きつね女とたぬき男
三浦周
きつね女とたぬき男
私の彼のあだ名はたぬき男だ。
別に太っているとか、腹が黒いとかそういうことはないし、徳川家康も特に関係はない。
彼が緑のたぬきってカップそばをよく食べているという、ただそれだけだ。
聞く話では職場にあるロッカーはそれで埋め尽くされていているし、年末も緑のたぬきで年を越すというのだ。
たまには、別のも食べれば良いのに。
そう、彼に言ってみる。
決まって帰ってくる言葉は一つ。
「なんかわからないけど、安心するんだよ」
あっそ。
そんな空返事で土曜の正午は過ぎていく。気づけば、お腹も減ってきてお昼ごはんが食べたくなった。
ねぇ、どこか食べに行こうよ。
「うーん、でも無駄遣いはできないよ」
けちんぼ。
でも、一理あるから冷蔵庫をあける
あるのは、卵とネギとそれからビール。
生活力って、こんなところに出るみたいだ。
後ろから来て覗き込む彼も、うーんって唸ってる。やっぱり、どこか行こうよなんて言ってくれたら良いのに。
「炒飯なら作れるかな」
うん、悪くないかもしれない。でも、私たちはどっちも下手っぴ。炒め料理って本当はずっと難しいから。
それなら、やっぱり出前とか取ろうよ。
「だーめ」
そういって彼はビールを取った。ぷしゅっと良い音を出して、炭酸ガスが外に飛び出る。
あーあ、もう運転できないじゃんか。
「それならカップ麺とかどうかな?」
飽きないね、なんて彼に言ったら、不敵にふふふと笑ってみせる。だけどね、私今お蕎麦って気分じゃないんだから。
シンクの下の棚を漁って、取り出したのはやっぱりお蕎麦。
「お湯沸かすから、休んでいなよ」
そういって、彼はヤカンにお水を入れる。それなら私もお蕎麦以外を探さなくっちゃ。
ラーメンもいいけど、ちょっと違う。春雨スープじゃ足りないかもだ。でも、ここでお蕎麦を食べたら、彼と同じで癪な気がする。
薄暗い棚のずっと奥の方、赤いパッケージのうどんが見える。ふと、手に取ってみるときつねうどんだ。
うん、これにしよう。
「うどんも美味しいよね」
ぱちぱち、コンロの中火がついて、お湯が沸くまで、大体10分。冬の水道水はまだ冷たいから、もう少し時間がかかるかもしれない。
その間、私たちはお話しする。
これからのこと、このさきのこと、そうしていればあっという間だ。だって、私も彼もまだお互いに知らないことはたくさんあるから。
「あっ、お湯沸いてる」
うちのやかんはぴゅーぴゅー鳴くんだ。これは彼が買ってきた物。まだ、焦げ一つないお気に入りなのだ。
ビニールを破いて、蓋を開いて、粉末スープを入れて、お湯を注いで、それから携帯でアラームをつける。
じゃあもう三分、お話しようよ。
「あっ、良いこと思いついた」
彼は片手間に、包丁を握る。
とんとんネギを小口切りにして、それから私のうどんに入れた。
今度は卵をお蕎麦に落として、したり顔でこちらへ笑った。
「絶対美味しい」
うん、私もそう思うよ。
アラームが鳴って蓋を開けたら、お蕎麦のいい匂いがする。私もそれにすればよかった。
私もうどんを開けようとしたら、彼が慌てて止めてきた。
「うどんは5分だよ」
そっか、麺が太いんだもんね。
でもそんなの、ずるい気がする。のんびりな彼が3分で、せっかちな私が5分だなんて、これじゃあ、まるであべこべみたいだ。
「伸びちゃうから、先に食べるね」
食べる前にはいただきますだ。ゆっくり二人で手のひらを合わせる。
「うん、やっぱりこれだね」
きっと今の私は恨めしい目をしてる、ずるずるって美味しそうな音が響くんだもの。
それに卵がとっても美味しそう。
アレンジってこの前少し流行ったけれど、たしかに悪くないかもしれない。
「一口食べる?」
うん、食べたい。
スープを啜ってみると鰹節の味、昆布も使っているんだろうか。お蕎麦も一口、しこしこしてる。汁に浸った天ぷらも美味しい。
「卵割ってごらん」
それじゃあと卵を箸で割る、ゆっくり広がる黄色い卵。もう一口、蕎麦をいただく。
まろやかになって、これも美味しい。
ピピピと彼の携帯が鳴る。もう2分経ってたみたいだ。
私のうどんはネギ入りアレンジ、蓋を開くと湯気が昇った。スープの色は濃い茶色をしてる、でも不思議と澄んで半透明だ。
ネギと一緒に白い麺を持ち上げて、そのまま口へ運んでみたら、もちもちしてて食べ応えがある。
そのまま油揚げにかぶりついたら、じゅわーっとスープが口に広がった。
「俺にも一口頂戴」
あなたはお蕎麦に一途じゃなかった?
ほんの冗談、彼は笑った。
「これも美味しい」
きつねうどんはお稲荷さんが油揚げが好きだから、そういうらしいけど、たぬきさんは天ぷら好きかな。
きっと、私のたぬきさんはどっちも大好き。
それから、麺も油揚げもネギも全部食べたら、すっかりお腹いっぱいになったのだった。
時計の針は、まだ12時半。日差しがシルクカーテン越しでも明るくて眩しい。
「ねぇ、来月が楽しみだね」
それは初めて聞くことだったから、てっきり私のわがままだと思っていたから、恥ずかしくて彼の顔が見えない。
目の前のカップにスープの温もり。それは彼が注いでくれたもの。だから、やっぱり最後にもう一口だけ飲むかな。
「うん、たしかに優しい味だ」
あったかいものを食べたせいで、私のほっぺも熱くなってた。
そうだ、午後はふたりでお散歩がてら、買い物デートに洒落込もうかな。
雪解けを待つ土曜の一日、暖かい季節はまだまだだけど、寒さもこうして暖めあえばいい。
きっと、緑が芽吹く素敵な春が来るのだから。
きつね女とたぬき男 三浦周 @mittu-77
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