「第4章 夏夜のアスファルト」(3-3)
(3-3)
その話を聞いて、横から美結が笑う。香夏子は「しーっ」と人差し指を立てた。
「かき氷が始まったら、注文してよ」
「はーい。取り敢えず今日はアイスコーヒーにしようかな」
「あ、俺もアイスコーヒーで」
二人して同じメニューを注文する。
「はい。アイスコーヒー二つですね。かしこまりました」
香夏子はそう言って、頭を下げるとカウンターへと戻って行った。戻って行った彼女の後ろ姿を見ながら、直哉がボソッと口にした。
「この店、かき氷が出るんだ」
「うん。毎年出てるよ。個人店の喫茶店だからこそ、季節限定の定番を作って勝負するんだって香夏子さんが言ってた」
「そうなんだ。始まったら、俺も注文しようかな」
「うん。ぜひ、注文して。美味しいから」
香夏子が言っていたかき氷を出す真夏日まで、あと二週間と言ったところだろうか。毎日をどう過ごしていくか、すぐに行けるとは限らないが、行ける時に行きたい。ただ、一人で行けるかどうかは分からないけど。
直哉がそう考えていると、香夏子が銀のトレーに二人分のアイスコーヒーを持って、こちらへ歩いてきた。
「はい。お待たせしました」
慣れた手つきで二人の前にアイスコーヒーとストロー、小さな銀のピッチャーに入ったガムシロップとフレッシュを置いた。
「ありがとう、香夏子さん」
礼を言った美結に微笑んで丁寧に運ぶ香夏子。所作の一つ一つが洗練されていて、見ていて美しいと直哉は思った。
「それではごゆっくり」
香夏子が頭を下げて離れていく。二人とも目の前に置かれたアイスコーヒーにストローを刺して、口を付けた。細い飲み口から入ってくるコーヒーの風味が口内に広がった。火照った体の中から、冷やしてくれた。
「あぁ、美味しい」
口を離した美結がそう感想を言う。同じく口を離した直哉も彼女に同意した。
「本当。凄く美味しい」
「ホットも美味しいけど、アイスコーヒーも美味しい。やっぱりグリーンドアは大好き」
美結が満足そうに話す。こうして話す彼女はいたって普通の女子高生に見えた。しばらく二人でアイスコーヒーや店内の雰囲気を堪能した後、ストローから口を離した彼女はそっと言葉を出す。
「ずっと朝のホームに行けなくてゴメン……」
「うん。でも毎回、事前にLINEくれるから」
大丈夫とか平気とか、美結を安心させてしまう言葉を使わずに直哉は返した。そして、「だけど、」と話を続ける。
「この一週間、新藤さんが来なかった事は、素直に心配してる」
「心配してくれてありがと。大丈夫だよ。本当に、何でもないから」
言葉尻が小さくなっていき美結の意思の力が消失していくのを感じる。
この状況下で、何かあったかなんて、こちらからは聞いていないのに何もないと返すのは、ある種、答えを言っている事に近いのではないか。
一体、何を隠しているのか直哉には分からない。
聞いてしまいたいけど、良いのか分からず境界線上で足踏みをしていた。
直哉は多少強引だが、話題を変えた。
「そう言えば、小説の方はどう? 進んでる?」
「……ああ、うん。順調かな」
直哉の問いに弱気に返す美結。一体、彼女はどんな話を書いているのだろう。そもそもあらすじすら、教えてもらった事がなかった。話題を継続する意味も込めて、彼は質問を続ける。
「そう言えば、俺まだ新藤さんが書いてる小説の話、聞いた事ないや。どんな話なの?」
「んー、割と普通の話だよ。どこにでもあるような」
普通の話。“心読み“で数多くの人の心を文字として読んだ美結の書く普通の話とは、どんな話になるのだろうか。興味とほんの少しの恐怖が同時に直哉に押し寄せてくる。
「そうなんだ。完成を楽しみにしてる」
「楽しみにしてて」
やり取りを交わして、美結の小説の話は終わってしまった。そしてここからはまた、いつも通り最近読んだ本や学校の話が始まった。彼女と本や学校の話で盛り上がるのは楽しい。だけど、やっぱり引っ掛かるものがある。
それが頭から離れずまるで何かの劇のキャラクターになって、決められたセリフを話しているような錯覚に陥った。でも、二人を包む空気は確実にいつものの空気へと戻っている。
元気が少なめだった美結も次第に明るく笑うようになり、それを見ていた直哉も一緒になって笑う。心の引っ掛かりは、ちゃんと存在している。
弾んだ会話と引き換えに赤い窓枠から見える空は、夕焼けが見えるようになった。夏がまだ、夕焼けに留めてくれているが時間帯的には立派に夜だった。
そろそろ店から出るか、それとも前みたいにここで夕食を食べるか。流石にこれ以上はアイスコーヒー一杯で居座るのは店に悪い。そう直哉が考えていると、美結が「ところでさ……」とそれまで話していた話題を変えた。
「ん? なに?」
直哉が聞くと、美結は真っ直ぐにこちらを見る。勇気を振り絞って言葉を出そうとしている。そうか、彼女は今から言う事の為にグリーンドアに連れて来たのか。今更、彼はここに来た意図を把握した。
「すぅ――、」美結が息を吸う。彼女の肩が上下した。
「今日で終わりにしたい。“心読み“の確認作業」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます