第91話 目的

 「さてっと」


 マリアさんが一つ、咳払いをする。

 それだけで、だだっ広い室内に音が響く。


 現在俺達は、城のある一室に集まっていた。

 白を基調とした内壁に、部屋の中央に置かれた人数分のイスとテーブル。

 他に目立ったものはない。

 ミーティングルーム、というわけでもないが、それに適した部屋であることは間違いない。


 室内にいるメンバーは順に、ウルファンス、マリアさん、ダゴラスさん、ララ、そして俺。

 計五名。

 他の悪魔は別室で思い思いに過ごしていることだろう。

 城に到着してから、三日目のことだった。


 「作戦会議って言ったらなんだけど、今後の方針について決めていくわよ」


 ウルファンスが進行を促す。

 今後の方針。

 マリアさん側は俺を門へと届ける。

 理由は詳しく聞いていない。

 俺を本当に助けたいのか、他に目的があるのか……マリアさん達が何を思っているのかは、俺には分からない。


 ウルファンス側は俺が別世界へ転移するのに便乗して、自身達もこの世界から脱出したいらしい。

 何故かは詳しく聞いていない。

 今までの会話から想像すると、過去に悪魔と何か因縁があるような……そんな感じだ。

 まだ腹に隠しているものがあるかもしれない。


 両者の動機の底がはっきりしない以上、状況が二転三転することもありうる。

 悪魔は心を読むことで、その均衡を保ってきた。

 だが、ここにいるのはその均衡を壊すことが出来る、力の権力者達だ。

 相互の関係性を持ちえない悪魔は、人間のソレに近づいていく。

 だからこそ、話し合いが必要なのだ。


 「まず、最初に重要なこと。あなたのも目的は?」


 単純な質問。

 自身の願望の明確化。

 もとい、意思の明確化。


 「……俺の願いは、元いた世界へ帰ることです。そのために大魔石を集めて、門でこの世界から脱出します」


 俺の意思がみんなに伝わる。

 これが俺の願望だ。


 「ウルファンス、あなたにも同じ質問をさせてもらうわ」

 「ええ、もちろんもちろん」


 母親同士で目線が合う。


 「私はこのくそったれな世界から抜け出して、早く平穏を築きたい。だから人間の彼のサポートをして、こちらも別世界へのキップを手に入れる。望むのはそれだけ。これでいい?」

 「ありがとう。ララ、あなたは?」


 今度はララへと視線を向ける。


 「私は……許せないのです」

 「何を?」

 「差別を」


 ……差別。

 悪魔間では、およそ無縁のはずだが……?


 「私は差別が嫌いです。死ぬ程嫌悪しています。騎士団と決別する際にルフェシヲラにも言いましたが、七十二柱の生き残りや、悪魔が人間の彼を求めて争うのは、結局悪魔側にも問題があるから」

 「……」

 「我々の元々残していた問題が、人間の到来によって表面化しただけです。七十二柱は強大な存在で手も出せないが故に、薄っぺらいいつ破られるかも分からない、強制的な協定を残して沈静化させただけ。潜在的な問題は、我々悪魔が抱えているもの」

 

 ……ダゴラスさんは、かつてこの世界には平和なんて言葉は存在しないと俺に言った。

 この世界における社会は安定してるためだ。

 だが、それは仮初だったとでも言いたいのだろうか。


 「人間を殺すなんて選択をしなくても、我々で改善出来る箇所はいくらでもあります。七十二柱の面々だって、力で抑えて均衡を作るなんて関係ではなく、もっと別の関係を作っていくことだって出来る筈。だから私は、人間を殺させません。利用もさせません。魔王様が考えを改めるまで……守り抜きます」


 堂々と宣言した。

 俺を守り抜くか……

 ちょっと俺、恥ずかしいかも。


 「うんうん、分かったわ」

 「じゃあ、あんたの願望とやらを言ってよ」


 ウルファンスが言った。

 厳密に対等と言えるかどうかは分からないが、それでも一番マリアさんに近い力を持っているのは確実に彼女だ。


 「彼を助けたい。そのために別世界へ転移で送る。以上」


 答えは極めて簡潔だった。


 「超シンプルな回答をありがとう、と言いたいとこだけど。あんたに、あんた達にメリットはあるの? 人間を助けて」

 「ないけどあるわ」

 「どういうこと?」


 当然の反応であった。

 俺も同じだ。

 ないけどある。

 ないならないんじゃなかろうか?


 「人間を助けることに、実質的な見返りは確かにない。ゼロよ。けど、助けたという結果は残る。それだけで助けるに値するわ」

 「自己犠牲? あなたが?」

 「違う」

 「ならなんだってのよ?」

 「助けること自体に意味がある」

 「たまにわけわかんないこと言うわよね、あんたって」

 「私は人間を別世界に送る。或いは帰す。ただそれだけ」


 相手を助け、自身の見返りを求めない。

 現世の古代、キリストが行ってきた行為……それは自己犠牲だ。

 一見良いことのように思える。

 だが、それは普通の人間と比較し、特異なことでもある。


 人間は何かしらの対価を求めずにはいられない。

 人間同士の相互関係によって、はじめて人間は人間でいられる。

 だけども、キリストは一方的に相手へ何かを送り続けた。

 聖人である。

 つまり、聖人とは、人としての異常者のことを指す、のかもしれない。

 或いは、異常を昇華させた形とでも言うのか。

 マリアさんは……

 

 「ダゴラス、あんたも同意見なの?」

 「ああ、マリアに従う」


 夫のダゴラスさんも同じく簡潔に。

 従う、か。


 「あんた達って、本当に……」


 何か言いかけて。


 「いいわ、分かった」


 納得したみたいだった。


 「ララ。あなたとしては、人間が地獄世界に受け入れられるようになることを望んでいるのでしょうね」

 「……人間の尊厳を守るにあたって、主張されたことは尊重されるべきでしょう。彼が別世界への回帰を望むのであれば、私は反対しません。それまで守ります」


 ということだった。

 そもそもの話。

 ララは人間という種族を、尊重することに意義を置いている、と思う。

 人間という種族にだ。

 俺個人ではない。

 何となく、俺に慈悲を与えているわけではなく。

 信念のようなものを感じる。

 彼女の過去に、何か関係があるのだろうか?


 「それぞれ思うことは分かった。じゃあ、今後どうしていくかね」

 「……話を聞く限り、星門に行きたいわけだ、人間」

 「そうなるな」

 「どこにあるか知ってる? ちなみに私は知らない」

 「俺も知らない」

 「場所が分からないんじゃあ、大魔石を集めても、意味ないんじゃない?」

 「大丈夫。私が知ってるから」


 マリアさんがそう答えた。


 「あれって確か魔王しか知らないんでしょ? どう知ったのよ」

 「魔王から盗んだのよ、記憶を」

 「あー、そうだった。なんでもありだったわよね、あんた」


 飽きれた顔のウルファンスである。


 「ラース街でトラブルがあったって、風の噂で聞いてたけど、それってあんたが仕掛けたこと?」

 「……ノーコメント」

 「ゴタゴタの合間に何かするのは、あんたの得意分野だったっけね」


 実際、ゴタゴタしている間に、なんかかんかやっていたなマリアさん。

 あえて言及はしないけど。


 「その話は置いておいて、門……星門、これがある場所は魔王によると、この世界の裏側……深淵にあるとされて――」

 「深淵!?」


 ウルファンスとダゴラスさんが、マリアさんを遮って声を荒げる。

 俺氏、びっくらぽんです。


 「深淵なんて、そんなとこまで行けっての!?」

 「悪いんだが……深淵が、まずよく分からない」


 俺のその発言を予見していたであろうマリアさんは、丁寧に説明してくれる。


 「前にこの地獄は星の形状をしてるって私言ったでしょ?」

 「ああ、言ってましたね」

 「で、この世界の月は一定の位置で固定されているっていうのは見ていて分かるわよね?」

 「はい」


 昼……その光源は赤い光を薄くしたような黄昏の色。

 月とは思えないほ程、明るく光る不思議な景色。


 夜……その光源は赤という色を純粋に表現したかのような、純血色。

 童話に出てくるような、幻想的で飲み込まれそうな狂気の彩色。


 地球とはだいぶ違う。

 最初に来た時は、随分不思議がっていた記憶がある。


 「ここは月の見える、いわゆる可視可能なぐらいに明るい領域。だから悪魔も生活出来る。対して深淵は未明領域。月という光源が丁度裏側に固定されているせいで、光が一切届かない暗黒地帯」

 

 つまり、白夜の逆……暗夜みたいなものだろうか?


 「深海みたいに光が届かない、暗黒。夜空に輝く星も見えない。地獄の裏側。そして、魔物は光を嫌う傾向がある。故に、魔物の世界」


 前に聞いたことがある。

 魔物は洞窟内部に溜まりやすい。

 つまり、光を嫌うということ。


 「……あそこはもう、誰も近寄れない場所になっている。殆どの魔物が邪悪種に変貌しているから」


 それを聞いて、ウルファンスは苦々し気な表情を見せる。


 「お前なら、洞窟でやったみたいに簡単に邪悪種を倒せるんじゃないのか?」

 「あれは倒したんじゃなくて、凍結封印しただけ。前に邪悪種は殺せないって言ったでしょ」

 「じゃあ凍らせればいいじゃないか」

 「あんたが会ったような、小さな邪悪種ならそりゃあね」

 「あれが、小さい?」

 「あれは覚醒したての個体。本来の邪悪種はあんなものではない。だから私が相手したのは、生まれたての子供みたいなもんなのよ」

 「あれでか……」

 「一頭二頭なら対処も出来る。けど、深淵には、どれほどの数の邪悪種が潜んでいるのか、想像もつかない」

 「……」

 「私は普通の悪魔より、出来ることが多くある。でも、出来ないものは出来ない。力を持つと、そういうのに対する分別がより一層身についてくるもんよ」

 「その点については、私も同感ね」


 マリアさんも同調する。

 強者二人のお墨付きだ。

 俺がどうこう出来る問題のレベルではない。

 そこでダゴラスさんがポツリと喋る。


 「俺の友達も昔深淵に行って聞いたな。七十二柱のエトヌゥス」

 「そいつ、とっくの昔に消息不明になった悪魔じゃない」

 「深淵で死んだって話だ」

 「エトヌゥスって、晩転のあの子?」


 マリアさんの質問。

 それに対して、ダゴラスさんはああ、と答えた。


 「百年前くらい前だっけな……懐かしい」


 懐かしいの単位がまるで違うっす。

 悪魔の時間スケールは、やっぱり人のそれとは違ったようだ。


 「他の悪魔の助けもいりそうね。助っ人に心当たりは?」


 テーブルをトントン指で叩きながら、ウルファンスが問う。


 「水の王子エマ、狼煙のロノウェ、変幻のオセ辺りかしら。動機で協力しそうなのは」

 「げぇ、どれも変人奇人ばっかじゃない。もうちょっとマシなのは?」

 「いない。これでもマシなチョイスだと思うけど? 拷問大好きなベリトもいるけども」

 「ムリムリムリ。アイツとは噛み合わないから」


 いろんな名前が出てきたな。

 七十二柱かどうかは知らないが、なんか強そうじゃないか?

 頼れそうな悪魔はまだいるらしい。

 横のつながりってやつだろう。

 とりあえず、拷問大好きナントカさんは俺もなんとなく遠慮したい。


 「洗脳すれば他に幾らでもいるけど、対抗策を有しているであろう七十二柱が殆ど。協力は見込めないと思うわ」


 マリアさんを警戒してってことだろうか。


 「いずれにせよ、勧誘はお早めに。私の使い魔が、雪山の中で悪魔を捕捉したから」

 「それは、魔王側の悪魔か? それとも別の悪魔?」

 「魔王側の悪魔よ。あんた達が来る前、ラースの隊長格が私の敷地に入ってきてね。そいつを縛ってたのはいいんだけど、急に連絡取れないことに異常を感知して、ここに悪魔達が結構来てんのよ」


 悪魔が、ここに来ている?


 「こんな悠長に話し合いなんかしていていいのか?」

 「大丈夫大丈夫。そう簡単にこの城へは来れないから。まだそのくらいの時間はあるわよ」

 「と言っても、見つかるのは時間の問題だろうがなぁ」


 ダゴラスさんの渋い顔。

 ことが深刻なことを表している。


 「その、捕らえた悪魔って今も閉じ込めてるのか?」

 「ん? 処分したわよ」


 ウルファンスの軽い口調。

 俺は一瞬で戦慄した。

 処分って。

 ゴミじゃあるまいし。

 忘れていた。

 彼女が強い力を持つ異端であるということを。


 「テレパシーで救難信号出されるのも嫌だし。マリアに情報を吸わせた後、ちゃんと殺したわ」


 マリアさんの方を見る。

 さも当然という顔をしていた。


 「リタ・ソコノームって言うんだけど、私を本気で殺そうとしたわ。処分の必要があった」


 必要だった、と言いたいのだろう。


 「では、この先どうするんですか」


 ララの形式的な質問。


 「城の位置が特定出来たら、すぐにでも攻撃を仕掛けてくるでしょうね。特定は騎士団の下っ端連中にやらせておいて、実際に叩くのは騎士団隊長上位格。ヴァネールだけじゃなくて、クルブラドも来るらしいわ」

 「……クルブラドは、怖いわね」

 「クルブラド?」

 「クルブラド・オドロリス。現在騎士団で一番強い方だと思ってください」

 「しかもそいつも七十二柱さ」

 「現在の魔王側の調査スピードを予想するに、大体三日四日かかるくらいじゃないかしら」

 「妨害込み?」

 「込々よ」


 ニイッと雪女のような容姿には似つかわしくない顔をするウルファンス。


 「ここからが話の肝よ。ララの質問、この先どうするのか?」

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