第2話 入隊

 昭和元年生まれの浅井が十六歳の時、大東亜戦争が始まった。


 アメリカ、イギリス、支那、オランダのABCD包囲網によって経済封鎖された日本は、昭和十六年十二月八日、海軍機と潜航艇十隻でハワイ・オワフ島パールハーバーに碇泊中の米太平洋艦隊を奇襲。英領シンガポールをはじめとしてマレー半島、フィリッピンのマニラ、油田があるインドネシアなどを次々と占領した。


 最初の半年は各地で勝利を続け、國民を狂㐂させる。ニュースの冒頭、威勢のいい『軍艦マーチ』が流れ、続いて大戦果が発表された。

 しかし、その後日本は、ハワイの北西約二千kmにあるミッドウェイ島海域の戦闘で、まさかの敗北を喫す。アメリカとのこの海戦で、虎の子の航空母艦四隻、重巡洋艦一隻、飛行機約三百機、兵員三千五十七名を失った日本は、太平洋の制空権を喪失。以後、急な坂道を転げ落ちるように劣勢に入った。


 この頃になると、目ぼしい戦果がないためか、大本営は同じ発表を何度も繰り返すようになる。また、敗戦の報においては、まず哀切極まりない『海ゆかば』のメロディが流れ、ニュースが続いた。 

 米軍との戦いで、北太平洋のアリューシャン列島・アッツ島にて日本軍玉砕。死者二千六百三十八名。南方のガダルカナル島では、損害一個師団、死者一万九千名。


 「彼らだけを死なせるわけにはいかない!もう学校どころじゃねぇー」


 浅井は居ても立っても居られなくなった。

 一刻も早く軍人になって、御國に殉じたいと思った。

 そのためには、満十七歳で入隊できる陸軍を志願する必要がある。さらに、その歳で即入隊するには、通っていた中学を辞めなければならなかった。

 母一人子一人の母子家庭で育った浅井だったが、母親には何ら相談せず中学を三年で中退。内緒で入隊検査を受けた。

 結果は、まだ身体ができてなかったため、甲種でなく乙種で合格。その意味でも”晴れて”とも”見事”とも言えないもの、”一応”陸軍から入隊を許されたのだった。 

 

 母・芳枝がこのことを知ったのは、入隊期日の葉書が届いてから。知ると同時に半狂乱と化した。

 身心ともにまだ未熟で非力な十七歳の少年・浅井が、徴兵年齢の二十一歳に達した屈強な青年たちに混ざって戦地に赴こうとしている。そして、敵と戦おうとしているのだ。

 

 「ありえない・・・」


 芳枝は呆然とした。

 愕然としすぎて、顎は開きカバになった。

 腰が抜け、ヘナヘナと膝から廊下にヘタレ込む。

 

 「息子が戦死したら、自分の人生も終わりだ」

とも思う。

 反抗期、若気の至りでは収まらない、我が息子のあまりに破天荒な行為。しかし、もう後には引き返すことは出来なかった。

 入隊しなければ息子は、軍の衛戍(じゅ)監獄に入れられ、親子ともども人生が破綻する。総力戦と叫ばれるこのご時世、入隊阻止が世間に知れたら、非国民の烙印を押され袋叩き、村八分にあう。

 「ここまできたら入隊させざる得ない」

 そんな母親の心配をよそに、富國強兵の指導の下で学校生活を過ごしてきた浅井は、血気益々盛ん、意気軒高としていた。


 新兵達は、面会に来た家族を衛門が見える坂の上まで送り、最後の別れをしていた。浅井も同様に、芳枝をそこまで送る。長い坂の上に着くと、学生服などが入っている風呂敷包みを渡し、

 「お母さんが振り返っても俺はもうそっちへ行かんから」

と言った。

 子離れできない母に手を焼いていた。そんな気持ちで一杯だったから、衛門までの長い坂道を降りていく途中、母親を振り返らせないために言ったのだ。そして、母の姿が門の外に消えて見えなくなるまで見続けた。

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