一人の少年が旅立つ前

山奥にある、小さな家。木こり小屋のようなその家の前で、2人の人間が向かい合っていた。


片方は、妙齢の女性。

長い黒髪を後ろで纏めており、かなりの長身である。動きを阻害しないように着ている、薄手の服から見える身体は無駄なく鍛えられており、豹のようなしなやかさが美しい。

顔は吊り目が印象的で気が強そうにも見えるが、かなり整っていると言っていい。


女性は腰に、僅かに反りの入った武器を携えている。

刀、と呼ばれる切断に特化した武器である。

その立ち姿は洗練されており、かなりの達人であることをうかがわせる。



その女性に相対するように立つのは、十四歳ほどの少年。


男性としては少し長めの茶髪と、あどけなさの残る顔。身長は平均的だが、年齢を考えればよく鍛えられている。


少年は、噛みつかんばかりの勢いで女性に詰め寄る。


「師匠!なぜ僕の旅立ちを許してくれないんですか!」


少年の声は、声変わりの真っ最中のような少し低くなり始めたものだ。

言葉を発すると、外見以上に幼くも感じられる。


「なぜもなにも・・・君が弱いからだよ。少なくとも、一人旅を許可できるような強さじゃない。」


女性が少年に答える。無言で立っていた時は厳しい武人の雰囲気があったが、口調は穏やかでかなり印象が変わる。


「だけど、僕だって鍛えています!そりゃ、技術は未だに全然かもしれませんけど・・・」

「いや、そう卑下することも無いよ。君はよくやっている。同年代と比較して、身のこなしも判断力も群を抜いていると言っていい。」

「それなら・・・!」

「だけど、駄目。」


一切の迷いもなく、女性はハッキリと言い切る。


「確かに、君はよく頑張っている。技術なら、戦士として十分だと思うよ。だけど、絶対的に『力』が足りない。それは、君が一番良くわかっているはずだよ」

「それは・・・」


少年は口ごもる。


「最初にも言ったと思うけど。私には、君を強くする事は出来ない。いや、私だけじゃない。この世界の誰にも、君を強くすることは出来ないよ。その理由も、君は理解しているはず。」

「・・・上位元素、ですか。」

「その通り。よし、前に教えたことの復習をしようか。上位元素とは何か、説明してごらん。」

「・・・わかりました」


女性に促され、少年は渋々といった様子で口を開く。




上位元素とは、四次元空間よりも更に高位の次元に存在する「物質」である。

高位次元に存在する特性上、四次元空間ではその姿を視認する事は出来ない。


しかし、それはどこにもないという意味ではない。言うなれば、上位元素はどこにでもある。


上位元素の最たる特徴は、存在するだけで万物に物理法則を超越した影響を与える、という点である。

最も代表的な物は、上位元素の影響を受けた生体の基礎能力の強化である。

正確には強化というよりも、根本から作り替える。

例を挙げれば、この世界に存在する様々な『種族』がある。これらの種族は、様々な生物が上位元素の影響を受けて独自の進化を遂げたものだと考えられている。

その中でも、『神』の名を冠する種族は上位種と呼ばれ非常に高い戦闘能力を持つ。




少年の説明を聞き、女性は満足気に頷く。


「そうそう。この世界・・・・において、上位元素は当然のように存在するもの。そして、その最も大きな特徴は君の言った通り生体の強化だね。例えば・・・」


直後。少年の正面にいたはずの女性が、一瞬で彼の後ろに移動していた。


「こんなふうに、素の身体能力の時点でここまでの動きが出来るようになる。」

「・・・見せてもらわなくても、師匠の身体能力はよく知ってますよ。」

「そんなに不貞腐れないでよ。まあともかく、これは上位元素の力の一端だね。本来であれば、私みたいな人種がどれだけ鍛えても肉体はそこまで強くはならない。それもわかってるよね?」


女性の言葉に、少年は頷く。


「ただの生物がどれだけ筋肉を鍛えても、山は砕けないし、数十歩分の距離を一瞬で移動することは出来ない。強さの上限は、本来そこまで高くない、ですよね。」

「その通り。自律行動する生命体である以上、体の硬さには限界がある。もしかしたら岩は砕けるかもしれないけど、山は無理だね。・・・だけど、上位元素はその強さの上限をとてつもなく引き上げる。言うなれば、この世界の存在は誰もが戦闘の天才だよ。本来ぶつかるはずの成長の壁が、非常に高いレベルにあるわけだからね。もっとも、一体どれほどの人がその事実に気付いているかは定かじゃないけど。」


更に、と女性は続ける。


「生体の強化は上位元素の真髄じゃない。あくまで現象で、ただの付随効果と言っていい。さあ、説明の続きをどうぞ?」

「まだ続けるんですか・・・」

「当然。復習は中途半端にやっても意味がないからね。」


少年はうんざりしたように嘆息すると、説明を再開する。





生体の強化は自然に発生する影響だが、それとは別に、上位元素は意図的に外部に干渉することができる。

そしてその干渉の性質から、上位元素は大きく4種類に大別される。

すなわち、魔力・呪力・霊力・法力。

それらはそれぞれ、以下のような特性を持つ。


魔力。直接的な事象改変を得意とする元素。

魔力を用いて事象を改変する技術を魔法と呼び、多くの種族の長い歴史の中で体系化されている。

その特徴は、非常に高い汎用性。

使い手の制御によって、炎や氷、風や土、そして光や闇といった様々な属性の攻撃魔法を発動することが可能であり。

また、翻訳魔法や探知魔法、回復魔法といった特殊な魔法も数多く存在する。

ただし、攻撃以外の魔法に関しては他の専門性が高い上位元素に様々な面で劣る。


呪力。法則を改変した間接的な事象改変を得意とする元素。

呪力を用いて法則を改変する技術を呪法と呼び、それぞれの種族など限定された環境下で独自の発達を遂げている。

その特徴は、特定目的に対した高い専門性。

音や光の伝わり方を改変することによって、一切の痕跡を残さない隠密呪法。

感覚器官が察知する情報をねじ曲げることにより不特定多数の存在に不快感を与える敬遠呪法。

これらのような、状況は限られるが魔法よりも有効性の高い呪法が多くある。


霊力。生体、とくに動物の肉体改変を得意とする元素。

霊力を用いて生体を改変する技術を霊術と呼び、民族ごとの口伝や武術における秘伝として、それぞれ細かい違いが生まれながら、しかし本質的にはほとんど同一のものとして各地に存在している。

その特徴は、放出ではなく蓄積による長期的な効果の発揮。

霊力は元々の生体強化が他の上位元素以上であり、また霊術を使うことにより短期的に更に身体能力を向上させることも出来る。

外部ではなく内部に対する影響を与えることを目的とした霊術が多い。


法力。状態復元、すなわち改変対抗を得意とする元素。

法力を用いて状態復元を行う技術を法術と呼び、宗教団体などにより多くの者に浸透している。

その特徴は、改変対抗に対する高い専門性。

呪力と同様に、汎用性に欠けるが適応した局面では比類なき効果を発揮する。

状態復元の特性から、上位元素による事象改変への対抗だけでなく、通常の外傷や病気にも効果がある。

また、不死者を正しく死者に戻すことは法術でしか出来ない。


それら四つが上位元素の分類である。


そして、上位元素は適性があれば意図的に操ることが出来る。どの力に適性があるかは種族差や個人差があり、また種類だけでなく適性の高さにも大きな個人差がある。


例えば、魔力に高い適性を持っていれば、魔法で自然災害をも超えた大破壊を引き起こすことも出来る。しかし適性が低いとせいぜい軽いものを倒すくらいしか出来ない。


素の身体能力だけでなく、上位元素をどれだけ扱えるかも、戦闘能力の重要な要素である。





淀みなくすらすらと語る少年に、女性は賞賛の拍手を送る。


「うん、完璧だ。やはり君は優秀な生徒だね。思えば初めて会った時から、君は子供とは思えないくらい聡明だった。」

「知識だけあっても仕方ないですよ。その知識を活かせないと、何の意味もない。」

「そうだね。そしてそれが、君の旅立ちを許可できない理由でもある。」

「・・・・・・・・」


少年は押し黙る。

その様子に、女性は少し気の毒そうな顔を浮かべる。しかし、つとめて平坦に言葉を続けた。


「君には、魔力、呪力、霊力、法力。それら上位元素の適性が一切ない。扱えない、というだけじゃない。上位元素による影響を一切受けることが出来ていない。」

「分かっていますよ、そんなこと。自分が、一番。」

「いいや、わかっていないよ。上位元素による肉体強化の有無が、どれほどの差を産むのかを。理屈では理解しているが、納得していない。」

「・・・理解も納得もしています。何度も、説明されましたからね。」


苦々しい表情を浮かべる少年。


「さっきの師匠の動きを例に挙げるまでもない。上位元素の肉体強化は、生物としての格そのものを変える。」

「そうだね。そして君には、その肉体の強化がない。だからどれだけ筋肉を鍛えても、出来るのは少し重たいものを持ち上げる程度だし、動きの速さだって目にも止まらぬ動き、というのは出来ない。」

「そうですね。でも・・・」

「君自身が魔法が使えないとかはもちろんだし、他者を強化する魔法の恩恵を受けることも出来ない。あれは、上位元素に影響を与えるものだからね。変な言い方になるけど、君はこの世界で唯一の『普通の人間』の強さしか持たない人種なんだよ。」


女性は、宥めるように少年の頭を撫でる。

明らかな子供扱いに少年は憮然とした表情になるが、振り払うことも言い返すこともしない。


「そして何よりも。君は、回復魔法や法術による治癒が効かない。他の人にとっては些細な傷も、致命傷になりうる。だから私としては、そもそも傷を負わないように生きて欲しいんだ。私なら君を守ることは容易い。だから、旅は許可出来ない。ここに居るべきだよ。」

「・・・守る、ですか。」


少年の呟きに、女性は静かに頷く。


「そう。君からしたら、自分の身は自分で守りたいかもしれないけどね。だけど、戦闘力が人の価値の全てじゃないし・・・君には、薬を作るっていう特技があるでしょ?それは、十分生きていく力になり得るものだよ。だから、焦って自立しようとしなくていい。時が来れば、人里に降りて生きても良い。もちろん、その時は私もついて行くけどね。君を助けた者の責任だよ。」

「・・・そこまでは、何度も聞いています。あの時、僕を師匠が助けてくれたことにも、ここまで育ててくれたことにも感謝しています。それに、師匠が言っていることが全て正しいこともわかってるんです。」


だけど、と少年は絞り出すように呟く。


「僕はそれでも、一人で生きてみたい。広い世界を見たいとか、知らないものを知りたいとか、そういう高尚な思いは無いけれど。」

「それじゃあ、君はどうしてそこまで旅に出たいんだい?」

「旅にでるのは、目的そのものじゃないんです。ただ僕は、自分の力だけで生きることが出来ると証明したい。誰かからの一方的な庇護が無くても、僕は僕として在ることが出来ると・・・」


少年はそこで言葉を切ると、自らの言葉を否定するように首を横に振る。そして振り返り、間近にある師の顔を見上げた。


「いや、違いますね。僕はただ、気に食わないんです。理解とか納得とか、そういうの全部無視して率直に言えば、気に食わないんです。」

「気に食わない?」

「はい。言葉にするのは難しいんですけど。ただ何となく、協力とか共存とか以前に、誰かの庇護がないと生きられないって言うのは・・・僕自身が欠陥品と言われてるような気がして嫌なんです。それが短い期間だったらともかく、これから一生、死ぬまでそうだとしたら・・・」


少年は身震いする。


「僕はいつまでも、自らの道を歩むことが出来ない。それが恐ろしくて、そしてそれを恐れてる自分自身も、そうある事を強要する世界も気に食わない。」


少年は、まっすぐ師を見つめる。


「だから、僕はみせつけてやりたい。生き様を、在り方を、他の誰でもない自分自身に。」


強い意志を宿した少年の瞳に、女性は思わず笑みを零す。


「・・・そっか。うん、君の気持ちがわかるなんて言えないけれど。意思は伝わってきたよ。」

「お願いします、師匠。僕はこれ以上ここにいても、大した戦闘能力の向上は見込めない。ただどんどん、色々な物が『鈍っていく』だけな気がするんです。そうしたら僕は二度と、師匠から離れることが出来なくなる。」

「私としては、それでも全く構わないんだけどねぇ。」


女性は可笑しそうに笑う。

そして、少年の頭から手を離すと表情を真面目な物にして少年に問いかける。


「どうしても、今行きたいの?十中八九、すぐに死んでしまうよ?」

「はい、出来ればすぐにでも発ちたいです。もちろん、師匠に救ってもらった命。死んでも構わないなんて言うつもりはありませんし、そもそも死ぬ気もありません。」


断言する少年に、女性は問いを続ける。


「その自信の理由は?」

「これです。」


少年は、懐から小さな丸い塊を取り出す。


「それは・・・薬?」

「はい。これは、僕の作った試作強化薬です。この森にある素材だけで作ったからそこまで高い効果はありませんが・・・それでも、しっかりと僕にも効果があることは確認しています。」

「なるほど、上位元素を使用していない純粋な薬剤ってことか・・・!漢方薬みたいなものなんだね。」

「戦闘用に調整もしてあります。効果は、視覚及び聴覚の鋭敏化と肉体の応答速度の向上。問題は攻撃性能の強化作用がない事ですが・・・大抵の魔獣なら、対策法も弱点も知っています。師匠に教わりましたからね。」


どこか得意気に語る少年。


「もちろん、薬はこれ一つじゃありません。現在作ったものの中ではこれが一番出来がいいってだけです。」

「なるほど・・・いや、本当に驚いたよ。ちなみにこの薬に名前はあるの?」

「名前、ですか?いえ、特には・・・」

「そっかそっか・・・じゃあ私が名付けてあげよう。そうだなぁ・・・」

「え、いやちょっと師匠?」


少年の戸惑いはお構い無しに、女性はぶつぶつと考え出す。

そして数分考え続け・・・


「よしっ、決めた!この薬の名前は『会心返刀ファーストブラッド』にしよう!」

「うわっ急に大きい声出さないで下さいよ!」

「君は攻撃を受け止めることは出来ないから、戦闘スタイルは間違いなく回避からのカウンター型か、相手の出端を挫く後の先になるだろうし・・・それはある意味先制攻撃って言える。うんうん、我ながらいい名付けだよ。」


満足気に頷く女性。

少年は一瞬呆気に取られていたが、すぐにハッとした表情を浮かべる。


「って師匠、わざわざ僕の戦い方を考えたってことは・・・!」

「まあまあ、焦らないでよ。確かに、君の旅立ちを頭ごなしに禁止するつもりは大分薄くなったけど・・・本気で旅立つつもりなら、準備が足りないからね。それに、本当に大丈夫なのか証明してもらう必要もある。」

「証明・・・望むところです。」


挑戦的な笑みを浮かべる少年の頭を、女性はわしわしと乱暴に撫でる。


「よしっ、じゃあとりあえず今日の所はご飯にしよう!私はシチューが食べたいな。」

「シチューですか・・・良いですね。わかりました、すぐに準備するので待ってて下さい。」

「うんうん、楽しみだねぇ」


そして二人は、小屋へと帰り。

しばらくしてからその小屋からは、素朴な料理の良い香りが漂ってきていた。

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