様な……。まぁいいか。なァ、君の意識を喰う前にさぁ、夢も頂いていいかな? キミは私に会いたいという願いを持って眠っているんだろう? どんな味なんだろうねぇ……」

 ぱっと、六夢の“存在が消える”。まるでそこに何も居なかったかの様に、何もなくなる。漸く動く様になった身体で私は辺りを見る。

 気付けば、宙に大小様々なシャボン玉の様な物体が浮いている。私はその一つを手に取り眺める。何かが中で動いている。

「これが、六夢が眺めている夢……?」

私は直感的にそう感じた。そして、また一つそのシャボン玉が生まれる。私が描いていた六夢がその中に居る。そうだ、私が今見ている夢なのだきっと。私はその夢を掴み取る。そして、その夢を口へ運ぶ。


「あら、夢。食べちゃったんだぁ」

どこからか六夢の声がした。

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