第8話 博多
品川駅を出た列車はその後何処にも停まらず、一昼夜かかって博多駅に着いた。
駅から連絡船の発着所まで移動する。道中、冬風が吹きつけ、意外に寒い。九州だから博多は南国、冬でも多少は暖かいのだろうと思っていた浅井。思わぬ誤算に少し小便が出そうになった。
二、三十分歩いただろうか。海が見え、船着き場に着いた。
「新兵は別命あるまで休止!」
三八式歩兵銃を三名ずつが叉銃(さじゅう)して、出発まで自自由行動となった。新兵たちは皆、日が明るい内は輸送船も出航しないと踏んでおり、中には博多の街まで遊びにゆく強者(つわもの)もいた。まあ、思えばこれが最期の内地になるかもしれないのだ。
一方、浅井は便所を探していた。小便ははずみ、すでに膀胱はパンパンに張っている。
「ううぅ・・・」
連絡船の待合所に便所があるのを発見した。 跳ぶようにして、一目散に駆け入る。
ジョジョジョジョーーー
「ふぅ、助かった・・・」
安堵する浅井。
ゆっくり用を足し終え、便所の窓から静まり返った博多湾の夕景を眺める。思えば、入隊してから独りになれるのは寝る時以外なかったから、ここにきてやっとボッチになれるのも有難かった。
不意に、馬見塚のことが頭に浮かぶ。
自殺を知った妹はどんなに悲しんでいるだろう。
乗船待合所を出ると、自分達が乗ると思われる四隻の客船が岸壁に繋留されていた。浅井が向かうと、出航を待つ甲板で船員達が忙しそうに行ったり来たりしている。
よく見ると、四隻の内一番小さな船に見覚えある気がした。
近付くと船首に『樺太丸』と刻まれている。
「青函連絡船の一番小さな船だ!」
急に懐かしさがこみ上げる。
浅井は小学校五、六年生の頃、夏冬の休みになると函館で製菓業を営む母の兄の所に連れて行ってもらっていた。浅井的にはそこで小遣いをもらうのが目的となっていた。
上野駅を夕方午後六時頃、十和田何号かに乗って出発すると、朝には青森駅に着く。冬の凍っているホームで転んだりしながら、そこから連絡船に乗って函館に向かった。
その時、連絡船で一番小さい船が樺太丸だった。まさかその船が兵隊となった自分を乗せて釜山まで運ぶことになろうとは・・・。
エモーショナルな浅井は胸に熱い思いが沸き上がり、思わず目から泪が出てしまった。
日本の北の港から南の博多まで駆り出され、國のために身を粉にして盡(つく)すこの小さな連絡船が愛おしい!
何変もない小型の連絡船を見て涙する浅井に、近くにいた兵たちは退いていた。
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