砲末~最後尾 浅井一等兵の青春~

イヌくん

第1話 大日本帝國

昭和十八年一月七日、千葉県佐倉連隊・東部六十四部隊の上空には、雲一つない青い空が広がっていた。

冬なのに陽春のような暖かさだ。


 「面会にはちょうどいいな」


 中学生の浅井宏は、やや緊張した面持ちでつぶやいた。


 浅井を含む七百二十名の新兵たちは三日前に入隊したばかり。今日は、それまで着ていた私服や私物の受渡しを兼ねた家族との面会日だ。そのため、新兵の各班では起床ラッパが鳴る前から、皆そわそわしていた。


 各班長は佐倉連隊の下士官たち。新兵を配属先に引き渡すまで、臨時で班長を務める。面会前、班長から伝令が下った。


「貴様達は外地から受領に来ている現地の部隊に引き渡される!そこで訓練を受けた後、第一線に投入されるのだ。今日で家族と会うのが最後になるかもしれないから、遺骨代わりに手足の爪を切って封筒に入れ、それとなく渡しとけ!」

 

 そんなことをしたらかえって家族が心配するのでは・・・。浅井は戸惑った。ただ、他の新兵たちも同じように思ったのか皆無視していたので、浅井もスルーした。入隊して最初の命令をガン無視、総スルー。いきなりの抗命に、問題が起きないか正直不安になった。


 面会は、営舎前の広大な営庭で行われた。面会人たちは茣蓙(ござ)を持って来て、思い思いに赤飯やぼた餅、菓子、果物などを並べ、送別の宴を開いている。皆、息子の武運長久を願い、祝宴をあげていた。一方、浅井の母・芳枝は手ぶらで来ていた。

 

 芳枝は、すでに新しい軍服を纏った若者達の体格に圧倒されていた。食糧事情が悪くなっている都会出と違い、農村の若者は胸板が張っているのだ。一方、芳枝の息子・浅井は気負いだけは人一倍だが、彼らより四、五歳下。しかも、乙種合格と判定されるほど未熟な體(からだ)をしている。

 唯一人、手ぶらでキョロキョロする芳枝。その挙動は、家庭用かき氷機のキョロちゃん人形のようだ。

 「風が悪い・・・」

 浅井が思ったその時、

 「よかったら余っているのでどうぞ。横井と言います。お互いお國のために頑張りましょう」

 と初見の同期が、ぼた餅を差し出してきた。

 「あら、いいの?どうも有難う御座居ます」

 これ幸いと余りモンを手にして㐂(よろこ)ぶ芳枝。浅井も口籠るように礼を言い、慌てて芳枝を面会場から離れた所に連れて去った。


 木造りの古井戸の縁に腰掛けさせ向かい合う。

 「ごめんないさいね。貴方のお友達で兵隊さんになった人は一人もいないでしょ。だから誰も教えてくれなかったのよ」

 芳枝は弁解した。しかし、軍の面会に手ぶらで来るそのあまりの気の利かなさに腹を立てた浅井は、口を利かなかった。

 差し入れが欲しいわけではない。ただ、母のKYぶりが許せなかったのだ。

 だが、このまま母と別れて戦場で死に、これが今生の別れとなったら流石に悔いが残る。何とかしなければならない。だが、自分で自分の感情を制御できなくなっていた。


 ちょうどその時、三脚かついで面会場を回り、記念写真を撮りまくっている写真屋が通り掛かる。


「あたし達も撮って!」


 拗ねた息子に手を焼いた芳枝は、これ助け舟とばかり、写真屋を呼び止めた。一応ホッとする浅井。写真屋は、背景を考え二人を並ばせ、2ショを撮る。

 写真の中、真新しい軍服を着て母と並ぶ浅井。旧制中坊・十七歳の背丈は、まだ母親と同じくらいだ。さっきまで親に子供のように腹を立てた自分が急に恥ずかしくなる。そんな己から早々脱却しなければならない。浅井は何思ーたか、母親の耳元に近寄り、そっと

「俺たちは支那に送られるらしいよ」

 と、知ったばかりの軍の機密を洩らした。


 当時、南方の戦場に向かう新兵達を乗せた軍の輸送船が、米海軍潜水艦の魚雷攻撃に遭っていた。そして撃沈されたというニュースがよく新聞に載っていた。

 支那なら航続距離が短い対馬海峡を渡って釜山に着く。そこから列車で朝鮮半島を北上し、鴨緑江を渡って西へ向かえば支那入りできる。

 浅井は芳枝に心配させないよう軍の機密を洩らしたのだった。


 親思う子ごころ。しかし、あろうことか芳枝は

 「兵隊さんはね、天皇陛下万歳って言って死ぬ人より、お母さんって言って死ぬ人の方が多いのよ」

 と、耳元で途轍もないことを言い出した。

 浅井は吃驚(びっくり)仰天。小さな声だったが周囲に聞こえてはいないかと焦り狂う。ヒヤヒヤして周りを窺う。誰も気付いていないようで安心したもの、芳枝の女々しさ、天皇に対する忠誠心のなさに絶望した。

「帰りの電車が混むから早く帰ったほうがいいよ」

 帰りを促すため、浅井は学生服等の入った風呂敷包みを持ち、先立って歩き出す。


「お母さんがいる祖國大日本帝國を守るために戦場に行くんだ」


 一言(ひとこと)、そう言いたかった。

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