「第2章 初めて覗かせる彼女の素の表情」(3-4)
(3-4)
「ゴメン」
一言そう言って、キャラメルラテに手を伸ばした。まるで逃げるようなその動作に最初に飲んだ時の笑顔はない。口を付けて、何度か喉を上下させてから、美結は「実は、」と話を始める。彼女の言葉を一言も聞き逃すまいと自然に直哉は前のめりになっていた。
「今日の放課後からね、急に“心読み”が出来なくなった。相手に触っても何も読めない。一人だけじゃなくて、いつも仲良くしてる子全員。怖くてたまらなくなって、代理で図書当番があるって逃げたの」
「いや、でも」
説明しながら、どんどん表情が沈んでいく美結に直哉は、混乱する。
「さっき俺と握手した時には、読めてなかった? 朝食を当てられたよ?」
「うん。佐伯くんだけは、今も変わらず心読みが出来てる」
「俺だけ? なんで?」
そう直哉が聞くと、美結は首を左右に振った。
「分からない。でも実際出来てる」
「少なくとも学校で“心読み”が出来るのは、佐伯くんだけ。それで、佐伯くんには申し訳ないけど読めた時、本当に安心したの。いる! 完全に消えてないって分かったから」
自分だけは“心読み”が使える? 美結の説明を聞いて首を傾げる直哉。彼女はとにかく“心読み”が使える事に安心しているみたいだが、彼はそんな簡単に喜べない。心なんて読まれない方が良いに決まっている。
それが、またしても顔に出てしまって、美結が申し訳なさそうに頭を下げた。
「佐伯くんからしたら、こんな話嫌だと思う。本当にゴメン」
「うん……、まあ」
美結の謝罪を否定しない直哉。嫌なのも事実だから。彼の心情を充分に把握している顔をしつつも彼女は言葉を続ける。
「その上でお願いがあるの」
「お願い?」
警戒を隠さずに美結に尋ねる。すると彼女は一拍分、間を置いてから内容を口にした。
「私の“心読み”が元に戻るのを手伝ってほしい」
「そんな事、出来るの?」
無謀なお願いに眉を寄せる直哉に美結は畳み掛ける。
「分からないよ。でも、今の私には佐伯くんしか頼れる人がいない。どうして、佐伯くんだけの心だけが読めるのか。その法則さえが分かれば、他の人にだって使えるはず。逆を言えば、佐伯くんだけ読まないようにも出来る」
「言っている意味は理解出来るけど……」
そして、口には出さないが、直哉には美結が彼女なりにリスクを負ってこの説明をしているのも理解している。今まで誰にも話した事がない秘密。それを話して、どう受け止められるのか。未知なだけに最悪なケースも存在するからだ。
すぐには美結のお願いを了承出来ない直哉に美結は、言葉を止めない。
「私にとって“心読み”がない人生は、目と耳がない状態と同じ。このままじゃ私は私でいられなくなってしまう。身勝手なのは、重々承知してる。だけど佐伯くんにしか頼れない。お願い、助けて。その代わり、願い事があれば言って。私に出来る事は何でもするから」
祈るような、縋るような瞳をこちらへ向けて美結は頭を下げた。彼女にとって“心読み”がどれ程大切なのか。直哉の目の前で頭を下げた彼女の体が震えている事から、それは伝わってくる。
何が大切なのかは、本人次第。その核と呼べるものが、なくなった喪失感は皆、等しく同じ。美結の場合は“心読み”だったという事になる。
おそらく美結は直哉が返事をしない限り、このまま頭を下げ続けるだろう。この店に来たのも言ってしまえば、覚悟を表している。彼は、そこまで考えて口から息を吐いた。その息にはカフェ・ラテの香りが混ざっていた。
「分かったよ。っと言っても、俺に何が出来るのか分からないけど。やれる限りは……」
どこか照れながらも直哉が了承すると、美結は弾かれたように顔を上げた。顔を上げて数秒すると、彼女の二つの瞳はみるみる潤んで、迷いなく涙が流れた。
「あ、ちょっと、」
急に泣かれたものだから、直哉は焦る。ここは美結の行きつけのお店だ。香夏子だって、他の客の目だってある。湧き上がる羞恥心と焦燥感に駆られていると、当の本人は、そんな事気にしないと言った様で涙を両手で拭った。
「ありがとう……、本当に」
「いや、うん……」
戸惑いながらも相槌を打っていると、真っ白のハンドタオルを持って、香夏子が駆け寄ってきた。
「美結ちゃんっ! どうしたのっ!? あ、直哉くんが泣かせたなぁ!」
「ちっ、違いますよ」
疑惑の目を向けられて、直哉は慌てて否定する。結果的には泣いた原因を作ったのかも知れないが、少なくとも彼にはその気はなかった。今だってない。
慌てた直哉に目の涙を拭いた美結が弁明する。
「大丈夫です、香夏子さん。佐伯くんに泣かされた訳じゃありません」
「ほんと〜?」
「ええ。本当です。私が今まで香夏子さんに嘘をついた事がないでしょ?」
笑顔でそう宣言する美結に香夏子が少し押され気味になって、「ま、確かに」と納得した。そして直哉に向かって手を合わせる。
「ゴメン、佐伯くん。変な事言っちゃった」
「いえ。大丈夫です」
「ありがと。また、何かあったら呼んで。あ、美結ちゃん。タオルはそのままでいいからね」
「はい」
美結の返事を確認してから、まるで暴風のようだった香夏子はテーブルから離れていった。
「ビックリした。怒られるのかと思った」
「ふふっ、確かに。やっぱり泣いたのは大きかったかも」
笑って返す美結。最終的には彼女も泣き止んでくれたので、良しとするしかない。それに今、彼女が流した涙は学校で流した涙とは、種類が違う。
手を繋がなくても直哉には分かった。空気が丁度良い感じにリセットされたので、彼は「ところで」と口火を切る。
「協力はするんだけど、具体的にどうしたらいい? 新藤さんは“心読み”を復活させる方法に検討は付いてる?」
いざ、戻す事になって何をしたら良いのか。直哉が尋ねると、美結は力なく首を左右に振った。
「分からない。だって読めなくなったのは、今日が初めてだし。ここに来る途中の地下鉄でずっと考えてたけど、何も浮かばなかった」
「そっか」
美結にとって“心読み”は、もう生活の一部になっていた。あまりにも当たり前に傍にあり過ぎて、条件が分からないのだ。
「まずは二人でそこから考えようか」
「うん。ありがとう」
これはかなり長い道のりになりそうだ。これからの事を思って、つい直哉が軽くため息をつく。すると、美結の肩がビクッと跳ねた。
「やっぱり、嫌になった……?」
「いや? そんな事ないよ。道のりは険しいなって思っただけ」
嫌になっていないと直哉が説明すると、今度は美結の肩が大きく下に下がる。
「そう、良かった。あっ、大変な事を手伝わせて申し訳ない自覚はあるんだ……」
自分自身に説明するように話しながら次第に尻すぼみになっていく美結。こんな彼女は初めて見た。きっとクラスでいつも一緒の森谷や梅沢も見た事ないに違いない。“心読み”がなくなって初めて覗かせる彼女の素の表情。新鮮であると同時にクラス内では、本当に作っていたんだなとあらためて実感する。
「”心読み“が使えなくなった心当たり。さっきはない。って言ってたけど、ほんのちょっともない?」
「うん、まったく。何かの偶然で一時的に消えてしまっただけで、もしかしたら明日には治っている可能性だってあるかもだけど、限りなく低いと思う」
「だろうね」
美結の意見に直哉は頷いて、同意する。
「まずは今、出来る事を精一杯やっていこう。二人で考えれば、原因が掴めるかも知れない。原因さえ分かれば後は対処するだけだから」
「うん。そうだね」
とは言ったものの、現状では直哉にも何も打つ手はない。”心読み“について、何も知らないのだ。出来る事は美結以上に限られてくる。
「取り敢えず、俺だけに機能しているなら、それを毎日消えていないか確認作業するのは、組み込もう」
「そうだね。それは大事。本当に申し訳ないけど、お願いします」
直哉に提案に美結が同意する。そして、彼女のその言い方にさっきから、彼の喉元で引っ掛かっていた感情が、口から出てきた。
「あのさ、」
「うん?」
「さっきから、新藤さん。申し訳ないけどって言葉を何回も使ってるけど、もう言わなくていいよ? 気持ちは充分に伝わってるから」
言いたい気持ちは理解出来るが、毎回言われ続けると、直哉にとってはプレッシャーでしかない。回復するのを手伝うと言ったのも直哉自身。後悔はない。
むしろ、初日の今日の内に言っておかないと彼女は、今後永遠に言われそうだ。
直哉の指摘に美結は、小さく「ゴメン……逆に迷惑だよね」と力なく返す。油断すると彼女の涙腺がまだ緩みそうだった。
「迷惑って程じゃないんだけど、もう気持ちは伝わってるから。難しいなら出来る範囲でも全然構わないから。無理はしなくていい」
「ありがとう。佐伯くん」
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