@singo1982

もうひとつの人生

布団の下からも、寝ている横の壁の隙間からも寒気が迫ってくる、もの凄く寒い朝だ。

この部屋の外気温と室内の気温はほぼ同じなのではないだろうか?

有悟は今微睡みの中にいる。

布団からはみ出た、頭部や顔が冷えに冷えて、彼を無意識から意識のある、無から有の、夢から現実の世界に連れ去ってくるかのように、しかしまだ完全には移行されていない状態であった。

やがて、スマートフォンのアラームがけたたましくなり、彼は起き出す。

薬缶に水を汲み、湯を沸かす。

マグカップはこれもまたヒンヤリと無機質に佇んでいた。

湯を注いで体内に入れると、身体が芯から冷えていたのがよく分かる。

やがてトイレに向かい、長い時間を過ごす。

朝御飯は食べない、否食べられない。

通勤時間中にトイレに行くことを避ける為である。

トイレから出ると、昨日から用意してある服を着て、時間を確認すると、またトイレに入る。入りながら、スマホで時間を確認し、昨夜の最後に食べた時間を思い出し、

「6、7、8時間だから大丈夫か、、」

しかしそれからまた暫くそこに籠っていた。

用意が整うと、相変わらず寒い部屋を見回して立ち竦む。

身体の中の温かさと部屋の冷たさを感じ、

調和出来ていないこの状況は、自分の世界と社会とが調和出来ていない状況と全く同じに感じ、ただ不安の中に埋没されそうになるのを、首だけは出して呼吸し何とか生きている息苦しさをどうすればよいのか、身悶えしているのである。


職場には何とか辿りついたが、1時間で着くところを2時間掛かる毎日は働く前から疲労感を感じさせる。

「佐藤、これ並べておけ。」

年下の上司の葛原が、入荷したレタス箱を指さした。

「分かりました。」

「悪かったら見切りに回せよ、見切り基準いつも甘いから。」

「気をつけます。」

やがて10個ばかりの質の悪いレタスを抱えて、加工場に行くとおばさん連中が忙しく手を動かす。

「あの、すいません、これ直してください。」

ギロりと、リーダー格の主婦が有悟を睨みながら、すぐにレタスを見て、

「左から2個目と3個目はまだいけるから戻して。見切らなくてもいいものもらいっつも持ってきて手間が掛かるわ。いい加減覚えてよ」

と言い、すぐに視線を手元に戻す。

急いで売り場に戻ると、戻せと言われたレタスを並べる。

作業は次から次へと続く。

何とか開店に間に合い、ホッとしていると、葛原がレタス売場で止まった。

「佐藤さーん」

御客様の前だとばか丁寧に。しかも、さん付けに変わる。

急いで向かうと、

「これとこれ、何で見切らないの?」

と先ほど加工場の主婦に戻せと言われた2つのレタスを指差した。

有悟は下を見つめたまま、

「すいません。」

と呟いてフロアのベージュの上に滲む染みを眺めていた。

その染みを眺めていると、周囲の雑音が一切消え、染みが大きくなったり小さくなったりしながら、近づいてきて、時間の感覚が分からなくなり、次第にフロア全体が有悟の眼前に迫り呑み込んでいった。

周囲の雑音が戻って、顔を上げると、葛原はいなかった。

(またやってしまった、、。)

時計を見ると、長い時間が過ぎたと思っていたが、思っていたより時間は経っていないみたいであった。

すぐにレタスを持って加工場に入ると、

「斉藤さん、また有悟さんじーっと下を向いて目が放心した状態だった。」

「また~。いつもそうだよね。

やる気がないし覇気もないし覚えも悪いし。」

「厳しいですね~斎藤さん。」

「葛原さんには負けますよ。」

「朝もレタスの見切りしっかりして、と伝えたのに見落とし。それで注意してたんですよ。」

「見切りもまだ覚えないんだね。」

2人の会話に周囲も意地悪な笑みを浮かべる。

そーっと、忍び寄るように有悟が近寄ると、葛原がそれに気づき、

「斎藤さん、有悟さんのレタスを見てください。これじゃあダメですよね?」

「どれどれ。」と言いながら有悟に笑顔を向けて2つのレタスを受けとる。

それは先ほど、まだいけると斎藤が言ったレタスであった。

「有悟さん、こんなの出してたら信用失ってしまいますよ。気をつけてくださいね。葛原さんの判断通りだと思います。」

斎藤は平然と言った。


仕事は朝7時から夜9時半迄で、休憩は昼の1時間だけの時もあった。

とにかく早く終えて家に帰りたいとしか思えない日々であった。

有悟は生きていること、生活していくことへの倦怠感を引きずりながら生きていた。

生活には何の楽しみも張り合いや喜びもなかった。

少なくとも起きてい時間は、、。

それは食事にも当てはまった。

貧乏舌というのは、何を食べても美味しいことだが、食べること自体にも興味がなく、なので夜は手軽なお店によって10分で食事を終え、帰宅を急いだ。


部屋にはガスストーブがあり、帰宅するとすぐに付ける。カーテンはいつも締め切ったままであるが、帰ってからは一度空けて外の空気を入れる。

一人暮らしなのでお風呂は面倒で、シャワーを浴びている。

毎夜眠る前に安い缶チューハイを温いまま舐めながら、お香を焚くと直ぐに微睡みはじめる。

部屋が暖まりはじめ、酔いと共に力が抜けてゆく、、。

有悟はもうひとつの朝を、人生を迎える。



昨日は昼までゆっくり寝たあと、シャワーを浴びてから、美佐と待ち会わせの渋谷に向かった。

2人とも楽しみにしていた映画を見る為だ。

カフェで有悟はホットケーキを、美佐はパフェをブランチとして頬張り、映画館に向かった。

美佐と手を繋ぐと、きめの細かい肌からしっとりとした感触と、セミロングの髪からは洗い髪のシャンプーの香りがして、有悟は心地よかった。

映画館のロビーで有悟がトイレから戻ろうとすると、同い年くらいのカップルの男がしきりと美佐を盗み見しているのがわかった。こういうことは初めてではない。

多分見とれているのだろう、と有悟が思うくらい美佐の容姿は綺麗だった。

「入ろうか?」

「うん。何、にやにやしているの?」

「ちょっと、良いことがあって。」

「なになに~、変だよ~教えて~」

普段は仕事もテキパキとこなし、大人の女性と見られる美佐の可愛らしい声で甘えてくるのを味わえるのを満足していた。

映画は世界的にも有名なスパイシリーズで、2人とも満足できた。

中途半端な時間なので、タクシーで宮益坂を上がり、神泉の交差点からブラブラと歩いた。

10分程歩き、大きなカフェに入り映画について話しあう。

「やっぱり、男からするとあのスパイは格好良い、いわば理想の形だね、ダンディズムの。ストーリーはいつも変わらないんだけど、後は景色や写真の美しさがいいんだよなぁ。」

「女からしても格好良いよ。しかも出てる女優も綺麗さと可愛らしさを両方兼ね備えていると感じる。」

「次回のシリーズはいつかなあ?」

「早く見たくなるね。その前に今回のシリーズも3回くらい見直すと思うけど。」

「そうだね。ところで今日の夕食どうする?何を食べようか?」

「有悟のプランは?」

いつも有悟は3つくらいプランを用意してくるのを美佐はもうわかっていた。

美佐の気分に合わせて最後は有悟が決めるのだ。

「寒いから暖まりたいなら、鍋。

イタリアンでフルコースならば東山の前に行ったところ、日本酒の気分ならば神泉のお寿司。」

美佐は何にするか思案しだし、細長く華奢な指をカップに付けて何回も触った。

「決めた!日本酒で今日は酔おう。

明日は二日酔いでもいいかなぁ?

お泊まりは有悟の家でいいよね?」

「今日はホテルでなくていいの?」

「うん。朝ゆっくりしたいから。」

「じゃ、まだ早いから、ここで本を探すね。」

「うん、探しておいで。」

有悟はスマホを取り出して、仕事のメールをチェックしだし、美佐は本のブースに向かった。

寿司屋では二人ともよく飲み、お寿司も堪能した。

食べ終えてから、タクシーで有悟の自宅まで向かった。

3DKのデザイナーズマンションで、凝っているところは、寝室にシャワーがガラス張りでついているところだ。

「シャワー先に浴びさせて。」

潤んだ瞳で美佐がいう。

「どうぞ。」

そう言って、有悟はベッドに倒れこみ、美佐が浴びているシャワーをガラス越しに眺める。目蓋が閉じて、シャワーの水滴の音だけになった。


トタン屋根に叩きつける雨音で目を覚ました。まだ起きる時間ではないが、また眠れそうにもなかった。雪ではないだけましか、と思い、出勤の準備をはじめた。

アパートのドアを開けると、ザアーっと強い雨が吹き込んでくる。

天気予報は久しぶりの雨で1日中降ると言っている。

店につくと、案の定、御客は少なく暇であった。

珍しく葛原が機嫌よく話し掛けてきて、

「佐藤さん、今日早上がりしても大丈夫ですよ。その代わり、明日は私に早上がりさせて下さいね。」

明日は今日の反動で混むことも予想されたが、かと言っても断われないので、

「ありがとうございます。明日は任せて下さい。」

と慇懃に答えた。

18時頃店を出ると雨はまだ降っていた。

久しぶりにどこかへ寄って帰ろうかと思い、最近足が遠退いている最寄り駅のカフェに行くことにする。

ここの手作りハンバーグとコーヒーが好きなので、夕食もここで取り、食べてからのんびり本でも読もうと、読む本を買いに本屋に立ち寄った。

久しぶりに嗅ぐ、本屋の本の臭いだった。

各コーナーを回り、東野圭吾の小説を文庫で買って、カフェに向かった。

「いらっしゃいませ。」

入り口の左手側から落ち着いた男性店員の声がした。

しばらく来ないうちに、スタッフも変わったのであろう、知らない店員であった。

傘を仕舞おうと傘立てに目を移すと、

吃驚として思わず声が出そうであった。

何とか動揺を隠し、席に座った。

注文はコーヒーだけにして、しばらく店内を見回してから呆然とした。

その傘は忘れることのない傘であった。

木の持ち手のところに、彫刻が彫られているかのような変わったもので、有悟のものであった。

もう一度店内を見回して、女性客を探したが、知っている顔はなかった。

有悟は3年前に同じ職場の同僚と付き合っていた。初めて付き合った異性で、最初は向こうが積極的に交際を望んでいた。有悟は恋愛に今もだが慣れていなくて、いいや寧ろ異性に慣れていなかった。

しかし、彼女に慣れていくに従って、有悟の方が積極的になり、夢中になった。

彼女は加奈と言った。

加奈は母子家庭で育ち、妹が1人いた。

何故だが元々結婚願望が強く、よく

「結婚したら、こんな料理をして旦那を待ちたい。」

「子供は二人は欲しい。」

「有悟との子供、楽しみだな。」

等と将来を見据えた発言を自然としてきた。いや、自然を装おっていただけのことかもしれない。

交際は順調に進んでいた、と有悟は思っていたが、有悟の自宅に今までプレゼントしたものや貸していたもの等を持ってきて、突然に加奈の方から、

「他に好きな人がいて、結婚する。」

と告げられた。

何やら訳が分からず、加奈が去ろうとしていた時、雨が降りだしそうなことを思い出し、加奈にプレゼントされた傘を、

「雨降りそうだから、傘持っていきなよ。」

渡して無理やりドアを閉めた。

ただ呆然として、会社も3日間休んだ。

関係が深まり、2人でいることが当然のことになっていたので、現実感が伴わず、加奈がいないことが信じられなかった。

有悟は自分が壊れていくのがわかった。

会社を退職し、蟄著した。

数ヶ月経ち、どこでもよいからと 今の職場に流れた。

座った席から傘立てとレジ見れる。

注文したコーヒーを飲みながら、惨めな気持ちになったが、やめられなかった。

コーヒーが冷めた頃、忘れられない姿がレジの前に現れ、やがて店内にいた背の高い男に手を振って、席に着いた。

心臓が痛かった。心が張り裂けそうになるとはこういう気持ちかと思い、すぐに席を立ち、外にでた。

そのまま、すぐに牛丼やに駆け込み食事をかきこんだ。

帰りにスーパーに寄り、ビールとハイボール缶を買いレジに並ぶと、店員が訝しげに見つめる。恐らく、涙が流れ表情がひきつっているのだろう。

自宅に着いてすぐにガスストーブを付け、ビールに手を伸ばす。

(やっぱり、、、現実だったんだ、加奈は俺から完全に去ったのだ。)

ウゥーっと呻きながら、布団にくるまる。

部屋のカーテンの模様を眺め、感情を切り離す。

夢を見ている、起きなきゃいけない起きなきゃ、、美佐が呼んでいるから。

布団に寝たままビールを飲み干して、ハイボールも半分まで一気に呷る。

今度は部屋の照明をリモコンで暖色にし、ぼんやりとした光りを眺め続け、瞬きを繰り返し、深呼吸をする。


軽い酔いが残っているようだ。

右の肩に美佐の温もりを感じたまま、

朝日が眩しくて、目を覚ます。

まだ起き上がる気になれずに、右手で美佐を抱き寄せる。こちらに身体を向けた美佐のパジャマの間から胸が見えて、昨夜の残り火から、少しずつまた火がついた。

胸を手で揉みながら、首筋にキスをすると甘い吐息が漏れはじめる。

「んーん、、、あ、」

胸の谷間に顔を埋め舌先で柔らかい突起を舐め、舌の下で突起をなぞると美佐が眼を覚まし手で有悟の後頭部を押さえる。

「ああ、んっ。」

有悟は起き上がり、美佐を見つめる。

「おはよう、有悟、、また感じちゃうよ。」

「おはよ、俺も欲しくなっちゃった。」

「きて、、。」

やがて2人共ひとつに絶頂を迎えると、そのままベッドで微睡んだ。

交代でシャワーを浴び、シャンパンと果物のブランチをベッドに寝ながら摂っていると、

「有悟好きだよ、有悟のぜ~んぶ」

「俺もだよ。」

「有悟、今日はどうしよっか?行きたいところや欲しいもの、ある?」

「外は寒いからな~。

露天風呂とかにゆっくり入って、暖かい部屋で仕事を進めたいかな。」

「露天風呂いいね。部屋に付いてるところで私も仕事を進めたいな。でもそれって今日の話し?」

「うん。決めた!今から用意して、2泊分位、予定なければ行こう。美佐は今からタクシーで家で待ちながら用意しといて。俺用意整い次第迎えに行く。」

「ほんとに!?」

「本当に。仕事の準備して行こう。」

2人共、フリーで働いているので予定はいくらでも調整出来た。

有悟は以前から行こうと思っていた長野の宿をスマホで出し、当日なので一応電話した。

幸いに宿は取れたのですぐに美佐をタクシーに乗せ、冬の完全防備の用意をし、部屋を片付けて準備が整うと外に出た。

2月の寒さと乾燥した空気が有悟を包んだが、何か澄んだような雰囲気は嫌いではなかった。

美佐にLineをすると、あと1時間くらいで用意して出れるとのことなので、美佐の家の近くのカフェで少し仕事をして待つことにした。

タクシーを拾い、新幹線のチケットを予約者するとすぐに着いた。

有悟の仕事は、広告代理店の下請け兼飲食店のオーナー兼物書き、といったところだろうか、、。時間的には自由になる働き方だし、しょっちゅうあっちにこっちに身も頭も心も動き続けるので性に合っていると思っている。

切りの良いところで美佐から連絡があり、タクシーで駅に迎い東京駅に向かった。

駅でビールとおつまみを買い、2人で乾杯した。

雲の多い1日だったが、車窓の外から雨が見え、次第に雪に変わった。

いつの間にか美佐は有悟の肩に寄りかかり寝ていた。


やけに静かなそして一段と寒い朝だと思った。

一瞬、寝過ごしたかと思ったが時間を確認するとまだ起きるまで15分ばかしあった。

昨夜、加奈が恋人といるところを目撃しショックを受けて帰り、もうひとつの世界に行った。今日は葛原が早く帰る日で仕事量が多い。

憂鬱なしかしいつも通りの始まりだ。

スマホのニュースを眺めると、積雪に注意とあって飛び起き、窓を開ける。

深々と降り、5cmは降り積もっていた。

すぐに用意を始め、長靴で外にでた。

駅までは徒歩だ。

有悟の通勤の時間はバスはまだない。

雪だと自転車も乗れない。30分近く歩き何とか駅に着き、電車に間に合った。

車内は暖かく、座った座席の後ろに目をやると雪景色があった。窓の結露を拭き、振り返りながら目をやると、少年の時に家族で行った冬の旅行を思いだした。それは小学校3年生の時にスキー旅行で新潟県を訪れた。有悟の両親と兄と4人で、父のいとこ家族と東京駅で待ち合わせして新幹線で行ったのだ。初めての、雪景色、スキー、でとても楽しかった思い出だ。

一番印象に残っているのは、夕食を宿で取り夜遅くまでみんなでゲームをしたことだった。当時流行っていた「人生ゲーム」で、有悟は2日続けてトップだった。2位はいとこの孝で、孝とは同い年であった。

有悟の両親と兄は、今から5年前に交通事故で死んだ。兄が両親に旅行をプレゼントし、帰りの自動車で逆走してきたトラックを避けきれずに即死だった。

父のいとこ家族はどうしているか知らない。孝は中学生位から不登校になりそのまま引きこもり気味というのを随分前に聞いた。

(あの時はまだ不幸せでもなかった。

いや、幸せだった。家族がいて、自分の存在が大切な人の何かに繋がっていたと思う、、。)

店に着いてからは、雪掻きが待っていた。

とにかく寒くて手が悴んできた。

身体が芯まで冷えきり、そのあと野菜に触れると、寒気がしてきた。

開店してもお客は疎らで暇であったのが救いであった。

葛原や斎藤も暇で機嫌が良く、早く帰る話しばかりしている。

「佐藤さん、今日は早く上がります。

休めるときに休まないと、残業減らせと会社がうるさいのでね。」

昼休みを過ぎると早々に葛原らは上がっていった。

夕方のピークもなく、淡々と時間が過ぎていった。

こんなにも平穏に仕事に終われることもなく過ぎていくのは入社以来初めてかもしれない。

他のスタッフも早々に仕事を終えて、暇をもて余して、心なしか穏やかで、普段まったく喋りかけてこないスタッフまで有悟に話しかけてくるような日であった。

順調に仕事を終えて、電車に乗ってスマホを開くと、メールが1通入っていた。


差出人:卓

件名:田中光弘君のこと


ご無沙汰してます。

栗城中学校3Cで一緒だった、光村卓です。

覚えているかな?

以前のメールアドレスで合っていれば届くと思い連絡しました。

さて、3Cで一緒のクラスだった田中光弘君(佐藤君は1年のとき1Bだったから、1年の時も一緒だった??2年は僕と同じ2Dだったから違うね ) が、この度、飛翔文学賞を受賞されました。

クラスでお祝いし集まろうと思い連絡しました。

尚、会は飛翔文芸社の取材も兼ねているそうです。


日時:20✕✕年 3月22日(日) 13時

場所:沢所ホテル 雅の間

会費:5,000円

形式:立食バイキング


返信待ってます。


光村は誰に対しても平等に優しく接する人の良い男で、人とあまり関わらない有悟にも何かと気を利かせてくれた。

そして、田中とは、3年生の時の夏の読者感想文コンクールで共に全国大会で入賞した時に、市役所まで市長の招きで表敬訪問した事をよく覚えていた。

もう、何の本を読んだ感想だったのか等は忘れてしまったが、田中は普段から妙に先生達や大人のの評判が良く、感想文も自分の方が良く書けていたと思っていた有悟は何となくよく思わない存在になっていた。

卒業以来特に接していた訳でもない旧友の活躍に、嫉妬を感じ不愉快になった。

それは小さな不快を感じると、別なより大きな不快を思い出し、それは蓄積し根雪となっていくような気がするのであった。

有悟は以前の職場で仕事が順調だった事、しかし同僚との諍いや上司からのパワハラに嫌気が差して昇進から自ら降りた事、

加奈と別れ退職した事、両親と兄が死んでしまった事、高校生の時に好きな異性にずっと告白出来なかった事等を思い出しては、前向きになれず屈託している自分を発見し驚いた。

まだ自分にも人を羨むような、ある種希望を求める気持ちが残っていたのかと

、、。

雪が止んだ外に向かって

「そんな筈はない、そんな筈は、、」

と呟き続けた。

帰ってからは焼酎のお湯割りを飲み、お香の香りに包まれたままいつもの眠りについた。


帰りの新幹線では2人とも充実感に溢れていた。

有悟はオーナーとなっている中華居酒屋が話題となり、某コンビニが出す中華まんの監修のオファーが、旅行2日目の午前中に届いた。

1度このような監修を引き受ければ、他の業態もオファーを受けやすい状況になる、と有悟の周囲のオーナーから聞いていて、今後の展望も拓けてきた実感がある。

美佐は広告代理店の下請けの仕事が評価され、今の案件よりさらに大きい案件のオファーを受けた。報酬も良く、また美佐の権限でひとりアシスタントのポジションの人間を加えることが許された。

このオファーは旅行2日目の午後1番に届いた。

2人共ゆっくりと湯に浸かりながら、身体を休めながら仕事もするという予定であったが、2日目は目一杯仕事モードに切り替わり、夕食も味わうというより、仕事の合間に摘まむような形となり、仲居さんからも、

「お忙しく大変でございますね。

どうぞ冷めたものは温め直しますので。

と言われ、かえって気を遣い急いで掻きこむかたちとなった。

部屋には露天風呂がついており、雪見風呂が楽しめるが、2日目は夜眠る前に2人で入っただけであった。

2人で湯に浸かりながらも、各々は自分の仕事で頭は一杯であり、しかし妙にお互いが側にいると安心感に包まれた。

翌朝は除雪された道を散歩した。

雪が周囲の音を吸収し、世界を2人のものにする。

有悟はこのまま美佐とずっと2人で生きていきたいと思った。

そして今新幹線の車内で、何時何処でプロポーズしようかと思って、美佐と車窓を交互に見つめていた。


夢?いや自分が生きている現実。

もうひとつの、現実。

いや、やはりあれが現実でこれは夢。

この夢は有悟にとってとても辛く魘されるような悪夢だ。

時間の観念や間隔だけは妙にリアルで、相変わらず部屋は寒く、今朝も胃がムカつくのだ。

しかし昨日受け取った田中の躍進も、よく考えてみれば有悟にとっては自分の仕事の成果の方が価値があると思えて、今朝の気分は悪くない。

朝出勤すると葛原から、

「佐藤、お前昨日プライスカードつけ忘れてたぞ、3枚も。弛んでいないか?」

と、顔を合わせるなり直ぐに怒鳴った。

怒った葛原はいつもと様子が違う佐藤を見て、たじろいた。いつもはボーっと遠いところを見る目付きで、何か別な世界に行っているような、返事はするが弱々しく従順さは見せる姿が、今朝は投げやりな目線で開き直って突っ掛かってきそうな雰囲気だ。

「いい加減にしろ、、。いくら夢んなかとはいえ毎日毎日、、。」

ぶつぶつと呟く有悟の顔色は血の気が失せ、蒼白だ。

「なんかあるんなら言って下さい。プライスカード、忘れてるでしょ?」

「それは今朝配信されたやつだ、、いい加減にしろ、、。」

「えっ、そう?確認してみるけど。だけど何がいい加減にしろ、なんですか?」

遠くから見ていたスタッフは異変に気付き、バックヤードに入り、斎藤に知らせた。

バッカーン、と何かが吹っ飛んだような音がした。

有悟が何かを投げたようだ。

そのまま、エプロンを投げ捨てその場を去っていった。

外は妙に眩しく感じ、有悟は思わず目を瞑った。

とにかく店から離れたくて、電車に乗って都心に向かった。

中央線の郊外を抜け新宿で降りる。

アルコールを入れたくなり、何が呑みたいかと改めて考えると、寒いので焼酎のお湯割りが良いと思ったが、空いている店をスマホで探すと、多くはなかった。

まだ9時前だ。

24時間オープンの居酒屋に入り、焼酎のお湯割りで身体を温める。

1人前の鍋とつまみで温まったので、瓶ビールを常温で頼んだ。

大丈夫だ、あの会社を今すぐ辞めても、フリーの収入でやっていける、俺はあんな惨めな環境で1日中働くことはしたくない、と言い聞かせた。

職場の同僚とも馴染まなかったので、突然辞める事で迷惑をかけることにも気が咎められる事もなかった。

頬が火照り、目蓋が重たくなって眠くなってきた。

少し何処かで休もうと思うが、ビジネスホテルのスティプランを調べる。

席を立ち上がる時に足元がよろけ、酔いが回っているのを感じ苦笑しながら会計を済ませ外に出る。

日が出てきて多少の温もりは感じたが、やはり寒い。

ビジネスホテルで湯舟に浸かり、ハイボール缶を2本空けた。

部屋を真っ暗に、闇にして、仰向けでいると、意識が遠退いていった。

夕方に目が覚める。

部屋は暗く、一瞬何処にいるか分からなかった。とにかくホテルを出なきゃと外にでる。

やはりこの時間の乾燥した風は寒い。

高島屋のレストラン街で何か食べようと思い歩きだす。目の前を自分と似た年格好の男が歩いてる。そうだ、美佐に連絡しようと、ズボンのポケットに手を入れようとした時に、男が手を振った。

待ち合わせだったのだろう、10メートル先を女性が男に向かって歩いてくる。

一瞬目を疑った。

(美佐だ。)

「香~、お待たせ。」

自分と似た男が美佐に話しかける。

(美佐に間違いない。)

男の顔は見えない。急いで美佐に連絡をしようと、スマホのLineを見る。

画面には数人の連絡先しかなく、美佐の連絡先はなかった。その場に立ち尽くし、

「あぁ~」

と叫んだ。男は怪訝そうな顔で振り返った。

有悟はもう二度と美佐ともう1人の自分の夢は見なかった。






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