2017.11.17 ゴリラの正当性



 昨日のような荷運び仕事において、その真の目的はにこそあるのだと、親愛なるゴリラから教えてもらうなどした。全く、ゴリラが穏やかな生き物だなんて誰が言ったのだろう。まあ先生なんだけどもさ。


 とはいえ、今日荷運びのために訪れた家で、嫌というほど痛感させられた。何かといえば、それはゴリラの正当性について。チャーハン一皿でババアに懐柔させられている場合ではないと、そんな皮肉も頷けてしまうくらいに。


 今日の荷運びは、昨日とは違った。


 まず相手が年寄りじゃなかった。この世の中、程度を別にすれば、介護や擁護の必要な人間なんて星の数ほどいるのだろうが(俺自身も含め)、今日は俺の最も苦手な部類にあたる、重度障害者の家だった。知っていたら、受けなかった。家になんて……まして車になんて乗らなかった。新入りの分際で、仕事の斡旋を断れるご身分かと言われれば微妙だけれど、それでもきっと、抵抗くらいはしただろう。

 とはいえ、重度障害者というのは、重度という概念すら認識できないものだし、環境によってはそれなりに幸せに生きていけるのだと思う。彼女も、ことによると幸せなのかもしれない。真実を知らないでいること——最も手軽に幸福になる手段の一つだ。でも、「真実」だなんて、定義が曖昧なものを一体どこまで信じていいのやら。

 まあ……ここで哲学をこねくり回すような真似をしても、意味がないか。俺は大学を途中でリタイアした身だし、論文なんて、小学生の自由研究以上のものを書けた試しがない。結局俺には、俺の知りうる事実を淡々と、この日記ジャーナルに記すことしかできないのだ。価値なんて無いに等しいが、いつかは役に立つ日が来るかもね。


 大きな家だった。


 それに大きな車も。もちろん、俺の元実家みたいな豪邸ではない。でも、二世帯が住む民家としては十分大きく、必要十分な広さの庭もあり、あとこれは帰りに探偵小説を買って読み始めたからノリで書くだけなんだけど、昔ペットを飼っていた形跡があった。組み立て式のケージや動物用のおもちゃが、車庫の隅の方にごちゃっとまとめて置かれてあった。玄関まで上がったけど、写真の一枚も置いてなくて、寂しがっている風もない。つまり、まあ、そういう家なのだろう。


 障害の女は二十歳くらいで、言葉を話さなかった。


 詳しいことは聞かなかった、いや、聞けなかった。俺みたいな元家具人間にだって「遠慮」という概念くらいはある。ただ、こちらが聞いてもいない事をペラペラ喋る人間の存在なんてさして珍しくもないということは、日記くん。君もよく知っての通り。


 言葉を話さない、という表現は、正確には誤りなのかもしれない。


 彼女は、簡単な単語は、言った。でも、それで意思が疎通できたりとか、意味の通った会話が成立したりとか、そういうことはなかった。少なくとも、俺が関わった半日の間は。彼女は自分の好きな事や言いたい事を、壁打ちみたいに一方的に言ってるだけだった。とはいえ乏しい語彙なので、チョコが食べたいとか、ドーナツ屋に行きたいとか、延々とそれの繰り返しだ。そして誰か(たとえば俺や彼女の親)が、彼女の言葉に対して答えや感想を述べたとしても、なにも聞こえなかったようにまた、同じ台詞を繰り返すだけだった。


 耳には異常がないらしいし、そんな素振りもなかったので、完璧に聞こえてはいるのだろう。目の方も同じく。


 だから彼女には、他人が明らかに彼女の言葉に対して返答をしているのが、何らかのコミュニケーションを試みている様子が、物理的には見え、聴こえていたはずだ。でも——彼女は何も応えなかった。その意図はわからない。たぶんこの世の誰にも、それは彼女自身にすら、永遠に「わかる」ことなどないのだろう。たとえそれはラプラスの悪魔でも……すべての過去の事象を知り尽くした存在でも、この事象だけはブラックボックスの中に入れたまま、この世の終わりまで取り出さないに違いない。


 単なる意地悪心からの無視なのか、他者の言葉に答える回路の遺伝子がうまく発現していないのか。


 きっと、よく観察すればわかるだろ、とか言うやつもいるんだろうな。それこそ探偵小説の読みすぎだ。たとえばゴリラの遺伝子の9割はヒトと同じ。そして同じ人間同士でも、隣人同士の遺伝子は99.9%一致しているらしいことが、研究ではっきりわかっている。そんな些細な誤差の世界で……些細な誤差が一生の差を生む世界で、肉眼での観察なんかして一体何がわかるって? 顕微鏡持ってこいって話。


 とにかく彼女のような障害は、おしなべて遺伝子の問題なのだと、きょうの運転手を務めた母親が言っていた。


 なんか薬でも決めているかのようにハイで、よく喋る女性だった。きっとこの母親も、老いれば昨日のおばあちゃんみたいに、ハイスピード高齢運転に興じることになるのだろう。別に直系ってわけでなくても、人というのは似通るものだから。同じ街に住んでいれば尚のこと。


「学校を卒業できたのはほんと先生方に感謝だけど、この子は、同じクラスの子たちよりも、やっぱりが重くて……」


 俺にしてみれば想像するだけで鳥肌ものだが、この街にはそういう子たちの学校があるのだ(この子は女の子だからまだいいけれど)。そこへ通わせて、無事に高等部を卒業させたらしい。でも、きっと彼女の「高等」は、じっと座ること、待つこと……そんなところだろう。侮るなかれと言うべきか、そのたった二つの行為が、ひとをどれだけ人間たらしめていることかわからない。


「周りの子はね、知的といっても、会話が成り立つレベルだったりするのよね」

「そうなんですか」

「そうよ。一口に障害と言っても、無限にグラデーションがあるのよ。他の子はこう叫び続けることもなくて、大人しいし」


 車の中でずっと独りよがりの主張を続ける彼女に、やれやれという視線を投げながら、母親はそんなことを言った。俺としては微妙なところだ。元インテリアからの不遜な見解を言わせてもらえば——? 


 それからも運転手は、こちらが聞いてもない事を、実によく喋った。


 遺伝子の問題だとはいえ、この場合はうつ気質などがほぼ完全に親子で遺伝するのと違って、なるかならないかはアトランダムだということ、福祉の支援はされるし、預かってくれる施設もなくはないが、基本的には親が全面的に面倒を見なければならないということ。文字通り、死ぬまで。

 今日は父親の方が突然ひどい下痢になったとかで、あらかじめ予約していた自家用車での家具の運搬について来られなくなり、それで俺にお呼びがかかったというわけ。てか、家具買ってる場合か。それこそ業者に頼めよ。という話だが、買い手の父親が、特別な価値のあるものだから人任せにしたくなかったそうだ。それで当日欠席なのだから、母親の憤怒は想像に難くない。その愚痴の勢いで口が軽くなったとて、まあ、それを聞くのも仕事のうちだ。一応便利屋なのだから。


 で、片道一時間半かかる道を通って、家に着いた。


 そこまでよかった。俺としても何とかやっていけてた。ただ、家で俺は、結論から言うと死ぬほど打ちのめされた。別にあれみたいな惨状を目の当たりにしたわけではないのだけど(あんなことそうそう目の当たりにしてたまるか)、パッとしない鈍い一撃を超スローでお見舞いされたような、放射性物質を腹の底に滑り込まされたような、そんなダメージだった。じわじわとくる。


 家具を家に運び終えて、帰ろうとした時に、缶ジュースだかコーヒーだかをお礼に渡したいとかで、母親に引き止められた。それで、玄関に座ってた。玄関には鏡があって、そこから反射の具合で、近くの部屋にいる彼女が見えた。大人しく座っていた。そこに、父親が映り込んだ。下痢は治ったと言っていたので、その事自体は何ら不思議には思わなかった。二人はじゃれあっていた。たぶん。少なくとも彼女は赤子のように笑っていた。ソファに押し倒されるような恰好になっても。父親も笑っていた。別にそれから何が起こるわけでもなかった。ただプロレスの真似事みたいに、胸と胸を密着させてあやしたり、じゃれたりしてるだけだった。


 そのあと貰ったジュースは、客の家から十分離れたところの側溝に捨てた。


 本格的に吐いたのはもっと後で、夕食のために自炊をしないと、と思って、支給されたお金で買ったネギやら切っている時、テレビから子供向けのお歌の番組が流れてきたのがきっかけだった。俺はふとそこで急激に気持ち悪くなって、シンクに胃の中身をぶちまけてしまった。不幸中の幸い? にも、食材は無事だったし、床を汚すこともなかった。でもゲロの始末をした後はなんかもう動けなくて、そこを雅火さんに見つかって心配された。吐くとこ見られてなくてほんとによかった。まあ、でもきっと、お見通しだったんだろうけどね……夜になって、ゴリラ先輩が俺の部屋に数分だけ来たのも、たぶん雅火さんが口を聞いてくれたんだと思う。まだ数日しか接してないけど、きっとこういう風に気を遣う人なのだ。あの人は。


「仕事は貰うものじゃない、自分で見つけるもんだ。都会ならまだしも、こんな過疎った街じゃ、老衰とセックスと自殺くらいしか皆することないんだから、ぼーっとしてると飯の種を逃すぞ」


 ドアを開けるなり、真顔でもっともらしいことを言われるなどした。師曰く、飯の種などどこにでもある。ただあまり露骨なのはダメだ。うまくやれ。うまく自分を売り込めば金になる。と。


 その倫理観ゼロどころかもはやスラム街レベルな発言の是非はさておき、謎に心が軽くなったのはマジで謎だった。あ、そっか、そういう心構えで仕事すれば無駄に傷つかないで済むのか、って感じで。何だろう、あれかな? 「物事を見る視点が変われば問題も自然と消える」みたいなやつかな? 自己啓発本で読んだんだったか、あるいは一時期通わせられまくったカウンセラーにそんなことを言われたんだか忘れたが、まさかこんなところで役に立つとは。果てしなく無駄そうな行為でも、やはりのちのち役立つこともあるのかもしれない。日記を書いてる身としては、それなりに心強い体験だった。でもま、やっぱりゴリラは嫌いだけどね。

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