「第5章 話すべきか話さないべきか」

「第5章 話すべきか話さないべきか」(1)

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 直哉が美結を救う為、三人に協力を申し出たあの日から、随分と時間が経過した。来たる日までは、特に変わらない日常を淡々と過ごしていた。


 季節は本格的に夏になり、通学路の木々からはセミの鳴き声が聞こえるようになった。


毎朝、最寄り駅から学校まで歩くだけで、汗が滝のようにボタボタと流れるようになり、体育の後は皆、制汗スプレーを使うのが当たり前になった。


生徒達は、夏の暑さに耐えながら、もうすぐ訪れる夏休みを今か今かと指折り数えて待っていた。


そんな中、入学してすぐに行った図書委員の順番が再び回ってきた。“心読み”での美結との繋がりが消えてしまった今、自然に話せる機会があるのは、この図書委員のみである。


もっとも今は、四人が味方なので教室でも本気で話そうと思えば話せるが、美結に気付かれない為に以前の状態を装っていた。




――金曜日の夜。


先週の当番から図書委員の日報を受け取った直哉は、美結にLINEを送っていた。


【来週からまた図書委員の当番が始まるから。日報は学校で貰ったよ。取り敢えず月曜の朝は、俺が行くから。前と同じように交代でやろう】


 直哉がメッセージを送るとすぐに既読が付いて返信が届いた。


【分かった。来週からまたよろしく】


【こちらこそヨロシク】


 美結との淡白なやり取りを交わして、直哉はLINEを手早く終わらせた。




――月曜日の朝。


この日、直哉は普段より自然と二本早めの時間に家を出た。


大勢の乗客と一緒に朝の電車に乗り乗換駅に着く。そのまま流れるように改札を通り、他の乗客と地下鉄のホームまで降りると、ホームの時計に目が向いた。


そう言えば美結と“心読み”の待ち合わせをしていたのは、いつもこの時間だったと思い出した。ただの偶然だが、どこかで繋がってくるものだ。


昼休みの図書当番を先に直哉が担当する。一回、やった事があるだけに作業自体はつつがなく終わった。また、前回と違って夏の図書室はクーラーが効いておりシンとした空気が増していた。


 まるで早送りのように進んでいく一日を終えて放課後に突入して、直哉は自分の席で軽く深呼吸していた。掃除も終わった教室には、もうあまり生徒は残っていない。


真島が心配そうにこちらを見ているが、「大丈夫」と手を出した。


 軽く緊張を抱えつつも立ち上がり、美結の下へと向かう。彼女は森谷、梅沢と仲良く話をしていたが、直哉が来たのが分かると「あっ、」と小さく声を上げた。


「新藤さん、図書当番。先に行ってるから」


「え? ああ、うん。もうそんな時間か」


 戸惑っている美結にそれまで話していた梅沢が後頭部をかいた。


「あー、美結は今日から図書当番か。それならしょうがないな。邪魔しちゃ悪いし。帰りますか」


「そうだな。私たちは帰ろう」


 二人がそう言って立ち上がる。それまでの話をスパッと切り上げて立ち上がった。二人に若干驚きつつも「あ、ありがと」と美結は礼を言った。


「いいって。図書委員頑張ってね」


 梅沢が美結の肩に手を置いて、応援する。二人はそのまま教室の外へ向かって足を進ませる。


『――ってか、今日は彼氏と帰らなくていいの?』


『優人は今日、用事があるんだってさ』


『それじゃ、今日は私と遊ぼうよ。ちょっと服見たいんだ』


『ああ。いいよ』


 二人が教室から出ていく途中でそんな会話が聞こえていた。話し相手のいなくなった美結に直哉は変わらない態度で続ける。


「俺は先に行ってるから」


「あ、待って。私も一緒に行く」


 美結がそう言ったので、直哉は「分かった」と返した。二人は一緒に教室を出て、図書室へ行く事になった。通学カバンを肩に掛けて廊下を歩く。互いの足取りは、春とは対照的だった。


 美結は下を向いて直哉と目を合わせようとしない。そのせいでどうしても生まれてしまう気まずい雰囲気の中、彼が話しかけた。


「図書当番、久しぶりだ」


「うん」


 下を向いていた美結が直哉の言葉に反応して、顔を上げた。


「前の時は、まだ入学したてだったから何でも新鮮だった。でも三ヶ月が過ぎたら、すっかり慣れちゃったよ」


「そうだね」


 顔は上げた美結だったが、直哉の話に簡単に返事をするばかりで、会話を広げる気はないように思えた。“心読み”の問題があるから、そういう態度なのかも知れないが、今の直哉はその気持ちに負けるつもりはない。


 作戦はもう始まっているのだ。


「新藤さん、最近は図書室に行った?」


「ううん。行ってない」


「あ、なら驚くよ。教室よりも全然クーラーが効いてるから、とっても涼しい」


「へぇ、そうなんだ」


「ああ。じっとしていると、寒いって感じるくらい」


 たとえ、どれだけ美結が素っ気ない返事をしても直哉は、話を止めようとはしなかった。彼女の方も流石に無視までは出来ないみたいで、何とか今の体制を維持していた。


 放課後の廊下を歩き、図書室前までやってくる。そのまま直哉が図書室のドアを開けた。


 昼に感じていたシンとした空気は、クーラーによってより洗練されて、神聖な雰囲気すら感じていた。隣にいた美結もそれは感じてくれたようで、「本当だ、涼しい」と小声で感想を漏らしていた。


 前回と同じように司書教諭の井原先生がカウンターでノートパソコンを広げて、図書委員がやって来るまでの繋ぎをやっていた。二人が入ってくると、反応して顔を上げる。


「やぁ、お疲れ様。佐伯くん、新藤さん」


「お疲れ様です。井原先生」


「お疲れ様です」


 彼女に対して直哉と美結は、それぞれ挨拶を交わす。お疲れ様という言い方が、本当に仕事をしているみたいで、小さな責任を感じていた。井原先生はノートパソコンの蓋を閉じて立ち上がった。


二人はカウンター内に入り、彼女と当番を交代する。


「今日からまた一週間。図書当番をヨロシクね」


「はい。宜しくお願いします」


「宜しくお願いします」


 二人の返事を聞いた井原先生は「うん」と笑って、そのままカウンターから繋がっている司書室へと入って行った。


「じゃ、やろっか」


「そうだね」


 二人は前回と同じ位置に座り、勉強道具と文庫本を取り出して当番の仕事を始める。学期末のテストが再来週から始まるので、ここで勉強時間を作れるのは有難い。クーラーが効いていて、誰にも邪魔される事がない。夏の放課後の図書室は勉強をするには、校内でもっとも適した空間だった。


 それを証明するように時間が経過につれて、続々と生徒たちが入って来る。


彼らは勿論、この快適さを知る者たちだ。誰も雑談せず、シンとした空気の中、クーラーから吹く風の音とシャーペンがノートの上を走る音だけが響く。途中で何人か本を借りに来たが、それ以外はする事はなく、二人は集中して勉強出来た。おかげであっという間に閉室時間となった。


 その間、直哉と美結は、会話らしい会話を何もしていない。


「では、お疲れ様でした」


 閉室作業を終えた二人に井原先生がそう言った。


「はい、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


 直哉と美結がそう返して、各々の荷物を持ち、図書室から出た。前回と同様に井原先生は、まだ仕事が残っているとの事で司書室にそのまま帰って行った。


 図書室を出た途端、忘れていた夏の暑さが直哉の頬に当たった。


「やっぱ、外に出ると暑いね」


「うん。暑い」


 隣の美結にそう話しても相変わらず、彼女は淡白な反応しか返さなかった。それに直哉は重たくなり始めた空気に堪えながら下駄箱に向かって歩き出す。


廊下から見えるのは夕焼けではなく、夜空。二十時を超えては、夏の空もすっかり夕焼けからは変わってしまっていた。他の部活動の声も聞こえない。ただ、ガヤガヤとした声はあちこちから聞こえて、まだ大勢の生徒がいるようだった。


下駄箱で上履きからローファに履き替えて、校舎の外に出る。中と暑さは一緒だが夜風が吹く分、まだ涼しく感じた。隣の美結は外の変化にも何も示す事なく、淡々と歩いていた。先に行ってしまう彼女に小走りで追い付いて、声を掛ける。


「廊下に出た時も暑いと思ってたけど、やっぱり外も暑いね」


「うん」


「あ、でも風が吹いてるから、少しは涼しいか」


「そうかも」


 直哉の言葉に口数少なく返す美結にそろそろ限界だと感じていた直哉が「ねぇ」と少し声に力を入れて尋ねた。


「あのさ。俺、新藤さんに何かした? それとも体調悪いの?」


「あっ、ううん。ゴメン、違うの。ちょっと緊張しちゃって」


 直哉の声色から彼が怒っていると思ったのか。美結は手を振って慌てて返す。「緊張?」


「ほら、“心読み”の確認作業をしなくなってから、佐伯くんと話す機会がなくなっちゃって。久しぶりの図書委員で何を話せばいいか分からなくなって……」


 細々とそう話す美結。直哉からしたら、彼女がずっと怒っているのではないかと思っていたので、そうじゃないと知り安心する。だが、それを顔には出さない。


「新藤さんが緊張する事はない。クラスメイトなんだから」


「そう、だよね」


 直哉の言葉に自分自身を納得させるように頷いて美結は深呼吸をした。


「ゴメン。もう大丈夫」


 そう言った美結の声色や雰囲気はいつもと変わらない。直哉が知っている美結だった。その様子を見て、これはもう話しても問題ないと判断した。


「えっとね」


「うん?」


 首を傾げる美結。先程、彼女に緊張する必要はないと言っていたのに今度は直哉の方が緊張していた。夏夜の虫の鳴き声が聴こえて耳に入る。それらに負けないように自分の声を意識して、言葉を発した。


「前に話してた願い事決まったんだ」

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