「第3章 二人の家族の対応の差」(4-2)

「お邪魔します」


 綺麗に掃除された玄関からは、他人の家の匂いがした。先に靴を脱いで、スリッパを用意してくれている美結。「ありがとう」と礼を言って、直哉も靴を脱いで出されたスリッパに足を通す。


「今日って一緒に住んでる叔母さんはいるの?」


「うん、いるよ」


「挨拶した方がいい?」


 直哉が尋ねると美結は、「んん〜」と唸って首を傾げる。


「朝、佐伯くんが来る事は言ってるけど、部屋で仕事してるって言ってたんだよね。だから邪魔しない方がいいかも知れない」


「そっか。分かった」


 土曜日も仕事をする程忙しいなら、邪魔はいけない。直哉は素直に引き下がる。


「でも、夜は出掛けるみたいで、その時に顔を出すって言ってたから挨拶はそこですればいいと思うよ」


「良かった。そうするよ」


 向こうから来てくれるなら有り難い。


「うん。じゃあ、まずは洗面所で手洗いしてから、私の部屋に行こう」


 案内された洗面所で手洗いを済ませて、直哉は美結の部屋に入る。クラスメートの女子の部屋に入るのは、初めてだった。


「お邪魔します」


 緊張のせいか、直哉はまたお邪魔しますと言ってしまった。それを美結にクスクスと笑われる。


 美結の部屋はとてもシンプルな作りだった。ダークブラウンで統一されたデスクとチェア。そして天井まで届く本棚には、大量の本が入っていた。その殆どが小説。自然と直哉は本棚へ目が向いてしまう。彼も持っている有名作品もあれば知らない外国の本もあった。


「あ、やっぱり本棚に興味ある?」


「ゴメン、つい……」


 美結に指摘されて、直哉は頭を下げる。


「別に謝らなくていいよ。本が見たいなら、見てもいいけど後にしない? 取り敢えずは座って?」


「うん」


 部屋の中央、丸いラグに置かれたローテーブル。その体面上に直哉と美結が座る。彼は持って来たトートバッグから勉強道具を取り出した。


 今回、集まったのは“心読み”についての話し合いだが、それは秘密の目的であり、叔母さんに気付かれないよう、名目上の目的が必要だった。


そこで用意したのが、テスト勉強。美結とは丁度、文系・理系で得意科目が分かれているので、互いに教え合う事が可能だった。


 美結は既にローテーブルに自分の分の勉強道具を広げていた。


 互いに勉強道具を置いて、ペンケースからシャーペンを取り出したところで準備は完了。これで彼女の叔母がいつ挨拶に来ても問題ない。


「まずはこれから。いい?」


 そう言って、美結が自分の右手を伸ばす。


「もちろん」


 直哉は自分の右手を伸ばして出された美結の右手を掴む。朝のホームでも放課後でもない。全く別の確認作業の時間だった。


「うん。大丈夫」


 数秒して、“心読み”が消えていない事が分かると、美結がそう言って手を離した。


「土曜日に確認するのって初めてだ。やってみると、結構新鮮だよね」


「うん。確かに」


 一日で二回行っていた確認作業の内の一つが消えているだけに余計に新鮮さは増しているように感じた。


「さて。それじゃ話し合いを始めますか」


「始めよっか」


 そうして、二人ともシャープペンを置いたまま話し合いを始めた。


「やっぱり今でも、俺以外の人の“心読み”は出来ないまま?」


「うん。毎日試してるけど、佐伯くんだけ」


 基本事項を確認。状況は何も変わっていなかった。やっぱり何かの拍子で変わってしまったのが原因だと判断する。もう何度も考えているが、それでも考え続けてしまう。


「そう言えば、私と佐伯くんの共通点ってさ」


「うん?」


 美結がポソっと部屋に空気を湿らすように話す。


「クラスメートとは別に図書委員っていうのがあるよね」


「ああ、まあ」


 言われてぼんやりと同意する直哉。美結との共通点として確かに図書委員は存在している。


「もしかして図書委員が“心読み”に関係してるとか……?」


「うーん。それはどうだろう」


 美結が見つけた共通的に直哉は懐疑的になる。


「どうして?」


「仮に図書委員相手にしか“心読み”が使えなくなったとする。なら、隣のクラスの図書委員の湯川さんと握手した時はどうだった?」


 図書委員の日報を渡した時に美結は湯川と接触している。その時点で直哉以外にも“心読み”が出来るなら判明しているはずだ。


「あ、そっか」


「でしょ?」


 直哉がそう言うと、美結は「あぁ〜」と言って、そのまま後ろに倒れ込む。せっかく本人が見つけた共通点を潰してしまった事に罪悪感を覚えて直哉は慌ててフォローした。


「で、でも。惜しいとは思うよ。図書委員ってのは、二人の共通点だから!」


 直哉がフォローすると、美結はノソっとした動作で起き上がった。少し乱れた髪を手櫛で直す。


「けど、間違ってるじゃん。佐伯くんの言う通り、湯川さんと握手しても“心読み”は読めなかった」


「もしかしたら色々な条件が重なっているのかも知れない。図書委員もその中の一つだとしたら、可能性はある」


「確かにね」


 “心読み”の喪失に関係しているトリガーが複数の可能性はある。同時に幾つ存在するか分からない。十なのか百なのか。考える分だけ増殖していく。


「う〜ん」


 美結が腕を組んで考える。その様子を見て直哉はここに来た目的をあらためて思い出していた。それはグリーンドアでも学校でも出来ない話をする事。


即ち、美結の家族の話。おそらく美結本人だって承知している。“心読み”が使えている以上、下手な駆け引きは無用。彼女が話してくれるのを待つしかない。


直哉は一旦、考えを隅に置いて今も悩んでいる美結に向かって提案をする。


「あのさ、一つ聞いてもいい?」


「うん。いいよ? 何でも聞いて?」


 直哉の問いかけに美結は笑顔で答える。


「例えばだけど、“心読み”の問題を他の人にも相談するのはどうかな?」


「……えっ?」


 美結の顔が固まった。それを認識してダメだと思った時には既に遅く、口は動き続けてしまっていた。


「例えば、グリーンドアの香夏子さんとか。あの人なら力になってくれそうじゃない? もしかしたら、俺達には考え付かないような凄い解決策を――」


「いや」


 最後まで言い切る前に美結が明確な拒否の姿勢を見せた。直哉が言い始めてから気付いた彼女の感情は強くて、香夏子の名前を出しても意味がなかった。

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