2017.12.9 宿題




 焦って決めた計画は、大抵うまくいかない。そんな言葉の似合う一日だった。


 まず朝一番に、金城さんから謝罪の電話があった。曰く、仕事場の師匠がちょっとした大怪我(結局大なのか小なのか……彼らしいといえば彼らしい)をして、急遽病院まで付き添いをしなければならなくなったらしい。明日には同期に代わってもらえるとのことなので、解体作業は日曜に延期、ということになった。


 それで、さてどうしたものかと、音原先生に相談しに行くと、「暇なら少し手伝ってもらえますか」と言われて、車に乗せられた。何やら楽しげな顔のご親友さんも一緒だったので、その時点ですでに、かなり嫌な予感はした。

 それに、雅火さんをたった一人で置いていくのも気掛かりで、でも「男ばっかりじゃむさ苦しいだけだから」と、当の本人は飄々とした様子で、クリニックの本棚に置いてあった古い漫画を読み耽ったりしていた。なので、大丈夫なんじゃないか、という気もした。それでもまだ強がりの可能性も捨てきれなかったので、できるだけ神妙な顔を作りながら、

「もう切ったりしないでくださいね」

 と念を押したら、

「そんな可愛い顔で頼まれたら、おねえさん、とても切れないなぁ」

 なんて子供みたいに顔を触られながら言われて、恥ずかしいやら嬉しいやら、背中に感じる殺気が痛いやらで、朝っぱらから疲れた。



 連れて行かれた先は、例によって山だった。



 まさか埋められるのでは……と直前のこともあって最悪の予感が頭をよぎったが、勿論そんなことはなく、そこには工場のような建物があった。元々製材所だったのをリノベして作った、先生専用の作業場らしい。といっても、殺し屋兼闇医者のする「作業」が、単なる日曜大工の類では済まないのは、間違いなかったが。


 重たいドアを開けて入って、奥の部屋に行くと、ほのかに人の気配がした。


 薄暗い中をよく見ると、明らかに数日は風呂に入ってないとみえる、薄汚れた格好の男が、毛布にくるまって震えていた。石油ストーブは点いていたものの、冷たいコンクリートに囲まれた部屋で、ましてやこの時期の山奥なんて普通に寒すぎなので、それはまさしく「死なない程度」の熱でしかなかった。


 この男が誰なのかについては、車の中でもう聞いていた。彼こそが例のだった。だから正直、哀れみは二割くらいで、あとは因果応報って感じはした。一割くらいは死ねよクソ野郎とも思っていたし、残りは何だかどうでもよかった。虚無という感じ。こいつには、怒りとか憎しみとか、抱く価値すらない。そんな、一種の境地、というやつだった。


 先生がこの男を捕らえたのは、山火事の起こったすぐ後のことだった。


 館に着いたら、ちょうど教祖が幹部数人を引き連れて出てくるところを、火の中に見かけたそうだ。彼らは慌てた様子で車に乗ったので、それを追いかけて、捕まえたのだ。教祖以外は、山の中で見失ったらしい。見つかったというニュースはなかったので、まだ遭難中か、冬籠り前の獣に追われて、死んだのかもしれない。まあ、なんだっていい。生き残っていたところで、教祖なしでは何もできない、腑抜けた奴らだろう。


 そして先生は、拷問(尋問?)を、した。

 

 殺風景な部屋の中には、その場に似つかわしくないおもちゃのサイコロが転がっていたので、変だなと思っていたのだが、「それで出た目の拷問をしていた」という先生の言葉に、納得と共にぞっとした。


「幸運に縋る余地がある方が、長く続けるには適しているんです。祈りなんて一切無駄だと悟ったとき、かなりの精神的負荷がかかりますから」


 これには地獄の悪魔も逃げ出すんじゃないかという、およそ温度のないおっかない顔で、先生が淡々と話していたところによれば、教祖がこれまでに答えたのは、彼らがしたこと……多くは「雅火さんに」したことについてだった。彼は、レイプこそしなかったと言い張っているそうだが、取り囲む信者たちの熱狂に押されて、観察とやらをしたらしい。観察——今書いていても笑ってしまう。観て、察する。一体何を察するというんだ。そんな屑の頭で。

 彼は興奮しっぱなしの信者たち(男も女もいたそうだ)の前で、彼女の衣服を剥ぎ取り、それを皆で拝んだとか拝まないとか……ああ、やっぱり吐き気がしてくる。まったくもって、どうしてこの世には、悪夢としか思えないような酷い事が、実際に起こるのだろう。夢で終わらせておけないものなのか? どうせ夢のような願望なら、夢の中で満たせば良いじゃないか。どうして現実に持ち込む必要があるんだよ。


 それから、これ以上信者を興奮させると事態が収集できなくなると踏んだ教祖は、いったん彼女と数人の女性だけを連れて、奥の部屋へと避難した。例の蓄音機がある部屋だ。

 そして眠ったままの彼女を着替えさせ、幹部たちと別室で今後について会議をしているうちに、外が突然燃えて、怖くなって逃げ出した。自分のことを実父のように慕ってやまない健気な信者の、そのほとんどを置き去りにして、自分だけで。



「クズだな、これは!」



 嬉しそうに言ったのは、先生の親友だった。

「俺好きだよ、こういうの。寿司で言うと上トロだ。でろっでろに脂乗って、気品なんて欠片もなくて、そのくせ値段はクソ高くて、テレビに出りゃあチヤホヤされて、俺の手には届かない。ぐちゃぐちゃにするのに、こんな気持ちいいのってないぜ。ちょうど柔っこい腹もしてるしな!」

 サイコロもさることながら、にこにこと取り出した大きな玩具の箱を、苦虫を噛み潰したような顔で見ていたのは俺だけで、先生は相変わらずの無表情。

「何だそれ」

「知らないの? 最新のトレンドなのに……ま、こんな僻地に住んでりゃ、そうもなるか。このクソ田舎にいれば、どんどん世間に置いていかれて、あっという間に寝たきり老人コース。最高だな」

 拷問なんぞに流行があってたまるか。

 そんな思いで、いそいそとボードゲームの盤を広げる男の姿を冷ややかに見ていた。最新版の人生ゲームだった。彼はルーレットのところにペンで何やら塗ったり書き足したりしたあと、「できた」と言った。


「何だそれ」

「拷問ルーレット」


 無表情でまた同じことを聞く先生に、彼は答えた。曰く、三年くらい前、東南アジアのある国で、留置所の警官たちが犯罪者を甚振るのに使った手法が、まさにだったらしく。当然、今や拷問は、基本的にどこの国でも禁止されている。だからそれは、れっきとした犯罪だ。でも、犯罪になったからといって、それをする人がいなくなるわけじゃない。


「不条理だ。こんなの、こんなのあんまりだ……」


 何度目にどの数の目が出たときなのかは覚えてないが、「30秒間逆さ釣りにされる」という刑の目を出したあと、ぼろぼろの教祖は情けない涙声でそう言った。

「不条理? ハハハ、馬鹿言え。こんなに筋道通ったことはそうそうない。お前は悪いことしたんだ。だからこうして痛い目に遭う。どこに条理がないって? むしろ条理しかないぜ」

 生き生きとした目で縄を握る親友の背後で、先生が、疲れた目頭を手で抑えていた。


 結果的に、この日吐き出させられたのは、蓄音機のこと……具体的には、どこでどうやって蓄音機を組み立てたか、その答えだけだった。湖畔の例の小屋で、信用のできる選ばれた信者だけを集めて作ったという、概要としてはそんな話らしいが、肝心の「なぜ」は聞けずじまいだ。なぜあれらに触れても死ぬことなく、素材を集め続けられたのか。そもそも、どうやってその方法を知ったのか。

 先生たちの痛めつけ方は、尋問としては十分に苛烈だった。

 それは、よほどのことがない限り、常人ならもう全部吐いていてもおかしくないというくらいに。少なくとも俺なら、とっくに何もかも喋っていると思う。なのに、教祖は頑なに口を割らなかった。エベレストのようにプライドが高いのか、痛みに鈍感なのか。どちらにせよ、もし本当にそんな人間ならカルトなんて開きそうにないし、カウンセラーになることもまずなかったろうにと思う俺である。


「よし。続きは明日だな」


 夕方になるまでぶっ続け(実際は一応の休息も挟んでいたが)でやったあと、ご親友は少し見直したというように教祖の顔を挟んで持ち、にっこり笑ってそう言った。その姿はまるで、部活帰りの先輩と後輩のようだった。



 帰り道、爆睡する後部座席の親友をよそに、先生は展望台のような場所まで車を走らせた。山道の途中にある迂回用の空き地にも見えたし、タイヤの遊具が置いてあるあたりは公園のなり損ないにも見える、どっちつかずの半端な広さと設備の場所だ。自動販売機が置かれていたが、遠目にもわかるほど汚れがこびりつきすぎていて、外に出て使うのは躊躇われた。今思い返すと、電気が通っていたかもあやふやである。

 白い線が草と枯葉で消えかけた駐車場に車を止めて、先生はしばらくハンドルに頭をつけて、深く項垂れていた。俺はといえば、助手席で、気まずい顔を窓に向けながら、ひたすらラジオを聞いているしかなかった。まあ、内容なんてまともに頭に入ってくるわけもなく、DJが読み上げるリスナーの投稿文の中で「恋人」とか「喧嘩」とかいう単語が出てくるたびに、だらだら冷や汗をかく羽目になっただけだった。

 そうして10分くらいが経った時、「こんなに」と、先生が、誰にともなくそんな呟きを漏らした。


「こんなに自分が嫌になるくらいなら、初めから捨ててしまえばよかった」

「……なにを?」


 先生の言う「捨てればよかった」が、家族を殺して奪い取った女の子のことなのか、自分のプライドのことなのか、あるいは他の何かを指していたのか。俺にはわからなかった。でも、それを口に出して尋ねたところで、結局答えは返ってこなかった。先生自身もわからなかったのかもしれない。

「詳しいことは知らないですけど……あの時、雅火さんを助けられたのは、先生だけだったんじゃないですか。家族を殺さなかったら、あの人が死んでたかもしれないんだから。昨日みたいに」

「それはないです」

「どうして?」

「あの子はどのみち、幸せになった。私なんかいなくても、よかったんだ」

 その時ふと、先生って何でもできるよな、と思った。殺しはもちろん、負傷した時の手当ても、料理も家事もできる。この人はきっと、一人でなんでもできてしまう人なのだ。

「密軌くん」

「はい」

「私はどうすればいいんでしょう」

 そう言われて、俺はフロントガラスの外を見た。思えば小学校の頃、家に帰りたくなくて、いつまでも教室に居座っている子たちがいた。そういう子は、クラスに一人か二人は必ずいたものだ。そんな幼気な子供の姿が、なんだかその時、項垂れた先生に重なる気がした。日が暮れるのも気にせずに、真っ赤に染まった校庭や教室を駆け回り、ずっと友達と遊んでいる小学生。でもいつかは帰らなくてはいけない。いつかは。


「日記でも書いたらいいんじゃないですか」


 だから宿題をあげた。少なくとも俺はそのつもりだった。また明日も、生きて会えるように。

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