2017.12.3 煉獄の作り方
日記は嫌い。一日を思い返したって、嫌な気持ちにしかならないから。
とはいえ、真面目に書いていた時期もある。日記を書いて反省することで、自己の成長に繋がると純粋に信じていた、バカな時代。きっと周りのゲスな大人たちからみれば、私は良い鴨だったに違いない。それかあるいは、気持ち悪いから視界にすら入らない、みっともない田舎のブス女か。とにかく私は日記が嫌いだ。だって誰に読ませることもないものを、真面目くさって書くなんて、死ぬほど無意味なんだから。文字を書いたところで世界が変わるわけでも、誰かの命が救えるわけでもない。自己満足以外の何ものでもない。こんなものを何万文字も書き続けられるのは、よっぽどのナルシストか、異常者だけだ。
でも、今日は特別に、日記を書こうと思う。
ああ、やっぱり嫌だ。こうしているだけで吐き気が止まらない。だけどそれが君のためになるのなら、がんばって書くよ。あのね、密軌くん(ほんとうは初めから知ってたんだ。ごめんね)。私は……
ごめん。本当にトイレで吐いてきた。
もう大丈夫。ちゃんと続き書くから。
私の本名は、
あまり好きな名前じゃない。なんか古臭いし、可愛くないから。まあ、顔とのバランスが取れてると思えば、良い名前なのかもしれないけど。
そんなことより、私の家は最悪だった。
あるいは、私が付き合い方を間違えたか……この四年間、ずっと最悪なのは家族の方だと思ってきたけど、最近になって少し、思い始めてる。私が心を閉ざしていたのが原因だったのかなって。そんなに家族に対して警戒しなくても良かったのかもしれない。本当は私が思うより、あの人達は悪人じゃなかったのかもしれないって。
でも、同時にいつも、こうも思う。
今こうして、健やかに生きて呑気な後悔をしていられるのも、みんなみんな、あの日の選択のおかげなのかもしれないと。あの時ああしていなければ、私は今度こそ、怪物の胃袋の中に飲まれて死んでいたかもしれないと。
弟は怪物だった。
いや、弟自体は仕方ない。遺伝子の問題なのだからね。でも怖いことに変わりはなかった。いつ感情を爆発させるかわからない。そして弟が爆発すれば、両親や祖父母の誘爆が起こった。異常だとわかってる人の異常行動を見るより、医学的に「普通の人間」とされる人の爆発を幾度となく目の当たりにする方が、かえって心には来るものがあるということは、君にもわかってもらえることと思う……そんな鉄片と火薬の飛び交う地雷原が、まさに私の家だったといっても、きっと過言ではないだろう。
いつだって、冷静なのは私だけだった。
でも、だからこそ、私は家族の誰にも理解されなかった。どうやら大抵の人間にとって、感情を見せない人間というのは、不気味で近寄り難い存在なのだそうだ。笑っちゃう話だよね。私は家族の安定のためにこそ冷静さを保ち、暴れる弟に対する苛立ちと子供らしい我儘を押し殺し、火種にならないように気配を消し、言われたことは何でもやったのに。私の愛した彼らにとっては結局、そんな私こそが、紛れもない化物だったというわけだ。
毎日毎日、地獄みたいだった。
別に直接虐待されたわけじゃない。でも、人の苦しみなんて文字通り千差万別でしょ。尽くしても尽くしても愛されない。私の苦しみは、一言で言うとそんなところだ。
私は自らをすすんでボロ雑巾のように扱った。
とことん擦り切れるまで。どんな汚れも痛みも全部拭って、家族含め周りのすべての人の気分を良くすることだけに努めた。そこまでして初めて、自分は愛されるのだと……いや、それすら厚かましい、独りよがりの願望だと考えていた。たぶん半ば、そういう風に洗脳されていた。だから、見返りの愛すら求めなかった。全てを無償で捧げた。真面目に生きればいつか報われると信じて。大したことは望まない、ただ私は……普通の幸せが欲しかっただけだ。
でも、私はバカだった。
君も知っているよね。もう二十歳なんだから。でも私はバカだったし、自分の正確な価値もわからなかった。不細工ならその時点で無価値なのだと思っていた。でも、世の中にはたとえば、そうやって若い女が苦しんでいる様を見ることに愉悦を感じる連中というのもいるのだ。別に美人でも何でも構わない。体が女でありさえすれば。
または、女子高生でありさえすれば。
一体、どれほど不当に奪われてきたのだろう。
たとえばクラスの担任はどうだろう。俺はみんなの味方だ、実は天然だ、職員室でいじめられてるから助けて、などとフランクな雰囲気を作り、何かあればすぐ私に甘えて頼ってきたけれど、まともな大人は子供に自分の世話を焼かせて、貴重な青春の時間を奪ったりはしない。そもそも金をもらってやってる仕事なのだから、自分で責任を負え、クソ野郎。
副担任の女だって同じだ。私は関係ないって澄ました顔して、見て見ぬふり。担任が困っているならサポートするのもお前の仕事のうちだろうが。職員不足による弊害なんて知ったことか。誰かを生贄にしてその場を乗り切ろうとした時点で、どいつもこいつも——私と違って担任のとこに放課後何度も相談や質問に行ってたくせに、担任が私にばかり絡むのを「お気の毒」って目で見るだけで止めようとしてくれなかった、ドライな自分に酔っちゃってるクラスメイトも、部活でごちゃごちゃ見当違いの説教かまして悦に入ってた無能の先輩たちも、思春期にかこつけて個性出そうとダダ滑りなギャグばっか言って、こちらがフォローしなきゃすぐ顰めっ面してあからさまに仕事サボる後輩共も、等しく悪いに決まってる。
私はね、密軌くん。この世界が嫌いだよ。
このどうしようもない田舎の街が嫌いだ。こんな街を腐るままにしているこの国が嫌いだ。とっととこんな国攻め入って併合して潰してしまわない、だらけきった隣国が嫌いだ。ちょこちょこミサイルばっか飛ばしていつまでも肝心の核爆弾を落としてこない、腰抜けの独裁者が嫌いだ。たった何人殺すだの、みみっちい犯罪やってドヤ顔決めてる架空の殺人犯共が嫌いだ。詰めの甘いテレビドラマで超泣いた〜とか言って「私優しいです」アピールするアホな女共が嫌いだ。イキってるバカな男共の「俺異常だから」自慢が嫌いだ。そんなに冷酷さや異常さを自慢したいなら、遺伝子からやり直せばいい。まともな知能といういいとこだけ取っておいて何が異常だ。笑わせるな。健常者風情が。
まあ、長くなったけど、そういうわけで。
私は、この世界を燃やしちゃおうと思った。
昨日君がいなくなったのを知って、ごめんだけど、部屋に少しだけ入らせてもらった。そしたら、あの冊子を見つけた。■■教のパンフレット。あれがあるということは、君もあの話を読んだんだよね?
作者の名前のとこは読んだかな。
たぶん■■■って書いてあったと思うんだけど。でもその人は本当は、あの冊子にあるみたいに、厳しい21ヶ月の修行の終わりに神から脳内に直接物語を賜ったってわけじゃない。私なんだ。当時高校のスクールカウンセラーだった■■に、あのデタラメ話を語ったのは。
子供の頃から、私には、他の人には見えない「あるもの」が見えた。
といってもそれは幽霊じゃない(霊感アピールなんて今時流行らないでしょ?)。むしろ限りなくリアルなものだよ。だから私には、他の人に見えないことの方がおかしいと思えてならない。見えているのに無視してるだけなんじゃないか、巧妙に知らないふりをしてるだけなんじゃないか、とすら思う。
とにかくそれは、白い服を纏った子供たちの姿をしている。
現れる時はいつだって複数人でやってきて、絶え間なく笑っている。クラムボンはかぷかぷ笑ったよ、みたいな笑い方で。人の邪魔にならない広い場所で、温かい陽の光に当たりながら、みんなで駆け回るのが好きらしい。言葉は通じないけれど、なぜか心は通じる。彼らはいつも私に尋ねた。「助けてあげようか? 僕らにとっては朝飯前だ」。そのたびに私はこう答えた。「大丈夫。あんな人たちでも家族だから」。これはお決まりのやりとりだった。こんな幼気な子供たちに人生変えてもらおうだなんて、この私が考えると思う? ヒステリックなステージママじゃあるまいし。
私、世界は憎いけど、彼らのことは憎んでない。
だって彼らを見ていると、私は……彼らを見ている時だけは、安らかな気持ちになれた。ほら、怒るのも憎むのも、やっぱり疲れるから。彼らの駆け回る姿を見ていると、その激しい炎から解放されて、このクソッタレな世の中にわずかな希望を抱くことさえできた。一年に会うか会わないかの頻度だったけれど、それで十分。どうやら生きていくには、そんなにたくさん希望は要らないらしいね。
それで私は、彼らについての物語を書いた。
そう、私のお得意の空想だよ、密軌くん。私は物心ついた頃から、自分でないものに生まれていたらどんなに良かったか、考えない日はなかった。別の人間になるには究極、二つしか方法はない。死んで生まれ変わるか、空想の世界に生きるか。君の日記が祈りであるならば、私の空想はきっと呪いなんだろう。
大まかなあらすじは、君の読んだ通りの話だよ。
元ネタは古代中国思想あたりからとった……と思う(昔のことだからよく覚えてない)。ほら、君が来たばかりの頃、宝石の国の話をしたのを覚えてる? 魂、骨、肉。あれと同じ。昔の中国には「幽鬼」という動く骸骨の話があって、彼らは肉体を持たないから、人間とは見なされない。つまり人間に必要なのは、霊魂と骨とその上の肉体、この三つだと彼らは考えていたわけ。デカい骸骨が小さい骸骨を人形劇みたいに糸で操って子供に見せている絵も残っているし、「皮と肉、全くあらずして、あるのは苦と愁のみ」なんて言葉もある。つまり魂だけが永遠で重要なものだと考えるようになったのは、最近になってからの話だってことだよ。
だから私はまず、前世界というのを置いた。
前世界は、今の混沌とした世界ができる前の、完璧な調和が取れた世界のことね(それっぽいでしょ)。で、前世界では、完璧な存在である生き物——いわゆる神のような者達が暮らしていた。美しく、優しく、聡明な存在。そしてそんな彼らが家畜として飼っていたのが、今の人間というわけ。
人間は今世界のそれと同じく、欲に塗れ、同族で傷つけ合うどうしようもない種族で、神様の手入れがなければ、すぐにも絶えてしまうことは目に見えていた。だから、慈悲深い神様たちは、そんな彼らに「仕事」を与え、自分たちと同じ高位の存在になれるように励ました。ということにした。
その仕事(パンフレットでは「修行」となってる)は、まあ大変ではあるけどそこまで辛くなく、マイペースにこつこつ取り組めばちゃんとまっとうできるように組まれていた。実際、何人かの人間はそれで神になり、幸せを得た。でも多くの傲慢な人間たちは、仕事に不満を覚え、ある日ついに反逆した。
もちろん神の力を使えば、返り討ちにできるはずだった。
でも、神様達はその愛情深さが仇となり、泣き落としや騙し討ちといった人間の姑息さによって全員殺されてしまった。詐欺師相手に愛を持って「信じます」と言い続け、有り金を全部もっていかれるのと同じくらい、まあわかりきった顛末だ。
で、神様たちがいなくなった今の世界は、かつて家畜だった人間共が支配してるというわけ。
神様たちはどうなったかって?
そう、それが一番大事なところだね。神様たちは無惨に殺されたあと、三つに分たれた。魂と骨と肉体。完全無欠だったその存在は、それそれ未熟な三つの存在となりました。
魂は、白い服を着た子供たちの姿に。
骨は、人を喰う恐ろしい器物の姿に。
そして肉体は——欠陥を備えた人間の姿に。
そう、つまり障害者ね。
だから私は物語をこう結んだ。障害者を
でも、改悪っていうのはどんな場合にも起こりうる。空想を飯の種としか思ってない場合は特に。どうしようもないことだよ。人間の欲望は底なしだからね。
結局のところ、私は世界を燃やす気はなかった。
ただ、勘違いしないでもらいたいのは、本気で燃やそうと思ったことは何度もあるってこと。だから前に書いたことは嘘じゃない。ほら、考え直す瞬間ってあるでしょう? ふと冷静になる時間がさ。この世界にはそんなことしてやる価値すらない、わざわざ自分が罪を被ってまで焼く価値はない、って。でもそんな気持ちの揺らぎなんて、向こう様には関係ない。■■は私の空想をもとに、カルト宗教を作った。物語をそのまま使ってくれてたらどんなにかマシだったことか。奴は話を変えた。下手な二次創作みたいに下らなくて、独りよがりで、残酷なだけの話に。
三位一体思想。
キリスト教の「父と子と聖霊」が有名だけど、正確には他の宗教にも見られる考え。とにかくこれは、三つのものが合わさってはじめて完全になる、神に届くというもの。だから奴らは組み立てたのだ。神様を。いもしない空想の神様を。
どうやってあの捉えようのない子供たちを攫ったのかとか、どうして怪物に食われずに済んだのかとか、わからないことはたくさんある。でも、奴らはとうとう神(本当マジで下らない。男はどうしてそんなにも生き物をいたぶる遊びが好きなのだ?)を完成させたらしい。
白い子供たちはそれでも笑っていた。仲間の一人二人を工作に使われても、平気そうに。幼い頃、骨にたとえた怪物のことを教えてくれたのも彼らだったけど、彼らにはきっと全部が楽しい遊びにしか思えないのだろう。実際タフだし。仲間に対して無慈悲なわけではなくて、たぶん本当に痛くも痒くもないのだと思う。その点に関しては本当に無敵なのだ。
だから私は、別にいいか、なんて思ってた。障害者の方がどうなってるのか考えるのも怖かったし、いざとなったら警察が何とかするだろうと思った。だから放置してた。密軌くんが怪物の方にあんなことを頼まれていたと知るまではね。
ねえ、君はどこまでバカなの?
頭のおかしい教団相手に、包丁一本で勝てるって、本気で思ってたの? 本当にどいつもこいつもバカばっかり。悪いけど余計なお世話だよ。君とはそんなに深い仲じゃないし、守ってやるなんて思われる筋合いもない。君は私をみくびってるよ。私の人生には素敵なことなんて起こらない。あるのは無駄と後悔と痛ましさだけ。だから、君はそこで、撃たれたお腹をさすりながらテレビでも見てて。私は■■くんと違って、先輩らしいことを何もしてこなかったから、煉獄の作り方でも教えてあげるよ。
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