精霊の森の魔術師
コリンとニアがエギムの町の精霊魔術師、シュルムと出会ったのも、ケンやシルビアと知り合って間もなくのことだった。
その日、コリンとニアは二人で精霊の森を散歩していた。
精霊の森の奥は茂った木々で薄暗く、木漏れ日とはまた違う、うっすらとした
森の中に入るとニアは大いに喜んで、木の間を走り回り、幹を登って枝から枝へ飛び移り、全開ではしゃいでいた。
コリンも珍しく調子に乗って身軽なニアに負けじと木に登り、しかし枯れていた枝が折れて落下して、足を挫いてしまった。
心配してコリンの足を舐めて、鳴くニア。どうにか小道まで戻り座り込んでいると、ニアの声を聴いたのか、一人の女性が現れた。
彼女はコリンの亡くなった母親と同じくらいの年齢で、長い白髪に黒い肌、吸い込まれるような黒い瞳で森に同化しているような、神秘的な雰囲気を持っていた。
「こんなところで、何か困っていますか?」
その澄んだ声は、森の声だとコリンは感じた。
「木登りをして、落ちてしまいました。足を挫いて痛くて歩けないんです」
コリンは取り繕う気もなく正直に話した。
「そうですか。ちょっと見せてちょうだい」
女性はコリンの足に屈みこんで、靴を脱がせた。右の足首が、腫れあがっている。そこに手を当てて、少し力を入れる。捻った関節がある一定の角度になると、コリンの顔が痛みで歪む。
「ごめんなさいね。ちょっと痛かった?」
「いえ、大丈夫です」
「骨は折れていないように見えるわ」
「そうですか……」
(この人は、お医者さんなのだろうか)
コリンはそう思い、少し安心する。
「これなら直るわね。ちょっと目を閉じて、体の力を抜いて静かにしていて」
女性はコリンの足に手を添えると、コリンが目を閉じるのを待ってから自分も目を閉じた。
足首に当たる彼女の手が冷たく気持ちが良くて、コリンは落ち着いた。
やがて、その手の辺りが見慣れた淡い光に包まれたと思ったら、触れられているコリンの足首も同じ光に包まれた。
コリンは思わず、「光った!」と口走った。
目を開けると、女性の顔がコリンを覗き込んでいる。
「あなた、目を閉じていたのに、どうして光ったと言ったの?」
(あ、これはまずい!)
その瞬間、コリンは、そう思って体を固くした。
今では、光る酒と光る体、その揺らめく光は目を閉じていても感じるようになっていた。元々、目で見ていたのではなかったのかもしれない。
だから今も、目を閉じていたのに彼女の手が一瞬まばゆく輝いたのを感じてしまった。しかし、これは誰にも知られてはいけないことだと本能的に感じていた。
「足は、どう?」
「えっ、足?……」
驚いたことに、もう足は痛くなかった。足首の腫れも引いていて、関節を動かしてみても痛みを感じない。
「治ってる……」
「そう。良かった」
「あなた、光が見えたの?」
女性はもう一度言った。
「いいえ、なんかそんな気がしただけです。もしかして、これって魔法ですか。凄い、始めて見ました。いや、見ていないんだけど。ほら、もう全然痛くない。凄いです、ありがとうございます!」
コリンは興奮して立ち上がり、右足の靴を脱いだままピョンピョン飛び上がった。
「そうか、まさかね。私たちは便宜上マナの光と表現するけれど、実際にそれを見ることのできる者など、聞いたこともないし……」
女性は小声で呟くと、立ち上がる。スー・シュルムと名乗ったその女性は、この町の精霊魔術師だった。首を振って納得したように、彼女がもう一度コリンを見た。
「すっかり治りました。ありがとうございます」
ニアもシュルムの足に顔をこすりつけて、鳴き声を上げて礼を言っている。
「でも、こんなことに貴重な魔法を使ってもらって、いいんですか?」
「平気よ。こんなにマナの濃い森の中なら、このくらいの魔法は使い放題よ。大丈夫、何も問題ないわ」
「マナが、見えるんですか?」
「いいえ、マナは誰にも見えはしないの。でも、精霊魔術師は自分が使えるマナを、そこにあると感じ取ることが出来るのよ」
しかし、コリンにははっきりと見えていた。精霊の森全体がほのかなマナの光を放っているのを。そして、町を守るためにシュルムたち魔術師が作っている結界の、より強い煌めきも。
「でも、町の魔術師様が何故こんなところに?」
「私たちも交代でお休みをいただくと、こうして溢れるような森のマナを浴びてリフレッシュするのよ」
(それは、いつも僕らが光るお酒を飲んでいるようなものなのかな)
決して口には出せないが、コリンには何となく納得できた。
「でも、こんな場所にひとりでいてもいいんですか?」
「平気よ、この町の教会には優秀な弟子が何人もいるの。私が留守の間も、ちゃんと仕事はできるわ……そうだ、少年よ。もし今、私のマナを感じたのなら、一度私の精霊教会を訪ねてほしい。君には精霊魔術の素質があるのかもしれない……」
エギムの町の精霊魔術師、スー・シュルムは、コリンにそう言い残してその場を離れた。
精霊の森の北端には精霊魔術師の教会が建っていて、その地下に転移ゲートが設置されている。
魔術師の才能を持つ者は、おおよそ一万人に一人程度いると言われている。
この星では子供が生まれると、すぐに精霊教会で魔術の才能を試される。
そこで魔術師に才能を見出だされた者は、幼い時から教会で修行をすることになる。
コリンのように生まれて十年も過ぎてから才能を見出されるような者は、ほとんどいない。
結局その後、コリンはシュルムを訪ねて教会へ行くことはなかった。
けれど、この日コリンとニアは、魔法が実際に使われるところを、初めて体験したのだった。
コリンは幼少のころから感じていたその光が、凝縮されたマナの力であったことを改めて知った。
(僕とニアの体が光るのは、そこにマナがあるからだろうか。けれど、いくら手や指が光っても、僕らには魔法が使えない。僕とニアの体は無駄に光を発するだけで、何の不思議も生まれない……)
だからということもないが、彼らはただ美味しいから、という理由だけで相変わらず毎日光る酒を探しては飲み続けた。
感覚も鋭くなり、特に苦労もなく光る酒を見つけられるようになっている。それだけが、魔法のように不思議な力なのかもしれない。
(酒に含まれている光るものは、本当にマナなのだろうか。だとすれば、この酒を利用して、精霊魔術師が魔法を使えるかもしれない。わざわざ大変な思いをして砂漠や宇宙ステーションに人工の森を育ててマナを得る必要もなくなる。ただ酒さえ飲んでりゃいいのなら、実に楽なものだ……)
しかしそれは、この世界を動かしている精霊魔術師という存在の根幹に関わる、恐ろしい話に発展しかねない。
さすがにそりゃ違うだろ、というのがコリンの結論だった。
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