「第2章 初めて覗かせる彼女の素の表情」(3-1)

(3-1)


 学校外へと出て、本当は使ってはいけないけれど、裏門の横にある鉄製のドアから、通学路へ出た。この時間は、通っては行けない下り坂の通学路。当然、生徒の姿はない。落ち込んだ様子の美結には、うってつけの道だった。


 並んで歩く二人だが、その間に会話はない。通学路に出て数メートルは、何か話題はないかと頭を巡らせて、また以前みたいに本の話でもしようと口を開いたのだが、思うように声が出なかった。


 涙を流すくらいだ、美結は精神的疲れている。そんな時に余計な話をして、疲れさせたくない。


 最寄り駅に到着して、改札を抜けた二人はホームに降りる。丁度、降りたタイミングで地下鉄が到着したので、待たずに済んだ。シートは並んで座れなかったが、対面で一人分がそれぞれ空いていた。


「バラバラで座ろう」


 直哉がそう提案する。美結は素直に頷いて従った。


「降りる駅は?」


「乗換駅」


「了解」


 降りる駅を確認すると、互いに対面になってシートに腰を下ろす。座れないのも覚悟していたので、座れると安心して自然と口から息が漏れた。


 離れているので無理に美結と話す事もない直哉は、通学カバンから文庫本を取り出す。だけど、取り出しただけでページを開くまでにはなれなかった。


 取り出した本を持ったままでいると、地下鉄の規則正しい走行リズムに少しずつ首が舟を漕いでいく。やがて、瞼が重くなり直哉の顔は下を向いた。


「――佐伯くん。次で着くから」


「……ああ」


 肩を揺すられて意識が覚醒した直哉は、生返事をする。美結は立ち上がっていて、直哉の前にいた。手に持っていた文庫本を通学カバンにしまうと、彼も立ち上がる。変な姿勢で眠っていたせいで、少し首の辺りが痛く、肩が汗ばんでいた。


 乗換駅に到着して、ホームを上がり改札を抜ける。いつも美結と一緒に帰る時はここまでだ。ここからの先の事を直哉は知らない。


「こっち」


 美結はスタスタと南出口の方へ足を向かわせた。直哉も彼女の横に付く。乗換駅は、多くの路線が通っているだけでなく、繁華街だ。夜になれば、銀色のビルがネオンで人工的に光る。映画館や居酒屋まで、子供から大人まで必要なお店は、全部揃っている。そんなイメージだった。


 時間帯的には、まだ夜には早い。なのにこの街にいると、すぐに夜がやって来そうな気がした。美結は、繁華街の大通りをスタスタと歩き、前進していく。人混みが徐々に増えてきた。繁華街とビジネス街が混合しているエリアのようだ。


 一体、美結はどこに行こうとしているのだろうか。気になった直哉は、信号待ちの時に彼女に尋ねた。


「どこに行く予定なの?」


「喫茶店。もうちょっと歩いたら、好きなお店があるの。話すならそこがいい」


「駅前のドトールコーヒーより?」


 直哉の質問に美結は小さく笑った。


「うん。今から行くお店は、ドトールみたいなチェーンじゃなくて、個人店なの。雰囲気も落ち着くし、コーヒーも美味しいよ」


「分かった。楽しみだな、その喫茶店」


 美結の話し方から信頼しているのが分かり、楽しみになってきた直哉がそう返すと、「うん。本好きの佐伯くんにはピッタリのお店だと思うよ」と微笑んだ。信号が青になり、二人の足が動き始める。


 大通りを歩き続けて、やがて完全に繁華街のエリアから、オフィス街のエリアへと突入した。二人を囲むのは、お店からビルへと代わり、ビルの窓はどれも電気が点いていて、明るかった。


 ビルに囲まれた中心に忘れられたようにポツンと広場があった。遊具がないので、公園ではない。


 美結は、その広場の中に入っていく。何の躊躇もなく入ったので、まさかこの中に喫茶店があるのかと思ったが、左右に曲がらず真っ直ぐに進むので、ああ違うと分かった。


 直哉は、美結の少し後ろを歩いて二人して、広場を斜めに横断した。広場の反対側は信号のない横断歩道があって、そこを通る。


すると、そこにはレンガ造りの個人経営の喫茶店が姿を現した。赤い窓枠があるコゲ茶色のレンガ造りの一軒家。上部にカウベルが付けられた緑色のドアを見て直哉が好きな雰囲気のお店だった。美結が店の前で止まって振り返った。


「このお店」


「好きな感じのお店だ」


「良かった。入ろ?」


 美結がドアを引く。カランコロンとカウベルが穏やかな音を立てた。この音は放課後に吹奏楽部が鳴らす音とは種類が違っていた。彼女に続いて直哉も店内に入る。店内に人はまばらだった。数人のサラリーマンがカウンターでソファ席に座っているのみ。高校生の姿はなかった。カウベルの音に反応してカウンターを拭いていた女性がこちらを向く。


「あ、美結ちゃん。いらっしゃいませ」


「こんにちは、香夏子さん。来ちゃった」


 美結に香夏子と呼ばれた女性は、直哉より十歳は歳上の印象だった。明るい茶色のフレームの眼鏡を掛けていて、フワフワとした髪を後ろで纏めている。白いワイシャツに黒いスキニーパンツ。その上から、青いエプロンを着ていた。シンプルだけど、隙がない格好だと思った。


「久しぶりだね。高校に入ってからは、あんまり来てくれなかったから、どうしてるかなって心配してたんだ」


「本当? ありがと。高校は結構楽しいよ。電車通学が出来るもん」


「なるほど。それで今日は、寄り道をしてくれた訳か」


 香夏子の視線が、美結の後ろにいた直哉へ向けられる。


「君は、美結ちゃんのクラスメイト?」


「あ、はい。佐伯です。こんにちは」


「佐伯くん? 佐伯ナニくん?」


 下の名前を尋ねられて、直哉は瞬間的に緊張する。


「直哉です。佐伯直哉」


「直哉くん。カッコいい名前だね。いらっしゃい。この店の店員をやってます、山科香夏子です」


 直哉の下の名前を聞いてから、香夏子は、丁寧に自分の名前を言って頭を下げた。つられて直哉も頭を下げた。


「はいはい。お互いに自己紹介が終わったんだから。もう席に着いてもいい?」


 横から美結が入ってくる。


「うん。いつものソファ席にでしょ。空いてるから座って。すぐにお冷と注文取りに行くから」


「ありがと」


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