「第3章 二人の家族の対応の差」(4-5)

 どうやら何で胃を満たせば良いのか正解が分かった。駅前から逸れて、道を歩いていると後ろから一台のシルバーのセダンが通り過ぎた。センターラインのない道幅だったので、必然的に二人は、端に寄る。すると、通り過ぎたセダンはハザードを点けて一時停止した。停車したのは、シャッターが降りたクリーニング店の前だった。


「うそ……」


 隣で美結がそう呟いた。ついさっきまで楽しく話をしてファミレスで食べようかと話していた彼女の表情は一気に暗く怯えていた。


 車のドアが開いて、中から一人の女性が降りてきた。


「お母さん」


 隣で美結が呟く。彼女がお母さんと呟いた女性は黒のブラウスにパンツスタイルの女性で色付きの眼鏡をかけている。そして、薄手の黒の革手袋をしていた。


杏と雰囲気は似ているかも知れないが、こちらを見る視線に冷たさがあった。彼女は二人を見てからゆっくりと口を開く。


「美結のiPhoneに電話したんだけど」


「えっ!?」


 指摘されて美結は慌てて持っていたトートバッグからiPhoneを取り出す。手元で操作して、確かに着信はあったようで、彼女の口から重たい息が吐かれた。


「いつも言っているでしょう。ポケットに入れておきなさいって。電話しても気付かないんじゃ、持ってる意味がないんだから」


「ゴメンなさい」


 美結が謝ると、彼女がため息を吐く。そのため息は絶対にここまで届かない距離はあるのに当たっているような錯覚があった。ため息が届いたのか、何も言えない美結を余所に彼女は、直哉にも視線を向けた。


「あなたは、美結のお友達?」


「はい。同じクラスの佐伯と言います」


 直哉が自己紹介すると意外にも彼女は笑って答えた。


「そう。佐伯くん、いつも美結と仲良くしてくれてありがとう」


「いえ。新藤さんにはいつも助けてもらっています」


 美結には助けてもらっている。そう話す直哉だが彼女はそんな事、まるで興味がなさそうだった。再び視線を美結へ向ける。


「佐伯くんを駅まで送っているの?」


「うん……」


 駅から一本逸れた道に入っているのに敢えて見送っているのかと彼女は聞いていた。それに美結は力なく同意する。


「ねえ、今からご飯に行かない? もちろん佐伯くんも一緒に。大丈夫、杏には私から言っておくから」


 既に決まっていた決定事項に自らを強引に割り込ませる彼女のやり方。


直哉は隣で怯える美結の気持ちが少し分かった気がした。これは少しでも負担を減らす為にも三人で行った方がいいだろう。


そう決意して直哉が話そうとすると、それよりも早く美結が声に出す。


「お母さん。佐伯くんはこの後、用事があるんだって。夕食に誘うのは悪いよ」


「あら。そうだったの?」


 美結の発言を聞いて、彼女が視線を直哉に向ける。見定めるような目。色付きの眼鏡の向こう側からでもハッキリと分かった。直哉は行くつもりだった。だが美結に牽制されてしまうと、動きが制限されてしまう。


「実はそうなんです。せっかく誘ってもらったのにすいません」


「全然、佐伯くんが謝る事じゃないわ。急に誘った私が悪かったんだから」


「すいません」


 彼女に嘘のような笑顔を作って直哉は隣の美結の方を向く。美結は顔に表情がなくまるで笑顔の仮面を付けたようだった。


「佐伯くん、駅まではね。反転して真っ直ぐ行けばすぐだから」


「ありがとう。それなら一人で行けるから見送りは大丈夫」


 まるでお芝居のように先程まで歩いた道の礼を直哉は言う。


「うん。じゃあ、ここで」


 美結は車の方へ足を進めた。彼女の母が後部座席を開ける。革手袋をした手のままで、実に当たり前のように美結が乗ると、バタンとドアを閉めた。


そして、直哉の方を向く。


「佐伯くん突然ゴメンなさい」


「いえ。それでは失礼します」


 クラスメイトの両親にはおおよそ言わないセリフを言って、頭を下げる自分の動作が、どこかわざとらしくて、それを俯瞰で見て気持ち悪いなと感じていた。


 彼女が運転席に乗り、しばらくするとエンジンが始動して、静かに発進する。本来、行くはずだったファミレスを通り過ぎ、車は右折してどこかに行った。


 車が見えなくなってからも直哉は、しばらくそこに立っていた。


「ふぅ〜」


 口から様々な意味を含めた息を吐いて、体を駅へと向ける。歩きながら、彼の脳裏には美結の母親の革手袋が浮かんでいた。あの革手袋。あれは、運転する為でも防寒でもない。あれは、“心読み”対策だ。向こうは直哉が“心読み”を知っているなんて、思っていない。だからこそ堂々としていた。


 美結の家族は、ああやって対策をした上で実の娘と接触していたのだ。叔母である杏は、手袋なんてしていなかった。“心読み”を知っている上でだ。


なるほど、彼女が叔母を慕う理由が分かった気がする。


 二人の家族の対応の差に納得した直哉は、駅に到着して改札を抜けてホームで電車を待つ。その時、美結からLINEが届いた。


【佐伯くん、今日は本当にありがとう。夕食に行けなくてゴメン】


【いいんだ。お母さんが来るのは知らなかった訳だし、まだファミレスに入っていなかったから、大丈夫】


 美結を励ますメッセージを送る。直哉が送ったメッセージはすぐに既読になり、返信が届いた。


【今日、ずっと話そうと思ってたんだけど、結局家族の事言えなかった。佐伯くんが優くて、聞かないでくれたから私が甘えちゃった】


 家族の事。複雑な内容だけに直哉から聞いてもしょうがない。彼女の口から説明されるまで変に追及しても意味がないと思っていた。その上でもしかしたら、忘れている可能性もあるかも知れないなんて思っていたが、違っていた。


 直哉は返信を書く。


【それも大丈夫。新藤さんが話したくなったら、話してくれたらで構わないよ。こっちから急かすような真似はしない】


【ありがとう、必ず話すから】


【うん、分かった】


 美結とのメッセージを往復する。やがて電車がホームに到着したので、直哉は電車に乗った。車内は割と混んでいたが、一人分のスペースを見つける事が出来たので、そこに腰を降ろす。彼女からの内容は続いていた。


【あと、家族の話とは別に言おうと思ってたんだけど、やっぱり朝の確認作業は再開したい】


【いいの? 友達に見つかったのに?】


 再開したいという内容に直哉は内心喜んだが、ここで簡単に了承してはいけない。まず不安材料を美結に問いかけた。


【二人には私から説明する。佐伯くんの迷惑になるような事は絶対にしない】


【俺のって言うよりも新藤さん自身の事で……】


【それも平気。本当は、もっとすぐに再開しないといけなかった。私から頼んでしてもらっている事なのに】


 自分を追い詰めるような書き方をしている美結を慰めようとメッセージを書いていたが、それよりも早く美結から追加のメッセージが届いた。


【だからお願い。やったり止めたりで佐伯くんには迷惑かけっぱなしだけど、もう一度お願いしてもいい?】


【いいよ】


 美結の頼みを直哉は了承する。すると、彼女からはありがとうと言った黒猫のスタンプが送られてきた。今まで彼女からスタンプが送られた事がなくて、初めてだったので、画面上に表示された可愛らしいスタンプに小さく笑ってしまう。


【じゃあ、また来週から】


【うん。ありがとう】


 そう返ってきて、美結とのLINEが終わった。これ以上は雑談になる。向こうは今から夕食なのに変に気を使わせてもしょうがない。直哉はiPhoneをポケットに入れた。気付けば降りる予定の乗換駅はまで、残り二駅だった。


 ポケットに入れたiPhoneの代わりにトートバッグから文庫本を取り出して、ページを捲る。問題が前進した事もあって、久しぶりに本が読めた気がした。

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