第7話 國を護る

 浅井が品川区の中原小学校(現・荏原第一中学校)に入学したのは昭和九年だった。

 ちょうどその年から、富國強兵の國是に従い、國語読本が改訂された。それまで小学一年の國語の教科書は「ハナ ハト マメ マス」が最初の文章として載っていたが、浅井入学時から「サイタ サイタ サクラガサイタ」と変わり、次いで「コイ コイ シロコイ(来い、来い、シロ来い)」、さらには「ススメ ススメ ヘイタイススメ」に変化した。

 小一國語の教科書から、早々兵隊が登場するようになったのだ。

 内容は日清、日露戦争の武勇伝。爆弾を抱えて敵陣飛び込み、味方を勝利に導いた肉弾三勇士や、日露戦争で敵弾を受け、死んでも口からラッパを放さなかった岡山の喇叭手(らっぱしゅ)・木口小平が登場する。

 学校の先生は彼らを英雄と称え、國を護る日本男子の鑑だと教えた。

 同じく日露戦争で、広瀬中佐が沈みゆく軍艦に留まる部下・杉野兵曹長を探し、艦と共に沈んでいく話では「部下を思う上官の心は死をも恐れないものだ。お前たちも大きくなったら、先輩たちのような立派な軍人になれ!」と教室で発破掛けた。

 戦後、時代が変わった今、軍艦マーチをガンガン鳴らして走る街宣車には違和感を感じるが、当時はその勇ましいリズムに皆高揚していた。これは紛れもない事実だ。

 また、この頃の祝日は年四日で、元旦、二月十一日の紀元節、四月二十九日の今上天皇誕生日、十一月三日の明治天皇誕生日だけだった。その祝日当日には全校生徒が講堂に集められ、校長の訓話が行われた。校長は高いステージ上の教壇に立ち、全校生徒が頭(こうべ)を垂れる中、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」で始まる教育勅語を奉読して聴かせる。その中で「國に忠、そして父母に孝」と、國が親兄弟よりプライオリティー高いこと、優先順位第一であることをはっきり順序立て、生徒が目指すべき人間像を指導していた。今聞くと違和感あるかもしれないが、これは当時國敗れると奴隷か民族滅亡の道が見えており、切羽詰まったいた。


 小学生の頃から國を護る軍人讃美の文が多かったため、子供が読む漫画月刊誌『少年倶楽部』でも軍隊生活をカルカチアして描いた田河水泡の『のらくろ一等兵』が大人気。その爆発的な人気たるや鳥山明の『ドラゴンボール』やゆでたまごの『キン肉マン』、高橋よしひろの『流れ星銀牙』を遙かに凌駕していた。

 勢い男子の間では、戦争ごっこが遊びのメインディッシュになる。

 喧嘩の弱い奴か雀拳(じゃんけん)で負けた奴が、いやいや敵のチャンコロ役をやらされ、追いまくられる。小学生においても、チャンコロ役は白いハンカチをあげれば降参と見做されるが、日本兵役でそれはあり得ない。勢い「天皇陛下万歳!」と叫んで壮烈に死ななければならない。その悲壮感がまた堪らないのだ。

 

 このような風潮で育ったから、大半が軍國少年だった。特に男子は軍人になって命を國に捧げ、日本を守るため兵士になりたいと思っていた。

 授業で将来の夢を描くことがあれば、真っ先に「戦場で手柄を立てて偉い軍人になること」と書いた。その頃、「将来の夢、野球選手」と書く者など居よう筈もない。そうなるのは、戦後米軍が進駐してきて、いわゆる3S(Sports,Sex,Screen)政策を施した後だ。


 当時は、小学校に予備役の軍人が二名ほど実戦を教えに来ていた。中学以上では新設科目「軍事教練」もあった。指導内容は、小銃を担いでの行進や校庭での匍匐前進、人に見立てた藁を突き刺す練習など。

 浅井はこれらの実戦教育に胸がざわめき立った。教室での座学より俄然面白味を感じていた。同級生がそこまでやる気なかったこともあって、図抜けた成績を収める。

 さらに、支那事変が始まると、課外授業が加わった。戦地に赴く兵隊を日の丸の小旗を振って送り出すのだ。また、散華した英霊が白木の箱に収まり無言の凱旋を果たすと、そのお迎えに動員され駅頭に並んだ。 

 成長するにつれ、敵愾心が燃え盛っていった。

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