日常に犬が出る
ザキノウラ
銀行に犬が出る
「番号札を取ってお待ちください」
いろんな場所で耳にする機械音声。その声もどこか上品に聞こえて、あわてて背筋を伸ばした。
いつも行くのは、銀行の支店。今日来たのは、銀行の本店。建物の規模も人の数も大きく違う。駐車場には警備員が五、六人いた。怖くて、とりあえず全員に会釈をした。
こんなところ、自分には敷居が高い。
知らない彫刻を通り過ぎた先にある窓口には、高そうなソファが一定の間隔を空けて置いてある。番号札を取ってから座ってみると、やけに深く沈んでびっくりした。高そう。スマホを触っていたら自分の番が来たときにすぐ動けないので、周囲をきょろきょろ見回しながら番号が呼ばれるのを待つことにした。
天井も高いなあ。これだけの高さがあれば、あと2階分くらい増設できそう。ビジネスホテル4階くらいの高さはあると思う。複雑な形の石でできた壁には、何やら大きい絵が飾られている。高そう。よく見ると、利用客もピシッとした格好をしている。
(仕事着で来て本当によかった。)
惰性で着ているワイシャツに感謝しながら、ぼんやりと待ち続けた。
照明の数を数え終わったころ。ポン、という軽快な音と同時に295という数字が掲示板に映る。
やっと呼ばれた。利用方法を間違えたから呼ばれない訳ではなかったのか、と安堵しながら295と書かれたカウンターを探す。
「よろしくお願いします」
そう呟きながら受付の人を見ると、そこには犬が座っていた。
犬?
いや、犬のようなものと言った方が良いだろうか。他の銀行員と同じ服を着て、どこか表情も人間のように見える。
「本日はどのようなご用件でいらっしゃいましたか?」
「え、あ、新しい口座を開設したいんですが、」
「承知いたしました。ただいま書類をお持ちしますので、少々お待ちください」
器用に椅子から飛び降り、書類を取りに向かう後ろ姿を見ながら、私は深呼吸を繰り返す。
犬がいた。
喋ってたなあ。
でも、犬だったなあ。
この状況でも、動揺せずに用件を言えた自分に感動する。
犬も銀行で働く時代が来たのか。確かに、元々芸達者な犬が人の言葉も話せたら、銀行員くらいできるのかもしれない。犬と呼び捨てにするのも失礼だな。犬さんと呼ぼう、と心の中で決意した。
犬さんは器用に書類の入ったカゴを引きながら戻ってきた。
「お待たせいたしました。必要事項をこちらの書類にご記入ください」
「はい、ありがとうございます」
差し出されたカゴから書類を取り出して、一つ一つ記入していく。犬さんを待たせないように速く書かなきゃ。いそいそと下を向いて書き進めていると、頭の上の方向から「ハッハッ」と犬のような呼吸音が聞こえてきた。やっぱり生物学的には犬なんだなあ。なぜだか、妙にホッとした。
「すみません、これでお願いします」
「はい、お預かりします。カードは後日発行となりますので、一週間後ほど経ちましたら、山本様のご住所の方に送らせていただきます」
「ありがとうございます」
「通帳を発行する場合は別途お支払いいただく形になります。最近は電子化が進んでおりまして、アプリの方で残高を確認することができます」
「アプリで?」
「はい、アプリで」
そう言うと、犬さんは制服からスマホを取り出した。器用だ。
「当銀行のアプリをダウンロードしていただくと、こんな感じで口座を確認することができます。送金などもできるので、便利ですよ」
スイスイと操作して使い方を教えてくれたが、もふもふの手しか目に入らない。というか、犬の肉球で操作できるのか。少し感動した。
「山本さま、どちらにいたしますか?」
「あ、えっと、アプリの方で大丈夫です」
「かしこまりました。それでは、ご案内の冊子をご用意しますね」
「あ、すいません」
またカゴを器用に引っ張ると、犬さんは奥に消え、また戻ってきた。
「お待たせいたしました。お手続きは以上になります。何かご不明な点はございますか?」
ご不明な点。ある。えっと、
「ーーあなたは犬ですか?」
あ、と慌てて口をおさえる。言ってしまった。気分を害してしまったかもしれない。あわてて犬さんの表情を窺うと、小首を傾げて「ふふっ」と小さく笑った。
「す、すいません、」
「いいんですよ。慣れてます。よく犬っぽいって言われますから」
「え?」
「なんで犬っぽいって言われるんだろう。私にもよくわからないんですけどね」
犬さんはまた「ふふっ」と笑う。
あれ。犬さんは、犬っぽいだけで犬じゃない可能性があるということか?
混乱してきた。
犬さんは続ける。
「他にご不明な点などございましたら、またお越しください」
「は、はい、ありがとうございました」
頭の中はぐるぐるしたまま、犬さんにお辞儀をして窓口を後にする。銀行内では、またポン、という軽快な音が鳴り、誰かの番が来ている。やけに豪華なソファを通り過ぎ、知らない彫刻を通って、駐車場まで着いた途端、思わず座り込んでしまった。
あれ、犬さん、犬だったよね?
「お客様、大丈夫?」
おじさんの声が降ってきた。見上げてみると、警備員のおじさんである。心配そうな目で私を見ている。
「すいません、一つお聞きしたいんですが、」
「なんだい?」
「この銀行に、犬って働いていますか?」
おじさんはキョトンとした顔をすると、大きな声で笑い出した。
「ハハッ、お兄さん、真面目な顔で冗談言わないでよ。犬の銀行員なんて聞いたことないよ」
「あ、そうですよね、すいません、失礼します」
恥ずかしくなり、足早にその場を離れた。
確かに、その通りだ。犬が銀行員をするわけない。
緊張しすぎて幻覚でも見えたのかな。疲れているのかもしれない。
このことは誰にも言わず、今日は日付が変わる前に眠りについた。
日常に犬が出る ザキノウラ @zakizaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。日常に犬が出るの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます