砂漠の惑星(上)
大海原を航行する豪華客船のような航跡を曳いて、巨大な物体が地表を移動している。
だがこの
砂丘を切り裂き一直線に進むのは、この砂漠の惑星最大の生物、三百メートルもの巨体を誇る、サンドワームワームだった。
太く丸い体を前後に伸縮させて進む白い体は芋虫そのもので、不気味としか言いようがない。
やがて太陽が、地平線を血の色に染め上げて沈む。織り重なる砂丘の彼方に遠く町の明かりを望むと、ワームは速度を緩める。
分厚い砂のカーテンを身に
夜空へ舞い上がった砂煙が落ち着くと、なだらかな砂丘の上に小さな四角い建造物だけが残されている。
翌朝、雲一つない、いつもの藍色の空が砂漠を覆う。赤褐色の砂漠が太陽の熱を吸い、気温が急上昇する。
町の人々は二重の防壁を切り取る巨大な西門の外に、見慣れぬ四角い三階建ての建物が出現しているのを発見した。
薄汚れた人工木材に囲まれた広い窓が、朝陽を反射して眩しい。
入口の上に掲げられた看板には、泡の溢れるビアジョッキが描かれていて、その建物が酒場であることを訴えている。
店の名は、『カラバ侯爵の城』。
再び砂漠に夜が訪れると、看板に明かりが灯る。
「さて、そろそろ開店の時間だね。いつも通りに頼むよ」
厨房で料理の仕込みをしている十代半ばの少年が、客席に声をかける。
「りょーかい、まっかせて~」
店の中にいる同じ年恰好の小柄な少女が、元気に答えた。
「んじゃ、行くよ~」
少女が右手を上げると店内に旋風が舞い上がり、客室全体に広がる。
床やテーブルの上に積もっていた細かい砂粒が風に舞い、消える。続いてレモンの香りがするミストが店の隅々の汚れを落とし、調味料の瓶やカトラリー入れが勝手に宙を飛んで、各テーブル席にセットされた。
「はい、開店準備オーケー!」
二階から上は暗いままで、営業するのは一階部分だけのようだ。
待ち構えていたように、店の前には自動クロウラーが次々と到着し、笑顔に緩んだ乗客を吐き出す。
「いらっしゃいませー」
少女の元気な声が、それを迎えた。
二人だけで切り盛りしている小さな酒場だが、この町での営業初日から大繁盛だった。
建物の一階は厨房と倉庫が半分を占め、残りが客席という造りなので、店の客席数は多くない。
しかし広大な砂漠の中で小さな小屋のように見える酒場だが、近くに寄ってみれば思ったよりも大きい。
三階建てとはいえ各階の高さは町の家屋の二倍はある。床の広さは一辺が二十メートルを超える。全体ではちょっとした豪邸か、集合住宅の規模だ。
店に入ると固定式の椅子が十脚ばかり並んだカウンター席と、ゆったりとしたテーブル席が幾つかある。
空調の効いた店内からあぶれた客は、入口の外に並べたテーブルで若干砂の味がするトルティーヤチップスをつまみに、冷たいエールを飲んでいる。
それでも皆、日没と共に急速に冷える外気を楽しみながら、町の明かりを眺めてのんびりと寛いでいた。
厨房の少年は慣れた手つきで、次々と料理を作っている。
手際よく料理が出来上がると、大慌てで少女がそれを客席に運んで回る。
そうして二人は明け方近くまで大汗をかいて働き、夜明けを迎えるころにやっと店を閉めた。
こうして移動酒場『カラバ侯爵の城』は、辺境の町ロワーズでの営業初日を無事に終えた。
翌日、昼過ぎに目覚めた少年と少女は軽い食事のあと、外出の支度を始めた。
「早く行こうよ、コリン」
「うん、ニア」
コリンと呼ばれた黒い髪の少年は茶色い瞳に白い肌の痩せた体で、内気な小声で話す。
逆にニアと呼ばれた少女は、小柄だが活力に満ちている。
薄い茶色の髪を腰まで伸ばし、白い肌に好奇心の強そうな灰色の瞳をくるくると動かしている。
二人とも十五歳になったばかりで、物心つく前から兄妹のように一緒に育った。
店から出ると、二人は腰に下げた短い筒から薄いシートを取り出して広げると、頭から被った。
ブン、と音がしてシートが一瞬幽かな光を帯びると、日差しと砂埃を遮り涼しい空気が体の周囲に広がる。
これが砂漠を歩く最低限の外出装備、標準Aキットに付属する防塵マントである。
初めての町ロワーズの門を並んで通る二人は、内外二重の内門まで到着して、マントを脱いだ。
「昨日から門の外で営業している酒場の者ですが……」
眠そうな顔の門衛に、コリンが告げる。
基本的には、どこの町でも人の出入りだけは自由だ。
過酷な環境に暮らす砂漠の民は、助け合わねば生き抜けない。
その代わり町は街区ごとに細かいセキュリティレベルが設定されて、厳しく管理されている。
手元の端末にちらりと目をやった門衛は、顔を上げて少年の顔をじっと見る。
「おい、兄ちゃん。あんたあのエギムにあった『砂丘の底』の子供じゃないか。まだ酒場を続けているんだな」
内気な少年は、商売用の笑顔に切り替える。
「はい、あちこち移動しながら営業してます」
「ここへ動かしてきたのは、あの店なのか?」
コリンは、一年の間に何度も繰り返した手順通りに、答える。
「そう。店の地下に埋もれていた古いクロウラーを動かして、エギムから逃げ出したんです」
いつものように、用意しておいた答えだ。
「親父さんと兄さんも一緒なのか?」
コリンは目を閉じ、うつむいて首を横に振る。
「そうか。それは気の毒だったな。いい店だったのに……」
二人の店が、一年前に滅びた町、エギムの門前にあった酒場『砂丘の底』であることに気付く者は少ない。
何故なら、『砂丘の底』を知る者の多くは町と共に砂漠へ沈んでしまったから。
エギムの町民なら誰でも知っていた酒場『砂丘の底』は、町に暮らす地元の常連客に愛される店だった。その分、他の町の住人への知名度はとても低い。
「ところで、この町にはエギムの難民はいる?」
コリンに代わり、ニアが口を開いた。
「いや、聞いたことがないな」
「そう」
二人は残念そうに言ってから、ニアが付け加えた。
「あのね、エギムを襲った盗賊が怖いから、わたしたちのことは黙っていてくれないかなぁ」
「おう、そうだな。せっかくあの災難を生き延びたんだ、これ以上奴らとは関わりたくねえよなぁ。大丈夫、安心しな。誰にも言わねぇからよ」
門衛の男はどんと胸をたたく。
少年と少女は安心した笑顔を浮かべて、二人で顔を見合わせた。
「今日は町で買い物かい?」
門衛の男が言った。
「うん、ちょっと身の回りの物だけね」
ニアが笑顔で答える。
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