第36話 声なき声の導き

 結局俺は、魔王の言うことに従ってしまった。


 封印の選択を選んでしまったのだ。

 それしか道がないと思った。


 だって、仕方ないだろう?

 死ぬのは怖い。

 死ぬのは怖くないなんて子どもみたいなことを言う大人がいるが、あれはただの戯言なんだなと、今この瞬間理解していた。

 死は、怖いもの。

 直面して、そう感じる。

 

 怖い。

 怖いよ。


 俺は一回死んだはず。

 だから平気なんだって。

 そんなことはひとかけらだって思えはしなかった。


 だから。

 だから、俺は魔王に従った。










 という選択を、本来なら俺は選んでいただろう。

 本来ならば。


 イレギュラーが発生した。

 俺にとって、そして魔王にとっても。


 トラブルはどんな場所でも、どんな存在にでも起こりうるものだ。

 魔物に襲撃された時の様に。

 俺は今、それを再度実感している。

 

 「「今、逃がしてやる」」


 魔王の問いにどう返答するか迷っているその時、俺の頭の中でそう聞こえた。

 声無き声だ。

 頭に直接響く声がいきなり聞こえたので、少し戸惑ってしまった。

 その直後。


 パリィンとガラスが割れる音が響いた。

 一本の剣が、天井のガラスを空から突き破ったのだ。

 そのまま俺のすぐ目の前に突き刺さる。


 「!!!」


 両者共々、驚愕する。

 何の予告もなく、天井から剣とガラスの破片が落ちてきたらそりゃあ驚くだろう。

 魔王は突き刺さった剣を見て、口を開く。


 「魔剣……!」


 通常サイズの片手剣の形をした魔剣。

 ダゴラスさんの持っていた魔剣が思い起こされる。

 能力付加の武具!

 この魔剣の刀身は緑色に輝いていた。

 そして……その緑色の刀身には、細かい模様が全体に渡って描かれていた。

 この模様、どこかで見た覚えがある。

 確か……転移の陣の模様!!


 そう思った瞬間。

 室内中が、強烈な光に包まれた。


 転移回廊の時と同じだ。

 光と呼ばれる概念種が何かを運んで来る時の光景。

 その時、魔王の顔がハッとしたような表情に変わり、その次の瞬間にはこう怒鳴っていた。


 「それに近付くな!」

 「え?」


 魔王の怒鳴り声に対し、俺は間抜け顔。

 次の瞬間には、魔王は俺のことを手で突き飛ばしていた。

 魔王は女騎士のララ程ではないが、それでもアスリート並みに素早かった。

 刹那、剣が更に光り出す。


 「クソ!」


 剣は手で俺を突き飛ばした魔王を光に変える。

 転移だ。

 その工程もまた、一瞬で終わってしまった。

 魔王が何かを叫ぶ時間すら与えてくれない猶予のなさだった。

 俺は遅れて尻餅を付く。


 「っ……」


 尻が若干痛いが、それはこの際気にしない。

 それより今は、目の前で起こったことの方を優先させるべきだろう。

 今、何が起きた?


 何が起きたか分からない状況で、さらに訳の分からないことが重ねて起きてしまった。

 魔剣が降っていきなり光って、魔王が転移で消えた?

 と言うことは、剣に描かれている模様が転移の陣だってことか。


 「「サタンめ、流石に判断は早かったか」」


 声なき声が頭から響いてきた。

 魔剣が降ってくる前に聞こえたあの声。

 恐らく、テレパシー。

  

 「……お前は誰だ?」


 実体のない声に問う。

 相手には聞こえているのか?


 「「せっかく初撃で距離を離したのに……まあいい。おい、そこにいる人間。聞こえているか?」」


 どうやら、俺の返事は聞こえていないようだ。

 テレパシーで話さないと、やっぱり通じないか。

 これでは意思疎通は無理そうだ。

 とりあえず、相手のテレパシーに耳を傾けることにする。


 「「いきなりで悪いが、余裕がないから一回しか話さん。よく聞け。俺は貴様を助ける為に、テレパシーで話している」」


 俺を助けてくれるのか、コイツは。

 安堵で心拍数が上がっていく。

 だがあの転移、多分魔王じゃなくて俺を転移させようとしてただろ?

 これ、失敗してないか?


 「「貴様を転移で街の外へ飛ばそうと思っていたのだが、思いの外サタンの奴が速かった。失敗だ。サタンが街の外へ移動してしまった」」


 やっぱりか。

 どうやらコイツは、さっきの光る石ころで俺をどこかに飛ばそうとしていたらしい。

 だが、何のために?

 魔王がさっき言ってた通り、俺を狙って?


 「「もう一回転移が使えれば貴様を転移させるのだが、肝心の魔剣にエネルギーがもうない。もうこの場で転移は出来ん」」


 魔剣ってエネルギーをストック出来るのか。

 初耳だ。


 「「だが、その魔剣を使って転移はしてもらう。ラース街から脱出するにはそれしかない。転移以外の方法で脱出しようにも、正門の出口は忌々しい騎士団の隊長共が常駐しているから簡単にとっ捕まるだろう。転移回廊も同じ理由で望み薄だ」」


 ……だろうな。


 「「まず、貴様はラース街の中央広場に行く必要がある。クルブラドの像の近くに魔石の貯蓄庫があるはずだ。そこから魔石を奪取して魔剣にエネルギーを満たせ。中央執行所の倉庫にも魔石はあるはずだが、手練れが警備しているから行くだけ無駄だろう。貯蔵庫にたどり着いたら、俺がすぐに貴様を飛ばしてやる」」」


 おいおい。

 今、軽く言っちゃってくれたが無理だろ。

 まず、俺はこの城から脱出出来ないし。

 多数の悪魔が警備しているこの建物を、どう切り抜けろと言うのか。


 「「この建物にいる雑魚共は魔剣を使って切り抜けろ。街に入ってからは身を隠しながら行け。魔王はテレパシーを使えないはずだから、魔王が街の外にいることを俺と貴様とマリア以外は知らないはずだ」」」

 「え、マリアさんが!」


 意外な悪魔の名前に思わず反応してしまう。

 声を出しても相手には伝わらないのに。

 分かっていたのに、つい言ってしまうのを止められなかった。


 でもだ。

 俺を逃がそうとしている奴の口から、共謀者っぽくマリアさんの名前が出たってことは……彼女も俺を逃がそうとしている?

 それを信じたいところではあるが……

 

 「「誰も異常に気付いていない今なら、貴様の立ち回り次第でまだ間に合うだろう。だが、モタモタもしていられない。魔王が飛ばされたのはラース街からさほど遠くない森だ。俺のペットが時間稼ぎをしても、魔王が正門まで戻るのにリミットはせいぜい一時間といったところだろう」」


 転移回廊からここまでは、徒歩で一時間弱ぐらいだったように記憶している。

 脱出と移動に時間をかけすぎなければ、ある程度の時間を魔石の貯蔵庫とやらへ行ける……とは思わない。

 実際にはかなり無理くさいからだ。


 魔王が転移したことと俺が自由になったことが誰にも知られていないのはいいとして、問題は次だ。

 俺はこの建物にいるどの悪魔からも姿を見られてはいけない。

 悪魔に見つかった地点で、俺は捕まるか殺されてしまう。

 悪魔達に抗う術を、俺は持っていないのだから。

 

 俺に戦闘はこなせない。

 俺はそんな技術を持ち合わせてはいない。

 と思ったのだが、たまたま目の前の地面に刺さった魔剣が、俺の視界に入る。

 そういえば、魔石を転移した後もそのまま残っていたな、この魔剣。

 この声の主も、魔剣を使えと言っていた。


 「「何度も言うが、魔剣は必ず使え。刺しっぱなしにしておくなよ。転移はもちろん、無力な貴様が戦う時に、必ず必要になる。かなり上等な魔剣だからな、うまく使え」」


 俺にこんな剣が扱えると思ってるのか、コイツは。

 だとしたら冗談もいいとこだ。

 ダゴラスさんの魔剣を触った時だって、かなりシロウトのような扱い方をしていたのに……と思ったのだが、そうでもなかったな。

 森で魔物に襲われたことを思い出す。

 あの時俺は、魔剣を使いこなしていた。

 もしかしたら、この剣だって……


 床に突き刺さっていた魔剣は意外と簡単に抜けてくれた。

 重さは……結構重い。

 ダンベルを持っているみたいだ。

 まあ、妥当な重さなんだろうな。

 ダゴラスさんの持っていた魔剣はこれより遥かに軽かったが、あれは特別なものだったのだろう。

 あの大きさで気配がまるで感じられず、殆ど重さを感じられないということは、能力の影響であると考えた方が自然だ。

 ダゴラスさんの持っていた魔剣はそれ用に能力が特化した物なのかもしれない。


 「「この魔剣は敵の能力を吸収する希少なドレインの能力が付加された魔剣だ。貴様でもノーコストで使えるだろう」」


 ドレイン?

 教本に載っていたな。

 確か……


 「「そろそろタイムリミットだ。魔石を取るまで俺とのテレパシーはない。単独で足掻け、人間」」


 そう言って、声なき声が頭の中から消えた。

 おいおいおいおいおい、説明が全然足りていないんだがぁ。

 言いたいことだけ言って、後は俺の判断に任せるってか。

 どうここから脱出したらいいかも分からんのに。


 謁見の間から外に出た途端、悪魔達にとっ捕まるんじゃないのか?

 仮に、この中央執行所から運良く脱出できたとしても、街の悪魔の目を欺くのは無理ゲーだ。

 人間一人が街をうろつくだけで視覚的に目立ちすぎる。

 テレパシーで情報共有した悪魔達が、一斉に俺を取り押さえる事態も考えられるし。

 様々なリスクが俺の頭によぎってくる。


 「あーあ、ちくしょう。それでもやるしかないんだよなぁ……」


 結局のところ、やれるだけやるしかない。

 ポイントオブノーリターン。

 多分もう、戻れない境界線を踏み越えてしまった。


 ここで逃げなきゃならない。

 この状況が、逃走の可能性を作ってくれた。

 俺は殺されるかもしれないというハイリスクを背負うことになるが、代わりに自由になるというリターンを受け取るかもしれない。

 ギャンブルみたいなものだ。

 それも金なんかではなく、自分を賭けの対象にした大きなもの。


 賭けなんてロクなものではない。

 でも、きてしまった。

 その瞬間が。

 人生において、必ず一度はある自身を賭した大博打。

 やるしか、ない。

 俺が覚悟を飲み込もうとしたその時。


 コン、コンッ。


 謁見の間の出入口から、ノックが聞こえた。

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