赤と緑の記憶

里岡依蕗

01.

 


 うどん派かそば派か、よく論争になる話題ではあるが、この地域はうどん派が多いように見受けられる。

 市街地に行くとうどん屋が圧倒的に多い、というより麺屋さんが多い。会社員からすれば昼休憩時にさっと食べられて腹持ちする、おまけにリーズナブルなので、財布にも優しい、何より美味しい。


 インスタントもいいが、内勤だとたまには外に出たい。そんな時はふらっと歩いてお気に入りのうどん屋で肉うどんを頼むのだ。トッピングに小葱をミニトングで一掴み、これは譲れない。


 小さい時からうどんで育ったので、インスタントでもついうどんを買ってしまう。新しい商品がないか、買う気がなくても売り場を歩いてまわる。

 その時にふと思い出した事がある。まだ少し肌寒くて暖かい缶コーヒーが沁みる春先の頃の記憶である。




 まだ実家を出て、紆余曲折があってようやく一人暮らしを始めた頃の話。


 まだ自炊が上手くいかず、米を炊くだけなのに水加減が分からず、お粥や餅になってしまったこともある。

 野菜を買ったはいいが、料理を怠り芽が出たり、賞味期限がびっくりする日付になっていたり。

 ついに面倒になってインスタントに頼ったりで不規則な毎日が続き、楽しみとしてはゲームか野球観戦くらいだった。




 あの日はバイトに備えて散らかったワンルームでふかふかな布団にくるまって寝ていた時だった。


 しんと静まっていた空気が歪み出した。枕に置いていたスマートフォンがいきなり震え始め、聴いたこともない低い重低音が部屋中――というよりも、マンションの上からも下からも鳴り響いた。

 それと同時に布団が、というより床?いや、棚や本やこたつ台の上のペン立て、部屋中の物が踊り出した。


「……⁉︎」


 何が起きたのか、訳が分からず飛び起きて、布団から動けず地面に揺らされるがままの時間が何秒か続いた。


「……どこだ…」


 スマートフォンの通知を見るなり血の気が引いた、いろんなアプリの速報が同じ言葉を並べる。すぐさま手探りでテレビのリモコンを探して電源ボタンを押す。


 市街地が、カメラが、ものすごく揺れている。アナウンサーが緊張した面持ちでヘルメットを被り必死に近状を話している。

 うちはそこまでなかったのか、実家はどうなのか、みんな無事か。

 電話を架けてみたら混み合ってるのか通じない。そんなにひどいのか。何回か架けてみると、やっと繋がった。


「揺れでさっき起きたんやけど、どんなやった?大丈夫?」

「いやぁ、グラってきてねぇ、うわぁって外に出たとこよ、そっちはどんなね?どうもないと?」


 しばらく聞いてなかった方言で、いつの間にか訛り始めた。


「揺れはしたけどね、どうもないよ、本がちょっと倒れたくらいで後はどうもなさそうよ、壁もどうもない」

「そうねぇ、よかったぁ、1人やから大丈夫やろかーって心配しちょったのよ」


 いつもの調子な母の声で少し落ち着きを取り戻した。地震が1番怖い母が気にかけてくれてたのが嬉しかった。


「まだ揺れるやろうから、リュック準備しときなね、今から仕事だから電話できんから」

「あらぁ、今日くらい休みにいたらいいのに、まぁそうはできんわね、気をつけて行かんとよ」

「そっちもね、ありがとう」



 行きたくないけど行かなくてはいけない、しぶしぶ布団から出た。身支度をして、パンを口に突っ込んでバイト先に向かった。 


 幸いにも道のりで何が倒れたとかはなかった。冷たい空気で顔が強張った。これ以上何も起こりませんように。みんな無事でいてくれますように。

 そこに知り合いはいないけれど、好きな街だからいつかは訪れてはみたいところだ。何よりあのゆるキャラと素敵なお城。……これでおさまってほしい。


「まもなく、発車します」





騒動後だからか分からないが、電車の乗客はいつもより少なかった。



「おはよう、どんなだった?被害なかった?」

「おはようございます、大丈夫でした、揺れで起きたくらいです」

「あ、お母さんと話した?訛ってるよ」


はははっと上司の口は笑っていたが、目は笑っていなかった。積み重なったダンボールを右に左にと手早く仕分ける姿に、今日も忙しいんだなぁと悟った。



もくもく作業をするうちに日付が変わり、お客様が少しずつまばらになって、ダンボールの終わりが見えてきた時、膝ポケットからまたあのブザー音が鳴った。

 ガラス張りの窓が小刻みに震え出した。その後グラっと地面が動いたかと思えば、棚が左右に、映像でしか見たことがないような動きをしていた。窓のブラインドが振り子みたいに揺れている、立っているのがやっとだった。昨日飛び起きた時より大きかった気がした。


 とくに被害はなく、棚の上に置いていた消臭スプレーが落ちたくらいだった。



「休憩行っといで、ゆっくりしておいでね」


 その1時間後くらいに休憩をいただいた。立ち止まっても、しゃがんでも、なんだかまだ揺れているような気がする。それとも自分が揺れてるだけなのか、よく分からなくなっていた。暖かい物でも食べて落ち着こう。

 自然と手を伸ばして買ったのはあの赤いうどんだ。


 カップを開けて、かやくを入れて、ポットのロックを解除し湯を注ぐ。半額の高菜おにぎりで蓋を閉じて、温めながらスマートフォンで情報収集。


 そういえば、このうどんは年越しに食べていた。年越しは蕎麦だろうと突っ込まれそうだが、母と弟は緑のたぬき、自分は赤いきつねを食べるのが恒例だった。

年末の歌合戦を見ながら食べて、つい夢中になって携帯電話をカップに落としたり、袖が当たって沸騰した湯が腹にかかって火傷したり…いろいろやらかしてしまったこともあった。けれども、毎年3人でこたつで食べるカップ麺は、いつも暖かくて熱くて美味しかった。


 その日も安定の美味しさだった。おあげがほんのり甘くて、おだしが優しくて、食べ応えもあってあの時と同じ味。


「……あっつ…」



 あれから何年か経って、いろんなことを乗り越えて、今は一人ではなくなった。けれども、やっぱりうどんはよく食べる。

 しばらくして娘が生まれて、一緒に買い物に行くことが増えた。スーパーで何かひとつ好きなのを買っていいと麺コーナーに行くと、駆け出してカップ麺を取ってきた。


「ちゃーちゃん、赤いおうどん、好き!」


 やっぱり遺伝か何かなのか、娘も赤いきつねが好きらしい。


 いつか落ち着いたら、ばあばのところでまたこたつでみんなで食べたいね。さて、いつになるのやら。


 「お会計、お願いします」


 レジに並んで、今日も赤いきつねを3つ買って帰る。


 「ありがとうございました」












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赤と緑の記憶 里岡依蕗 @hydm62

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