第7話

「並と大盛、それと特盛を一つづつお願いします」


「かしこまりました」


 店員に注文を告げ吉乃よしの達に向き直ったのは先程ペットショップの前で出会った男性だった。


 三人は今、牛丼屋の席に座っていた。牛丼屋と言ってもここは大手のチェーン店で、もちろん吉乃が目指していた店ではない。広い店内にはカウンターに加え充実したテーブル席もありグループや家族でも入りやすい店だ。食券ではなく席に着いてからメニュー表を見て注文するのもこの店の特徴だ。


 あれから三人は立ち話もなんだからと、男性が選んだ近くにあったこの店に移動して来たのだった。


「本当にここで良かった? 何でも良かったんだけど」


 優しく微笑んで彼が言う。


「だ、大丈夫です! それに元々牛丼が食べたかったので!」


 背筋を伸ばし姿勢良く椅子に座る吉乃。店に似合わず必要以上に畏まっている。

 一方、緊張感すらある彼女の姿とは対照的に、隣に座る紅緒べにおはつまらなそうな表情を浮かべ頬杖をついていた。と言うのも男性と会ってからここまで吉乃にほとんどないがしろにされて来たからだ。さっきから吉乃の視界には目の前の男性しか映っていないようだった。


「で? この白米みたいな男は何なのさ?」


 不機嫌そうに紅緒が言った。

 ちなみに、白米みたい、それは彼を見て紅緒が受けた印象である。


 白いワイシャツ、肌も白い。特別イケメンでもなければ不細工でもない、実に普通。平均顔。体格も中肉中背。毒は無さそうで人畜無害。真面目そうだが、見た目から想像するに面白味は無さそう。


 と言った感じ。

 そんな紅緒の不躾な態度に慌てたのは吉乃だ。


「ちょっと! 何いきなり言ってるのよ先輩に失礼でしょ!」


 それから吉乃はチラリと正面の男性を見て小さく呟いた。


「確かに、ご飯、みたいだけど」


 ご飯みたい、それは彼に対して吉乃が以前から持っている印象である。


 癖が無くて淡白、だけどその実噛めば噛むほど甘く味が出るご飯のように知れば知る程面白い。そんなご飯の甘味のような柔らかな優しさも持っていて、何にでも合うご飯のように、誰とでも上手くやっていけて、うん、ご飯みたいに変に主張はしないのにどんな場所でも自分を見失うことなくいられる人。特別イケメンではないけれど決して不細工でもない。いや、どちらかと言えば……、格好良いし素敵。


 もう一度チラリと彼の顔を見た吉乃は仄かに頬を染めて顔を伏せた。

 紅緒はそんな吉乃を見て面白くなさそうに眉を寄せる。


「あはは、いいよ松谷まつたに。ある意味当たっているし。俺は米屋よねや。白米の米に屋根の屋でヨネヤ。松谷とは大学の先輩と後輩なんだ。君は?」


「紅生姜」


 紅緒は米屋の質問に間髪入れず答えた。


「え?」


 米屋の頭に疑問符が浮かんだ瞬間、吉乃が慌てて割って入る。


「ちょっと! あ、あの、……親戚! 親戚です親戚! 親戚なんです! 親戚以外の何物でもなくて、そう、親戚なんです! 親戚なんですよ!」


「は? 吉乃何言って……痛っ!」


 机の下、反論しようとした紅緒の足を吉乃が蹴った。


「そ、そう、親戚、なんだね」


 米屋も吉乃の圧に負けたようで、とりあえず親戚と言うことで納得したようだ。


「そ、そうです、いいい、いとこですよ、いとこ」


「ああ、いとこか、どうりで似てると思った」


 米屋のその言葉にキョトンとした吉乃と痛がっていた紅緒は顔を見合わせた。


「似てますか?」

「似てるか?」


「うん」


 二人が同時に見せた似たような反応に対して米屋は事もなげに頷く。

 吉乃は改めて紅緒を見て何とも言えない表情を浮かべた。


「何だよ」


 紅緒も不服そうな顔をしている。

 それから米屋は仕切り直しと言った感じで言葉の調子を変えて言った。


「ところで松谷、いきなりなんだけど、今何してるの?」


「え? あ、えーと、実は、この間、ですね、その、一身上の都合と言いますか、し、仕事を辞め、まして。今は充電期間と言いますか……」


 突然の米屋からの急所を突いた質問に適当な言い回しが思い浮かばず言い淀む吉乃。

 呆れた様子の紅緒が横から言った。


「俺の給付金で生活してんだろ」

「無職です!」


 紅緒の発言に被せるように吐いた吉乃の言葉、幸い米屋の耳にはそちらしか届かなかったようだ。


「ああ、そっか。そうなんだ。ごめんね、急に言いにくいこと聞いちゃって。松谷なら『一徹いってつ』のこと何か知ってるのかなって思ってさ」


 米屋は申し訳なさそうに言った。そんな彼が口にした『一徹』。それは吉乃が目指していた牛丼屋の名前であった。どうやら彼も店のことについては何も知らないようだ。


「あ、いえ、実は私も店が無くなっているのさっき知ったばかりで。久しぶりに店の牛丼が食べたくなって来てみたんですが、来てみたら店が無かったと言う感じでして……」


「そっか」


 その時米屋が何気なくテーブルの上に置いた右手に吉乃の視線は奪われた。


「あ」


 彼女の口から思わず声が漏れる。

 彼の右手の薬指に指輪が嵌まっていたからだ。


「ん? どした?」

「お待たせしました!」


 ちょうど店員が注文した品を持って来たことでそのまま吉乃の『あ』はうやむやになって意味を失った。


 店員が料理の提供を始める。


「こちら並盛です」


 米屋が吉乃の方を手で指し示し、彼女も小さく手を挙げた。


「こちら大盛です」


 今度は吉乃が米屋の方を示し彼が手を挙げた。


「こちら特盛です」

「はい!」


 最後に紅緒が良い返事と共に元気良く手を挙げた。そして牛丼を受け取り米屋のものと見比べて自慢げにほくそ笑んだ。


 何を比べて勝ち誇ってるんだこいつは……。


 紅緒の思っていることを察して呆れる吉乃、しかし伝わっているのは彼女にだけで米屋には全く通じていないようだった。

 彼が曇りない爽やかな表情で言う。


「良し、じゃあ、積もる話もあるけど、とりあえず食べようか」


 そうだ、まずは食事だ。とにかく今は空腹を満たさなくてはいけない。何事も考えるのは後にしよう。


「はい!」


 こうして三人はやっと牛丼にありつけた。待ちに待った食事に今や紅緒は満面の笑みを浮かべている。少々大袈裟な態度に米屋の手前恥ずかしさを覚えた吉乃だったが、空腹なのは一緒で、いつの間にか彼女の表情も緩んでいた。

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