第5話
もちろん
けれど彼が非常に腰の低い人物で、こちらが申し訳なる程懇切丁寧に自分の身分証明と、決して犯罪の類ではないと力説をするから、その勢いに押された部分もあるのだが、とにかく一旦は納得しないと話が進まなそうでもあるので、彼の言い分を何とか飲み込んだ。
しかしその後に彼の口から繰り出された話はとても飲み込めるものでは無かった。いくら吉乃でも絵に描いた牛丼を食べることは出来ない、そう言った感じだった。
単刀直入に彼曰く、
この時点ですでに吉乃の理解は置き去りにされた。取りに帰ることも出来なさそうである。荒唐無稽ですみません、そう言いながらも神主が畳み込むようにさらに追い打ちをかけたのだ。
こう言ったことは彼の神社では昔から度々あるらしいこと。大抵雷が落ちてその度に建物を建て替えていること。似たような事例は他の場所でも確認されていること。そう言ったことは国も認知していること。紅緒のような存在は昔は付喪神だとか神様として扱われたが今は一人の人間として扱われるということ。付喪委員会なるものが存在し管理をしていること。生まれ変わった存在にも戸籍が与えられること。その手続きは神社側で行うが少し時間がかかること。
置き去りにされた吉乃の理解をそのままに、神主列車は突き進み、ついに話は終点へと辿り着く。
「ここに彼が居たことには驚きました。帰巣本能のようなものなのでしょうか。でもこれなら話が早い。暫くの間このまま彼をここに置いてやって下さいませんか。せめて手続きが終わるまでの間、彼の保護者として面倒を見ていただけませんか」
吉乃が委員会のパンフレットの『よく分かる私たちの暮らしと付喪神』なんて文言を眺めている時だった。
「はい?」
「俺はそれでいいよ、良く分かんないけど」
「え?」
「おお、そうか、良し、じゃあ決まりだね」
「は?」
吉乃は返事をしていない。しかし変な所で口を挟まれたせいもあり、結局、彼女の意志など関係なく紅緒は神職の立会いの下、正式に吉乃の部屋に居候することになってしまった。
まだかろうじて働いている理性でなんとか反論を試みる吉乃。
「ちょっと、ちょっと待って……」
「あ、委員会から付喪神の生活を保護するための給付金も出ますから」
「給付金……」
仕事を辞めたばかりのロックな吉乃が反応してしまい反論の機会を逃してしまう。
それから神主は最後まで腰を低く丁寧に、これ以上吉乃に反論の隙を与えずに、万が一何かあったら神社側が保証するとまで言って、手続き終了後の連絡を約束し帰って行った。
と言う訳で紅緒は紅生姜だった。ちなみに名前は神主が決めた。紅生姜男で紅男。男だと雄々し過ぎるので緒に変えて紅緒。
もちろんこの一連の全てを吉乃が納得できた訳では無い。それは一ヶ月経った今も変わらない。
「紅生姜って、はあ、だからそれは一体何なのよ」
溜息を吐いて改めて小さく呟いた吉乃だったが、紅緒はもうキッチンに引っ込んでいて特に反応は無かった。
代わりにキッチンから冷蔵庫や戸棚を開け閉めする音が聞こえる。紅緒が何かを始めたようだ。
しかし紅生姜か。
吉乃はつくづく思った。
「私は紅生姜に呪われてんのかな」
「ひょひの!」
その時慌てた様子で紅緒がキッチンから戻って来た。口にはしっかり氷が入っている。頬の膨らみから察するに複数個入っているようだ。
「なんひゃへふりへへひは!」
またビタビタと近付いてきて頭の上で喋る。
「なんひゃへふりへへひはっへ!」
依然寝転ぶ吉乃の頭の上で紅緒は氷を頬張り裸足で地団駄を踏む。氷のせいで何を言っているかはわからないが、喋る拍子に口から冷たい水が飛ぶ。
「ちょっと、うるさい、やめ、わ! 冷たっ! って汚っ! 氷! 氷を口から無くして!」
上体を起こした吉乃の目の前で派手な音を立てながら氷を噛み砕き飲み込む紅緒。
吉乃も紅緒もTシャツにハーフパンツ。ラフな格好で二人並ぶとやはり姉弟か、或いは漫才コンビのようだ。
「あんた結局氷食べてるじゃない」
「うん、でも氷じゃ駄目だ」
「何がよ」
「だからお腹! 氷じゃ満たされないよ!」
「そう」
紅緒とは対照的に吉乃は静かに頷いた。
「そうって、何か食べようよ! お腹減ったよ!」
ビタビタビタビタビタ。紅緒は再び抗議の足踏みを始めた。その音が吉乃のイライラを募らせる。
「うっさい! ビタビタ音立てないで! さっきから何なの? 私の邪魔しないでくれる?」
「邪魔って? 何かしてたの?」
「物思いにふけっていたのよ!」
そう言い切った吉乃に紅緒は半分呆れたような驚いたような表情を見せた。
「も、物思いって、そんな、吉乃、それは何もしてないって言うんじゃ……」
「違うわよ! 色々考えてたのよ!」
「色々って、た、例えば何を?」
「え? それは、ほら、あれよ、これまでのこととか、これからのこととか?」
「ま、まじか……。そんなJ-POPの歌詞にありそうな非生産的なことを寝ながら考えてるくらいなら山にキノコ狩りにでも出た方がましだよ」
紅緒は吉乃の発言に若干引いている。
「うるさいわね! 私の家で私が何をしててもいいでしょ! 居候は居候らしく大人しくしてなさいよ!」
「だったら吉乃だって家主らしく居候のお腹くらい満たしたらどうなのさ!」
「私はいつもちゃんと三食出してるじゃない! それ以上を望むなら自分で稼ぎなさいよね!」
「給付金貰ってるの知ってるぞ!」
「まだ振り込まれて無いわよ!」
「ねえ、今日は? 今日はまだ一食も食べてないんだけど!? もうお昼になるんだけど!」
「あんた気付いたらいなかったじゃない。それに私も今日はちょっと気分がのらなかったし、物思いにふけってたって言ったでしょ。何て言うかこう、詩的な気分だったのよ」
「詩的って、こっちは死的だよ! 死。飢え死に寸前だよ!」
「ちょっと大げさじゃないの? 朝食一食抜いたくらいで?」
「そうだよ! こちとら生まれたばかりだよ! 育ち盛りなんだよ!」
「何が生まれたばかりよ! 私と同じような背格好しておきながら!」
「だから俺は人間になったばかりなんだって!」
「だから! それは何だって言ってるの!」
「紅生姜だって言ってるじゃんか!」
話のスタート地点に戻って来て会話が途切れた。二人して息を整える。静かになった室内。何となく煙い。
「……そう言えばあんたさっき何て言ってたの?」
「あ、そうだ。吉乃、何か煙出て来た」
「煙?」
「取ってきた草焼いてたら煙出て来た」
「ああ!?」
慌ててキッチンに向かう。こんもりと草が入ったフライパンから炎が上がっていた。
「ぎゃあああ! どんだけ取って来たのよおおお!」
「吉乃の分もと思って」
気持ちは嬉しい。瞬間、そんな言葉がまた頭を過ったが余裕はもう無かった。
しばらくして消火活動を終えた吉乃がキッチンにへたり込んでいると、近くに来た紅緒が顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
そのタイミングを見計らったように、切ない獣の鳴き声のような音が響いた。腹の音だった。
「お腹減ったの?」
そう言ったのは紅緒だ。
「……そうね」
吉乃の腹の音が小競り合いの停戦の合図ともなり、結局二人して外に食事に行くことになったのだった。
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