天蓋輪廻の夢想曲~トロイメライ

黒乃羽衣

二人の日常とある休日

    †


 ある休日の朝のことです。


 わたくしは早くに目を覚ますと、ベッドの傍らでひざまずき朝の祈りを捧げます。

 手早く髪にくしを入れて、巫女神官用の修道服に袖を通しました。


 宗教国家都市、聖なる教のシスターで最高位の巫女神官。

 序列の三位を冠しているのがわたくし、クランフェリアです。

 中央部の大聖堂を七芒星に囲む七つの聖堂、その南東部を管轄しています。

 普段は南東部の聖堂に隣接された母屋に住んでいます。



 朝食の支度をするためにキッチンへと立ち、鍋に水を入れて火にかけます。

 野菜を棚籠たなかごから取り出して、包丁で皮を剥き始めました。


 しばらくすると、キッチンに入ってくる人の気配を感じます。


 それが誰なのかはもちろん知っていました。


「おはようございます、あなた様。」


 そこには眠そうな顔をしたヒツギ様。

 わたくしの補佐官であり、内密に付き合っている恋人でもあります。


「……おはよう、クラン。」


 わたくしの母屋に同棲している彼は、ゆっくりとした動作で近づいてきます。


「今、朝食を作っていますので、もう少し待っていてくださいね。」


 玉ねぎを切りながら声をかけていると。


「ん、わかった……クラン……」


 寝起きの低い声で返事をされつつ――わたくしは寄りかかるように後ろから抱きしめられました。


「……ふぇっ!?」


 わたくしは驚きのあまり、包丁に力を込めて玉ねぎを叩き切ってしまいます。


「あ、あなた様!今は包丁を持っていますので!危ないですから離れててください……!」


 慌てるわたくしをよそに、頭一つ背の高い彼はわたくしの首元に顔を埋めて抱きしめる腕に力がこもります。

 その手はしっかりと胸も掴んでいました。

 そして、慣れた手つきで服をはだけさせ手を差し入れてきます。


「あなた様!?いけません、こんな朝はやくからなんて……!」


 わたくしは身をよじって彼の腕から逃れると、その背を押してキッチンの椅子に座らせました。


「もう……大人しくしていてくださいっ!」


 求められるのは嬉しいことですが、時と場合と雰囲気を大事にしてほしいです。


 ヒツギ様はキッチンの机に置かれた水瓶みずがめから水をコップへ注いで一口で飲んでいます。

 乱れた服と気を取り直して、わたくしは調理を再開しました。


 常日頃から清貧を信条としているために、豆のスープにパンのみという簡単な朝食になってしまいます。

 けれど、彼はわたくしに理解を示してくれていました。


「お待たせしました。さぁ、食事にいたしましょう。」


 わたくしは彼と向かい合って席に座ります。


「神のお恵みに感謝を。」


 円と十字の印を切って略式の祈りを捧げます。


「いただきます。」


 彼は手のひらを合わせて祈りました。


 そして、黙々とわたくし達は食事を口へ運びます。

 気まずいわけでは決してなく、それが当たり前の空気でした。


 食事はほぼ同時に食べ終わりました。

 彼の分は多めに盛っていたのですが、それでも合わせてくれるのはさすが殿方ですね。


 食器を下げて、洗っているとふと思い出します。


「そういえば今日は市場で収穫祭が行なわれているはずです、あなた様。」


 居間で読書をしていたヒツギ様がこちらを見て微笑みました。


「それなら、このあと街へ出かけてみようか。」


    ♤


 俺はクランフェリアとともに、蒸気自動車で昼から街へと向かっていた。


「今日もとても天気が良いですね、あなた様。」


 今日は休日なので聖務を行なうことはない。

 天気は快晴で空には雲一つなく、爽やかな風に草木がそよぐ暖かい日だった。


 クランの管轄する南東部の街は、気候が温暖で農業や牧畜が盛んだ。

 夏と冬で栽培する作物を分けられていて、乾燥する夏季は葡萄ぶどうなどの果物や野菜、雨の多い冬季は小麦が育てられている。


 収穫を祝う小さな祭りは頻繁に開催されていて、祭祀を執り行なう巫女神官であるクランは年に一度の大収穫祭の時のみに祭りに関わった。


 市場に到着すると、軽快な楽器の音色と共にその賑わいが伝わってくる。

 街の其処彼処そこかしこ葡萄ぶどうの装飾があしらっていた。


「今回は葡萄ぶどうの収穫祭か。」


「南東部はワインの名産地でもありますから。聖なる教の祭事で使われる葡萄ぶどう酒も、この街で作られています。」


 クランが説明をしてくれる。

 葡萄ぶどう酒の甘い芳香に心惹かれ、足が吸い寄せられていく。


「うふふ。飲みたくなってしまいましたか?」


「ああ、いや。帰りの運転もあるし、飲んではいけないな。」


 ぐっと堪えて、頭を振る。


 すると、クランは店主からワインを購入していた。


「たまには、二人でゆっくりお酒を飲むのも良いかもしれませんね。あなた様。」


 ボトルを片手に微笑む彼女を見て、つい顔が綻んでしまった。


「……そうだな。ありがとう、クラン。」


 陽が傾いていく街の中、俺達は手を繋いで祭りを見て回るのだった――

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