第44話 吸血鬼と老騎士

 〜悪魔・ララ視点〜


 転移の光から開放された私が、まず見たもの。

 それは、空を覆い尽す程の炎だった。


 周囲を見てみると、そこは花畑。

 近くには砦がそびえ立っている。

 私はどうやら、中央執行所の敷地内に飛ばされたようだった。

 大した距離ではない。

 そう思いながらまた上を見る。


 灼熱の空。

 炎の海。

 そんな表現。


 空に浮かぶ巨大な炎が、ゴウゴウと音を立てて空を燃やしていた。

 元々空は茜色に染まっていたが、この炎によってさらに景色は赤く、紅く染まる。

 まるで血の色のようだ。


 赤すぎる景色の体現者は、その炎を纏って空中に浮いていた。

 私と同じ騎士の鎧に、紅蓮に輝く魔剣。

 角は炎で焦げたかのように漆黒に染まり、肌の色も真っ黒だった。

 その目は隻眼で、片方の目に眼帯を装着していた。


 強すぎる炎の能力に、漆黒の角。

 そして魔剣……灰燼のフランベルジュ。

 それは炎の化身とも呼ばれる悪魔……ヴァネール・アウナス・クリセレンプスだった。


 七十二柱、第九位の悪魔。

 断罪者とも呼ばれ、その炎の能力をもって強大な悪魔を内密に、そして数多く断罪してきた炎の執行者。

 皺が数え切れない程顔に刻まれた老兵は、獰猛な動物のような表情をしていた。

 とても老兵だとは思えない。

 その彼が、目の前で私に殺意を込めた目線を送っていた。


 「何故、ルフェシヲラと戦っていた?」


 彼は私に質問してきた。

 いきなりの質問。

 それは、裏切りが露見していると言うことで。


 「人間の処分に反対だからだ」

 

 はっきりと答える。

 断罪者の前で、濁した返答は禁物だ。

 次の瞬間に攻撃を受けかねない。


 「何故、人間の処分に反対なのだ?」

 「私の祖先も、同じ不当な扱いを受けていたからだ」


 そうだ。

 マリア様のおかげで、あの時しっかりと改善されていたじゃないか。

 確信を持って、答えを返した。


 「そうか」


 問答はそこまでだった。

 彼は私を敵として認識したようで、持っていた魔剣に炎が纏った。


 第四段階、スピーリトゥス級の魔剣。

 あれで斬られて燃え尽きない物はない。

 少なくとも私は見たことがない。


 燃やそうと思えば、何でも燃やせる。

 空も海も大地も、全てがだ。


 今は幸い火力を最小限に抑えているようで、比較的脅威は感じ取れない。

 しかし、それでも炎の海と表現出来るこの能力の規模なのである。

 彼は、正真正銘の化け物だった。


 斬られなくても、炎に接触すれば即アウト。

 灰塵残さず燃やし尽くす破滅の炎。


 正直、同じ隊長格でも勝てる気がしなかった。

 騎士団の中でも、第一隊長と第二隊長の戦闘力は別格だ。

 古参の七十二柱。

 存在の格が違う。


 「悔いはあるまい」

 「……」

 「花が燃えてしまうのは惜しいが、是非もなし」

 「花が燃えるのは私も嫌だな」

 「……さて」


 彼は今まで私に向けたことのない、執行者としての顔を私に見せて。


 「燃やそうか」


 静かにそう言った。

 炎が渦巻く。

 死の炎が踊る。

 炎の海は荒れに荒れ、その規模はどんどん凄まじいく大きくなっていく。


 その海から出てきたもの。

 それは炎で出来た龍だった。


 全長何メートルあるかも分からない、巨大な龍。

 もちろん本物の生物ではないが、それが私を殺そうとする脅威であることには変わらない。

 魔物を相手にすると思った方がいいだろう。


 周囲が唐突に熱くなり始めた。

 私の周りの地面が燃え始めているのだ。

 長く、広く地面に炎が燃え広がる。

 私の逃げ道を塞ぐかのように。


 私は王立騎士団の中でも特にスピード戦に強い。

 逃げ出されたらたまらないとでも思ったのだろう。

 まあ・・・最初から逃げられるとは思っていない。

 人間を逃がしたいのなら、彼と戦うしかないのだ。


 私は魔剣を構え直す。

 そうして私の準備が整ったのをヴァネールは確認したのか、直後。


 「燃やし尽くそう」


 炎の龍は、私に凄まじい炎の燃え盛る音を聞かせながら、襲い掛かってきた。


 「うおおおおおおお!!!!」


 私の持っている魔剣に精一杯のドレイン……結界破りの能力を付加する。

 結界のエネルギーを吸い取る要領で、炎のエネルギーを限界まで吸い取るのだ。

 

 龍の方は無理だ。

 吸い込みきれない。

 では、逃走を邪魔している炎の方はどうか。

 ……いけるだろう。


 「ハァアア!!」


 気合を込めて、目の前の地面で燃え盛る炎を切りつける。

 すると、炎は魔剣に吸い込まれたかのように、唐突に消失した。

 これで足場が出来た。


 私は炎を鎮火させたスペースに素早く前進する。

 直後に、背中から激しい熱気が届いた。

 炎の龍が地面に激突したのだろう。

 後ろを見てみると、再度炎の龍は私目掛けて突進してくるのが確認出来た。

 私は炎の龍とは反対の方向へ走った。


 「ハアアアァァ!!!」


 叫びながら、目の前の炎をドレインで薙ぎ払っていく。

 前進して、前進して、前進する。

 炎の龍に追いつかれないように。

 上へ跳んで逃げられたらいいのだが、室内と違って空中で身動きが出来ない分、炎の龍の餌食にされるだけだろう。

 だが、平地ですら阻む炎のせいでうまくスピードを出せない。

 これでは追いつかれる。


 一旦進行を止めて、炎の龍へと向き直る。

 すぐ傍に脅威は迫っていた。


 最大限、ドレインの能力を付加しながら魔剣で炎の龍をいなす。

 普通の火の能力ならば、一瞬で吸い尽くすこの吸血鬼化のドレインも、炎の龍の前では受け流すのが精一杯だった。


 ガギギ炎ならざる反響音が鳴る。

 金属を斬っているかのような鋭い音が、刀身と炎の間から発せられる。

 吸い込みきれていない!

 炎が高密度過ぎる!


 ガァンと音が聞こえた。

 力任せに炎の龍の軌道を変えた。

 しかし、軌道を変えただけで何の解決にもなっていないのは明白だった。


 空中にいる本体に近付ければいいのだが、空中で燃えている炎がそれを阻む。

 飛んでいる最中に、あの炎が襲ってきたらマズイ。


 再度、炎の龍が私に迫ってくる。

 今度は周りにある炎までもが動き出し、私に襲い掛かってきた。

 まるで意思を持っているかのようだ。


 周囲の炎をドレインでなぎ払う。

 炎は私を中心に全方位から接近していて、流石に全部はドレインでなぎ払えない。

 攻撃の気配を察知しながら、転がり込んでかわしていく。


 そうして回避している間にも、炎は勢いを増していき、攻撃も激しくなっていく。

 これは長期戦になるほど辛くなっていく戦いだ。

 能力で発生した炎だけでなく、周囲に自然引火して着いた火も広がっていくからだ。

 攻撃の範囲はますます広がっていき、自由に動けなくなっていく。

 対して、私が放つ一振りのドレインで吸えるエネルギーには限界がある。

 追い込まれている。


 炎の龍や迫る周囲の炎をかわし、あるいは弾きながら攻撃の元凶を見てみる。

 ヴァネールは何もしていなかった。

 動き回る私を見ているだけ。

 余裕の表情を作りながら、空中に構えていた。


 ダメだ。

 相性が悪い。

 ヴァネールとまともに戦いたいのなら、水か氷の能力を利用しないと勝てない。

 その水と氷ですら、生半可なものでは燃やされてしまうだけではあるが。


 しかし残念ながら、吸血鬼化した私が扱えるのは、足と腕の強化とドレインの能力だけ。

 圧倒的なスピードとパワー。

 そして希少な能力と引き換えに、私は直接攻撃でしか攻撃手段を持たない。

 吸血鬼でなければ、また他の能力も使えただろうが、ドレインの能力がなかったらどっちみち燃えて死んでいる。


 一旦逃げるか?

 私がそう思った時。


 「だいぶ燃えてきたな。そろそろ仕留めさせてもらおうか」


 そんな声が聞こえた。

 同時に、私の周囲に太い炎の柱が出現した。

 物凄い密度の燃え盛る柱だ。

 周りの炎の勢いもあって、周囲は灼熱だった。

 その炎の中で、龍はさらに踊り狂う。


 柱は、周りに炎を撒き散らしながら、私に迫ってくる。

 炎の龍もだ。


 「ダメか!」


 私は周りの炎をなぎ払って、逃げることに専念した。

 無理だ。

 このままでは焼かれ死ぬ。


 しかし、逃げようとしても炎の量が多すぎる。

 全力で走れない!


 駆ける。

 門の前まで。

 街まで逃げてしまえば、ヴァネールも十全に能力を行使出来ない。


 いつの間にか、炎の龍はすぐ後ろに来ていた。

 炎の龍が、私に噛み付こうとしてくる。

 私はとっさにそれを防ぐ。

 龍の体格は、自然引火した火を吸って大きくなっていた。

 体格が大きくなった分、攻撃の範囲や強さが底上げされている!


 「ぐっ!!」 


 先程までの二倍の大きさに龍は膨れ上がっていた。

 さらに龍の周りには、衣のように火が纏わりついている。

 その衣は変幻自在に変化して頭部に集約し、角のような形に変化した。


 炎の龍の角に、魔剣が接触した。

 ボォンと爆発が発生。

 先程の龍の大きさでも受け流すのが精一杯。

 今の大きさで、私が真正面から防御出来るわけもなかった。


 炎の龍の勢いに負けて、私は吹き飛ばされた。

 吸血鬼化した状態で魔鎧を着ているのに!


 体勢を崩された状態で吹っ飛ばされたが、瞬時に受け身を取って無理矢理静止した。

 痛みを無視して、前方を素早く見る。

 炎の龍が目の前まで迫っていた。


 「ッツ!!」


 逃げようにも、炎の柱がすぐ傍まで迫っていた。

 あれもドレインでは吸い込みきれない。

 この状況で、炎の龍をかわすのは難しい。


 殆ど反射で、魔剣を盾のようにして前に構える。

 ギリギリのタイミングで、真正面から炎の龍を受け止めた。

 途轍もない衝撃が剣から伝わってくる!


 「グッ!!」


 凄まじい衝突により、激しい音が響いた。

 受け流しただけでも体を吹っ飛ばされたのに、真正面から受け止めて耐えられるはずもない。

 私の体は先ほど吹っ飛ばされたのが遊びだったくらいに、後方へと飛んでいく。


 周りの景色が線と化した。

 巨大な炎は遠くに。

 私の魔剣は粉々に砕け散った。

 意識も一瞬だけ怪しくなってしまう。


 吹き飛ばされ、壁に突っ込んだ。

 岩の砕ける音が聞こえ、衝撃が体を伝う。

 だが、さっきの炎の龍が放つ衝撃よりは全然マシだった。

 体を強化しているおかげで、そんなに痛く感じない。


 すぐに体を起こし、周りを見る。

 ……街の建物か。


 どうやら門を通り越して、その先にある建物の外壁まで飛ばされたらしい。

 酷く体が痛む。

 身体強化を施してもこれだ。

 生身では燃え尽きる前に粉々だ。


 門の向こうでは炎が海のように広く荒れているのが見える。

 あの規模の能力をどうにかしようと思うなら、私一人では無理だ。

 だから私が吹っ飛ばされて、一時的に距離を稼げたのは幸運だった。


 手に握っていた魔剣を見てみる。

 その刀身は炎の龍によって、根元からポッキリと折れていた。

 ドレインの能力を付加させたお陰で、刀身自体が燃やされる事態は免れたものの、衝撃を吸収しきれずに壊れてしまったようだ。


 この魔剣自体は特別な能力が付加されているタイプの魔具ではなく、能力を通せる量産型のよくある魔剣だ。

 そして、私が吸血鬼化によって地獄の恩恵を手にし、扱えるドレインの段階は2段階目。

 とてもあの炎を吸収出来るような段階ではなかった。

 魔剣の強度もそこまでではない。

 壊れても仕方ないだろう。


 しかも、吸血鬼化まで解けていた。

 このままでは丸焦げだ。


 即座に立ち上がり、走り出す。

 人間が逃げるとしたら、中央執行所の門から真っ直ぐ。

 右へ左へかく乱する余裕があるとは思えない。

 地理感覚にも乏しいからだ。


 後方の門から炎の龍が飛び出てくる。

 周囲の障害物が熱によってタールのように溶けだしていく。

 しかし、広範囲ではない。

 燃えてもいない。

 出力を抑えているのだ。

 今が好機だ。


 路地裏には入らない。

 方向転換で龍を振り切ろうとするより、直線距離で距離を稼ぐ方が良いだろうから。

 ヴァネールは上空で私をいつでも視認出来る。

 身を隠そうなどとは思わない方がいい。

 家屋に隠れてもそこで積み。

 先はない。

 なら、進む。

 まずは結界が張られている付近まで。


 結界が張られているということは、その先より人間は未だ逃れていないことを示す。

 また、中央執行所の敷地外に逃れているということでもある。

 恐らく、人間は近くにいる。

 まっすぐ進めばきっと……


 私が全力で走れば龍は追いつけない。

 立ち止まらなければ、脅威ではない。

 十数秒後には、龍は後方へ。


 前を注視する。

 中央執行所と結界の中間地点くらいまでやってきたようだ。

 あともう半分。

 目途が立ちつつある。


 ふと。

 私は足を止めた。

 違和感。

 近くにある家屋が目に入った。

 戦闘特有の圧を感じ取ることが出来た。

 そして、テレパシーも。


 街中での戦闘。

 そうそうはないはずだ。

 私の勘は言っていた。

 ここだと。


 家屋のドアを蹴破る。

 そして私は見た。

 小さな檻のような結界に閉じ込められた者が一人。

 その姿は、ついさっきまで戦闘をしていたかのようにボロボロだ。


 周りには、四人の悪魔がそれぞれその者の周囲を取り囲んでいた。

 悪魔達は一斉に私の方を見て、やっと増援が来たかと言いたげな表情を見せた。


 「ララ様!」

 「来てくれましたか!」

 「ララ様も人間と交戦を? 剣が折れておりますが……」


 みんな思い思いに私へ話しかけてくる。

 周囲の悪魔はいったん無視し、小型の結界の方へ。


 「お前は……」


 結界に閉じ込められた者は、私を見るなりそう呟く。

 私の目線の先にいるのは、今現在の争い……その中心にいる存在。

 人間だった。

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