第九話:安らぎ

 深夜は昨日話した通り、ルッテとフィリーネと合流して特訓……って、思ってたんだけど。

 俺を迎えに来たのは、ルッテとフィリーネ。そしてアンナだった。


「申し訳ございません。以前より、ルッテがよく夜に部屋を抜け出しておられたのは気づいておりましたが、今日はフィリーネまでご一緒でしたもので、どうしても気になってしまいまして……」


 俺に対し申し訳無さそうな顔をするアンナだけど、まあフィリーネの時同様、ばれてたんじゃ仕方ない。

 彼女も暗殺者。夜誰かが抜け出すとか、そういう動きに嫌でも過敏に反応したのかもしれないしな。


 結局、俺達はアンナも連れて闘技場に向かうと、各々に特訓を始めた。


 フィリーネには、相手の攻撃に対する防御を担ってもらうべく、護りの術を使う特訓をしてもらう事にしたんだけど。

 ルッテが呼び出したフレイムドラゴンが繰り出す連続した炎を、フィリーネはギリギリまで引きつけ、聖術、魔防壁まぼうへきで防ぐ。

 できる限り短時間の展開にすることで、魔力マナの減少をできる限り抑える訓練だけど、かなり引きつけて対応している辺り、彼女も本当に度胸があるな。

 かなり集中力もいるはずなのに。神魔の魔導書片手に、落ち着いた表情のまま術で的確に炎を止める姿は流石の一言。


 そんな二人の特訓を横目に、俺とアンナはっていうと……闘技場の壁の側で、二人並んで座っていた。

 壁に背をもたれる俺の隣で、彼女は脚を崩し、気落ちした顔を見せ俯いている。

 俺と手合せした後とはいえ、殆ど息を切らしてないのは凄いと思う。

 けど、この表情だ。納得なんてしてないだろう。


 ……アンナとの手合わせは、この間俺が我を忘れて必死になった時以来。とはいえ、このパーティーを組んでからも、それ以前にも彼女とは手合わせしているし、互いの実力を知っている間柄。

 だからこそ、今日の彼女の動きが、本来の彼女から程遠いってのはよく分かった。

 

 合間に挟んだ幻像ミラージュ不意打ちバックスタブも見え見え。

 振るう鞭の動きも精彩を欠いていてキレもない。


 あまりに彼女らしからぬ動きに、俺が手合わせを一旦止め、休憩を申し出たんだけど、理由を話さずとも俺の判断を理解したんだろう。

 アンナがそこで見せた口惜しそうな顔は、今でも頭にこびりついている。


「……申し訳ございません。わたくしが不甲斐ないばかりに」

「何言ってるのさ。アンナだって日中美咲に付きっきりで大変だっただろ? 気にするなって」


 彼女の自責の念を笑い飛ばそうとそんな声をかけたけど、俯いたままの彼女の表情は晴れない。


 ……きっと、アンナにも気づかぬ内に無理させたんだな。

 美咲を連れて行く時に護衛すると提案した時、弱気なんて微塵も感じなかった。

 だけど彼女だって、ザンディオとの戦いに不安を持ってた。それを一朝一夕で拭えなんて無理だもんな。


 パーティーに入って、いきなりこんな危険な戦いになると思ってなかった。

 だけど、それが俺の甘えだ。

 入ったのが聖勇女パーティーである以上、それは頭の片隅に置いておくべきだったし、それを覚悟した上で入ってもらうべきだったってのに……。


 俺の心の中で、彼女を聖勇女パーティーに推薦した後悔がもたげそうになる。

 だけど、今ここで後悔しても変わらない。

 俺だって、ロミナだって、皆だって不安はある。それが当たり前なんだから。


「……アンナ」

「はい」

「アンナって、凄いよね」

「え?」


 俺が掛けた言葉に、不思議そうな声で彼女がこっちに顔を向ける。


「……やっと顔を上げてくれた」

「冗談はおよし下さい」


 そんな彼女にふっと微笑んでやると、はっとした彼女が思わず恥ずかしそうに俯き小さくなる。


「冗談じゃないさ。美咲の護衛を買ってでも、一緒に連れて行ってやってくれって言ってくれただろ? ……きっと、あの時も不安だったんじゃないか?」

「それは……」

「……正直に話して」

「……はい。申し訳ございません」


 またも表情に憂いを見せるアンナ。

 本当、彼女はメイドだったにしても真面目過ぎるな。まあ、だからこそ安心できるんだけど。


「カズトも、やはり不安なのですか?」

「そりゃそうさ。アンナの弱音を聞いた朝だって、俺は思った。何とかして護らなきゃって。まあその気負いが空回りして、稽古でミコラやアンナを驚かせたけど、きっとそれを見てアンナは後悔しただろ?」

「……はい。私の弱さが貴方様を余計に気負わせてしまったのではと……」

「そうだよなぁ。まったく。俺も弱いな」


 俺は自嘲気味に笑うと、続け様にこう口にした。


「でも、これで俺もアンナと同じ。おあいこさ」

「……」


 ゆっくりと顔を上げたアンナは未だ、不安そうな顔をしてる。


「俺は、皆もアンナも優し過ぎるって思ってる。美咲の件だって、普通のパーティーならきっと、冒険者じゃない奴の同行なんて許さない。だけど皆はそれでも、あいつの気持ちを汲んでくれたんだから」

「……そんな事はございません。しかもその結果、自ら受け入れたにも関わらず、わたくしはより強い不安を持ったのですから」

「良いんだよそれで。俺だってアンナ達に美咲の世話を指示したけど、今だって不安だし、納得なんてできちゃいない」

「え?」


 予想外だったのか。

 唖然とするアンナに、俺はにこっとすると、視線を逸らしてルッテとフィリーネの特訓に目を向ける。


「何かを背負っても、不安なんて拭えないし、それでいい。ただ、そんな不安を持ってでも、やっぱり勝ちたいって思ってる。まあ、特訓で振るわなくたって、本番で結果を残せばいいだけさ」


 そこまで言うと、俺は再び彼女と視線を交わす。


「いいか? 俺達は本番に強いから大丈夫さ。ウェリックを闇術あんじゅつから解き放てたし、封神ほうしんの島も封印し直せたし。シャリアとアンナを水晶から助け出して、魔王も倒せて。一度は死んだけど、それでも俺達は再会だってできた。な? 本番に強いだろ?」

「……その殆どは、貴方様の功績ではございませんか」

「何言ってるのさ。ウェリックとの戦いで死にかけた俺を、救ってくれたのはアンナじゃないか。あれがあるから今があるんだぜ」


 そう言って笑うと、アンナは「あっ……」と短い言葉を残すと、真っ赤になって俯きもじもじとしだす。


 ん? 何で急に……あ……。

 そういや俺、あの時初めて……。


 すっかり忘れていた想い出が急に蘇ってしまい、俺も思わず視線を逸らした。


 忘れていた、唇に感じた柔らかな感触。

 って、何でそんなの生々しく思い出してるんだって!


 一気に火照った顔を、必死に掌を団扇代わりに冷やそうと試みるけど効果なし。

 ま、まあ、あれだ。

 あくまで今までの話をしただけ。

 意識するなって。


「あ、あの時はその、ほら。めちゃくちゃ感謝したし。アンナだってやればできる……って、その、変な話じゃなく、頑張れるっていうか、その……」


 あーもう!

 恥ずかしさで何言ってるか分からなくなって、完全にしどろもどろになってるだろ!

 少しは例えを考えろよ! 俺の馬鹿!


 どう顔向けすればいいか分からず、頬を掻き困っていると、隣から「くすっ」と小さな笑い声がした。


「……カズト。やはり貴方様はお優しいです」

「そ、そんな事ないって。それより変な事を思い出させて、ごめん」


 バツの悪い顔でちらっとアンナを横目で見ると、未だ顔は赤いけれど、少し嬉しそうな笑顔を見せてくれていた。


「いえ。あれはわたくしにとっても、大切な想い出ですから」

「そ、それならその、良いんだけど……。でも、まあその。言いたいことは、分かってくれたかな?」

「はい。……やはり、わたくしは貴方様に敵わないという事が」

「……へ?」


 どういう意味だ?

 俺が彼女を見たまま戸惑っていると、彼女はしおらしく俯くと、床に置いていた俺の手に、そっと手を重ねて……!?


「ア、アンナ!?」


 ルッテ達に見られてないか気になって、視線を彼女達に向けたまま、小声で驚きを口にしてしまう。


「申し訳ございません。少しだけ……このままでいさせて下さいませんか?」

「だ、だけど……二人に、へ、変に勘違いされるだろ?」

「そのような目で見られぬよう、細心の注意は払いますので」

「う、うん。まあ、その……それなら……」


 口を濁すような返事をすると、アンナはぎゅっと手に力を込め、囁くように語り始めた。


「……わたくしは、貴方様の温もりを感じる度、安らぎと希望を感じて参りました。貴方様がカルドとして死の淵を彷徨った後も。命を落とされたと思っていた貴方様と、再会できた時も。海で手を繋いでいただいたあの時も。わたくしは、貴方様の温もりに救われたのです」

「……そんな。大層なものじゃないって」

「いいえ。わたくしにとってはそうなのです。ですから……このひと時で、わたくしは貴方様から力を頂きます。未来を切り拓く、勇気を」


 ……俺はそんな凄いもんじゃない。

 ただ、ロミナを抱き締めちゃった時も、あいつは落ち着きを取り戻してたし、少しは役に立ってるのかもしれないな。


 恥ずかしさは相変わらず。

 だけど、確かにアンナに手を握って貰っていると、少し安心する気がする。

 ちらっと見たアンナの横顔も随分穏やか。それを見るとほっとする。


 何処か気持ちが安らぎ始めたその時。すっとアンナの手が離れ、そして。


「カズト。どうかしら?」

「フィリーネの動き、中々悪くないと思うが」


 と、二人が一度手を休めこっちを見た。

 って、アンナはあの距離の二人の気配を感じ取ったのかよ。凄いじゃないか。


「……どうかしたの?」

「あ、いや。さっきの特訓としては十分良いと思う。ただ、ブレスも弾だけとは限らないし、今度はこんな特訓をしてみたらどうだ?」


 フィリーネの不思議そうな声にはっとした俺は、慌てて立ち上がると、恥ずかしさを誤魔化すようにルッテ達に走り寄り、次の特訓の提案を始めた。


 正直恥ずかしさはあったけど、俺もアンナのお陰で少し落ち着けたし。もう一踏ん張り頑張らないとな。

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