弐 つつは百鳥の羽根を繕う
面妖師と呼ばれる所以は、読んで字のごとく面をつけ妖を祓うことを生業としているからだ。だがそれ以上に、異様な面をつけ常人離れした動きで常夜という闇の中を駆ける姿に畏怖を覚えたからだろう。
古来より、面は身分の高い者が顔を晒さぬ為につけるもの、もしくは罪人がその罪の重さに応じて種類の違う面をつけられるもの、と相場が決まっていた。
身分が高い者がつけるのは、人の顔の面。罪人がつけられるのは、人でない者の面。
面妖師が常夜にてその顔を覆う面は、必ず人外の面である。自ら罪人と同じ面をつけ、妖住まう闇の中へ飛び込む姿は、よほど異様に見えたのだろう。
面妖な、とはよく言ったものだ。
四季華が集落の者との報酬交渉を終え、皆で無事里へ辿り着いた時には、まだ日は高いもののそれなりに時間が経っていた。
常夜の発生しやすい森の奥深く、唐突に開けた土地に、瀬藍(せら)たちの暮らす里がある。
しかし里とはいっても、住んでいるのは全部で12人。里と呼ぶにしても、あまりに少ない人数だ。しかも里人の全員が20歳前後の若者ばかり。この里の頭領として立ち、常夜祓いの際も皆をまとめているのが、最年長である23歳の四季華なのだ。
「四季華、おかえりなさい」
「みんなもお疲れ様」
「結構かかったなぁ?」
四季華を先頭に里の中に足を踏み入れると、今回は留守番組だった皆が出迎えてくる。四季華がそれに、親しみをこめた笑みで手をふった。
「あぁ、ただいま」
「お前がいながら随分時間がかかったなぁ。まさか手こずったのか?」
留守を任されていた1人が、からかうように四季華を肘で軽く突いた。それを目にした朱火が、あっと小さく声を上げる。しかし四季華はそちらにちらと目配せして、また自分を囲う皆に何事もなかったように笑いかけた。
「いやぁ、今回は数が多い上にみんな素早くてな。なかなか厄介だったんだ」
「お前でもか? 後でどんな奴らだったか共有してくれよ」
「もちろんだ。苦労した分、報酬も多くもらえたからいい仕事だったよ」
みんなもありがとうな、と四季華が今日の常夜祓いを務めた瀬藍たちを等しく見渡した。しかし視線を送られた皆が、瀬藍へと冷たい視線を送っている。
「? どうしたの?」
皆の様子に、事情を知らない仲間の1人が尋ねる。朱火はため息を吐いて、言葉を続けた。
「……あの集落の連中が、相変わらずだったから」
「あぁ、今日の依頼主は穂(ほ)の落(らく)の連中だっけ?」
「集落の連中はとにかく事なかれ主義だからなぁ」
集落には、それぞれ茶(さ)の落(らく)、木(こ)の落、花(か)の落などといった呼び名がある。今日急遽常夜が湧いたと知らせに来たのは、穂の落の者だった。彼らの依頼は何度も受けているし、成果も出しているのでお得意先と言っても過言ではないが、いつだって愛想笑いでよそよそしい。
「まぁまぁ、報酬はしっかりくれたんだから」
浮かない様子の朱火の肩を、四季華がぽんと叩いた。
「俺たちがこの組衆を作った時から頼ってくれているんだ。報酬もいつだって妥当な額だし。本当に、ありがたいよ」
「お前は本当にお人好しだなぁ」
皆がそんな四季華に、苦笑する。しかし、瀬藍は愛想笑いすら浮かべられなかった。
四季華は、朱火に応急処置を施してもらった腕を外套で隠している。常夜祓いに行った仲間たちには、自分が怪我をしたことは言わなくていいと念押ししていたのだ。だから今、事情を知らない皆は四季華の怪我に気付くことなく、こちらに棘はない。
しかし、瀬藍が四季華に怪我を負わせたと知っている朱火たちは、瀬藍の方を見ようともしない。皆、四季華のお願いには弱い。それが例え納得のいかないものでも、渋々従ってしまう。
(……私だって)
顔を上げられないでいる瀬藍をよそに、皆は四季華を中心に和やかに談笑している。瀬藍はいつもこうだから、黙って沈んでいても誰も気にしない。むしろまだいるのかよと、時折冷めた目を向けられる。それも留守をしていた仲間にだ。
(私だって、庇われているだけの無能な自分が嫌)
ましてや、親切にしてくれている四季華に迷惑をかけるなんて。
自分の着物をぎゅっと握り締める瀬藍をよそに、朱火が「四季華、そろそろ部屋に戻ったら」と声をかけている。
「あぁ、そうだな」
うなずく四季華の声に、瀬藍ははっと顔を上げた。
(そ、そうだ、今度こそ……!)
せめて治療に付き添って、謝るぐらいはしておきたい。
「あ、あの、四季……、」
「四季華、行きましょ」
どんと、腕のあたりに肘が当たった。そうして瀬藍を押しのけたのは朱火で、四季華の怪我をしていない方の腕を掴んで早足に歩いて行ってしまう。
(……あ……)
四季華が一瞬、気遣わしげにこちらを見たのが分かった。しかし有無を言わせぬ朱火の勢いに押され、そのままずんずんと遠ざかっていく。それを追うことすらできずに、瀬藍は中途半端に踏み出した足を茫然と止めるしかできない。
「おい役立たず」
無遠慮に降ってきた声に、ぎくりと体が固まった。そろそろと顔を向けた瀬藍の前に、音を立てて武器が放られる。地面に落とされカラカラと鳴る音に、自分自身が痛みを感じたように体が竦んだ。
こちらに声をかけ武器を放り投げてきたのは、桐江だった。
「手入れと修復やっておけ」
「で、でも」
瀬藍は困り眉で言葉を続けようとした。しかし、その前に「何だよ」と桐江がせせら笑った。
「あんだけ足引っ張ったんだから、これくらい当然だろ」
「……」
それを言われてしまうと、返す言葉がない。するとそれを見計らったように、常夜祓いに行っていた他の仲間達も「あたしも」「俺も」とこちらに武具を無造作に落としていく。
「今日役に立たなかったんだから、これくらいやっておいてよね」
「四季華と朱火のもやっておけよ」
「ま、こいつが役に立ったことなんてそもそもないしな」
桐江がそう言うと、皆がその通りだと笑い出した。その脇を、自分の武具を持ったまま氷槍が通り過ぎて行く。こちらに武具を押しつける気がないのが彼の常だが、別に瀬藍を庇うわけでもない。興味がないのだ。
「じゃ、呪符の補充もやっておけよ~」
ひらひらと手をふって、桐江が仲間と共に瀬藍に背を向け歩き出す。氷槍が我関せずなのはいつものことなので、仲間たちはそちらを気にしない。皆で話しながら、もう瀬藍のことなど見えていないように離れて行った。留守番組は、四季華が奥に引っ込んだのでとうに自分の持ち場に戻っている。
「……はぁ」
またしても1人取り残された瀬藍は、目の前に積まれた武具を前に肩を落とした。
(……今日こそ、断らないとって思っていたのに)
面妖師は、それぞれに使う武具が違う。刀は武人が使うものと決まっているのでそちらはあまり使われないが、槍や小刀、弓矢に鉄爪と様々だ。その一方で、瀬藍が常夜祓いで手にしていた六角形の呪符だけは皆共通で持っている。
放り出された武具の中には、面も混じっている。皆顔つきや色が違うものの、揃いのものと分かる狐の面だ。瀬藍はそれを、もの悲しい気持ちで見つめた。
(……面妖師は、面と呪符が命なのに)
面は何より、自分の身を守るものとして武具以上に大事だと言われているものだ。それだけに、面妖師は皆幼い頃から面の手入れを教え込まれる。そうして親や師の助けを借りながら自分の面を完成させる。そうすると、次に呪符の作り方に移る。武具の手入れも同様に、自分でやってこそ一人前だと言われている。
しかし、そのこと以上に無造作に落とされた武具や面が痛そうに見えて、つい情けない顔になってしまうのだ。
瀬藍はもう1度ため息を吐くと、ひとつひとつを丁寧に拾い上げていく。1人で運ぶには苦しい量だが、何度かに分けて持って行こうとするとこの場に放置する面と武具が出てきてしまう。それを桐江たちに見られたら「他人の道具をいい加減に扱うな」と怒られるだろうし、本当にうっかり誰かが踏みかねない。
帯に括りつけていた皮袋も利用し、どうにか皆の武具をまとめた。
「よいしょ……っと」
面妖師の使う武具は軽めのものが多いとはいえ、さすがにこれだけの数ともなるとかなり重い。体勢を整え、よろけそうになるのを何とか堪える。ひとまずは頑張れそうだと息を吐き、ふと四季華と朱火が消えた先に視線が吸い寄せられた。そちらには、母屋がある。
朱火はきっと、祈祷師の未純(みすみ)のところに行って四季華を診せているんだろう。四季華の緑色の着物も、朱火の緋色の着物もどこにも見当たらない。
(……せめて一言、謝りたかったな)
どうして自分はこうも簡単なことひとつできないんだろう。瀬藍はため息を吐いて、自分の住まいへと歩き出すのだった。
そうして瀬藍が、4人分の武具と面を抱えて――後で四季華と朱火の分も放り込まれるのだろう――辿り着いたのは、この小さな里の中でも端にぽつんと佇む納屋だった。
「……ただいま」
力ない声が、狭い家屋の中に細々とたなびくようだった。背丈はそれなりにあるものの、すらりと細身の瀬藍には、やはりこれほどの武具は重い。気が抜けてぱっと手を離したくなるのを堪えて、そろそろと丁寧に床に置いた。
ひとまず、ここまで落とすことがなくてよかった。瀬藍はほっと息を吐く。以前、一気に押しつけられた武具を落としてしまい、酷く怒られたことがあった。
(あの時も、四季華が取りなしてくれたんだっけ……)
妖に噛みつかれ苦痛に歪んだ彼の顔を思い出してしまい、瀬藍はかぶりを振った。今日も皆に散々迷惑をかけたのだ。せめてこうした裏方でくらい役に立たなくては。
瀬藍が寝起きしている納屋の中には、必要最低限のものしか置かれていない。着物が入った箪笥に文机。隅にはきれいに折り畳まれた夜具。姿見と小さな棚。17の娘が使っているとは思えない素っ気なさだった。
瀬藍は小さな棚へと近づくと、中から武具の手入れに使う道具を取り出していった。――常夜を一刻近く走り回っていたから、それなりに疲れてはいる。しかし、今はとにかく暗いことを考えずに無心になっていたかった。
(断らなくちゃって、分かっているのに)
瀬藍はまたしてもため息を吐きながら、棚の戸をそっと閉めた。
他の仲間たちにあぁして面や武具、呪符の手入れや補充を押しつけられるのは、これが初めてではない。こうしたことは自分でやるのが務めなのだから次こそ拒否しようと毎回心に決めるのだが、実戦で役に立てていないことを指摘されると立つ瀬がない。
(氷槍にも、呆れられただろうな……)
寡黙で真面目な氷槍は、昔からの伝統を重んじて自分の道具は自分で大事に管理する。皆の道具の管理を一任されてしまったような瀬藍に、ある日、突然こう言ったのだ。
――お前、いつまでそうして押しつけられる立場に甘んじている。
無駄口を好まない氷槍は、他の皆ともそれほど多くを語らない。里の皆からつまはじきにされている瀬藍相手なら尚更だ。任務などの指示で話しかけられるぐらいである。
その氷槍に、数月前にわずかな嫌悪感を滲ませながら指摘された時、どきりとしたのを今でも覚えている。――自分はこの立場に甘えていると、その時やっと気が付いたのだ。
今日も氷槍は関心ひとつ見せずに通り過ぎていったが、内心不快に思ったに違いない。瀬藍はまたため息を吐き出して、ひとまずは作業に打ち込むことにした。……逃げているという自覚があったが、それからも逃げるように。
まずは先程革袋にしまった皆の面を取り出して、ひびが入ったり欠けているところがないかを確認する。ひとつひとつを裏表丁寧に見て、そっと床に置いていった。
――面妖師は面が命、というのは、ただの例えではない。
常夜は、現世に生きる人間が本来入るべき場所ではない。あたりを漂う瘴気はゆっくりと肺に毒を巡らせ、色づいた闇は人々の方向感覚を狂わせ、視界を阻む。気温も常に安定せず、異様な静寂は恐怖と混乱を煽る。
瘴気に蝕まれるのが先か、狂気に陥るのが先か、妖に喰われるのが先か。常夜とは、そういう場所なのである。
常夜のそうした環境から身を守ってくれるのがこの面だ。魔除けの効果のある木をもとに、妖の血や骨、皮を使い、呪符によりまじないを丹念に施してある。
本来であれば面をつければ視野が狭まるものだが、この特殊な面越しに見える夜の光景は猫になったようにはっきりと見える。視界も、面をしていないのではと錯覚してしまいそうなほどに広い。ただし現世の昼日中の中ではただの面と同じになってしまう。常夜だからこそ使える代物だ。
さらに、瘴気も防いでくれるのがこの面である。瀬藍たち面妖師は常夜の瘴気に多少は耐性があるが、それでも吸わないに越したことはない。
だが何よりも重要なのは、「妖に素顔を見られない」ということであった。
顔を見られるとは、すなわち正体を明かすこと。無防備な状態になるということ。それはもう、妖からすれば「頭から丸呑みにしてください」と言っているようなものである。
素顔を晒さないことで常夜の気に馴染み、常夜にとって――妖にとって異端である自分達を少しでも感知し辛くする。常夜の気を少しでも味方につける。面は文字通り、瀬藍たち面妖師にとっては命に直結するものなのであった。
「よかった……」
自分のを含めたすべての面を丹念に確認した瀬藍は、ひとまずほっと息を吐いた。
この面は壊れるととにかく修復が大変だ。それに、常夜で面が外れても良くないが面が欠けるだけでも人間の気や匂いといったものが漏れ出て、妖に勘付かれやすくなる。逆に常夜の瘴気が入り込んでしまうことも意味している。どの面もそうした欠損が見当たらなかったということは、誰もそうした危機に晒されなかったということであった。
(なのに妖に背後を取られた自分が情けない……)
とは思うものの、この面とて万能ではない。常夜の気に馴染みやすいというだけで、襲われる時は襲われる。つまりは単純に、目の前のことにしか注意を払っていなかった自分の落ち度だ。
床に並べた狐の面達を見下ろしていた瀬藍は、ふと常夜での四季華を思い出した。
(そういえば……)
瀬藍を庇って妖に自ら腕を噛まれにいった四季華は、どういうわけか面をしていなかった。苦痛に歪む顔、脂汗をかきながら瀬藍に笑いかける顔、瀬藍に怒りを見せる朱火を止める静かな顔……。それらがぽつりぽつりと、瀬藍の中に落ちてはほどけていく。
(……今考えたって、仕方ないよね)
今頃は未純の祈祷も終わって、朱火がいつものごとく四季華のお人好しを叱っているんじゃないだろうか。瀬藍の出る幕などありはしない。
「……今は、武具の手入れに集中しよう」
面には早急に修復が必要な箇所はなかった。となれば武具の方に先に取りかかろう。面妖師の使う槍は枝刃のついた片鎌槍や両鎌槍であることが多く、仲間達もほとんどがそれを使っている。手入れもやりがいがあるだろう。
「……よし」
瀬藍は今度こそため息じゃない息を吐き出すと、目の前の作業に意識を研ぎ澄ませるのだった。
面妖師は面妖師の里を中心に、各地に拠点を持ちそれぞれの衆を組む。そこの頭領になるのは、若い面妖師にとってはひとつの目標だったりする。
四季華はその中でも若くして頭領になった1人で、人望の厚い彼に続く形で瀬藍たちの生まれ育った繻(しゅ)の里(り)から何人もの若者が彼について行った。瀬藍は故郷の里に大人しく残るつもりでいたが、四季華に誘われおずおずと彼らに続く形になった。
そうして今の、“狐面(こめん)衆(しゅ)”が誕生した。全員が狐面をつけていることを目印とし、拠点とした燈記(とうき)の地の一部の依頼を引き受けている。狐面衆が立ち上がってもうすぐ2年になるが、その仕事ぶりは統率力に優れ社交的な四季華がまとめ役になっているお陰で上々と言えた。
こうした独立は初めて頭領になった者だと上手くいかず、頭領の座を下ろされたり衆の全員を入れ替えることも珍しくないというのに。
「はっ……!」
そんな狐面衆の里ではなく、少し離れた森の中。瀬藍は、1人稽古に明け暮れていた。
狐面衆の皆が使っている武具は槍や小刀がほとんどだ。あとは気休め程度の暗器を少々。
瀬藍も小刀はいつも腰に差しているが、愛用の武具は薄刃(うすば)と呼ばれる刃物だ。その名の通りごく薄い刃で、その分切れ味も鋭い。平行四辺形の形をしていて、手の平に収まるほどの小ささなので軽く、狙いが定めやすい。これを妖に投擲するのだ。
細身の瀬藍にはこういった武具の方が扱いやすいのだが、十文字槍を振るって妖を斬り伏せる桐江たちには「軟弱なお前らしい」と鼻で笑われる。そういった風に否定をしてはこないものの、四季華も愛用しているのは片鎌槍だ。
「あっ……」
そんなことを考えていたからだろうか。投げ放った薄刃が的にしていた木をすり抜け、草の敷き詰められた地面に突き刺さった。慌てて、木漏れ日を鋭く反射する薄刃へと駆け寄る。こういう時、薄刃の特性のお陰で無駄に紛失せずに済む。
(薄刃は、集中力が肝心なのに)
切れ味の鋭い薄刃を慎重な手つきで引き抜き、瀬藍はそっと息をこぼした。
瀬藍が四季華に怪我を負わせたあの常夜祓いから、そろそろ半月が過ぎようとしていた。どうにか四季華に謝ろう、何かお詫びができればと機会を窺っていたのだが、その度に足がすくんでしまったり、いざ声をかけようとすると朱火が瀬藍を押しのけて四季華に駆け寄って行ったり。つまりは、ちっとも四季華と接する機会がなかったのだ。
(……まぁ、私なんかが四季華に話しかけていたら、みんなを不快にするだけだけど)
四季華は皆の信頼が厚く、尊敬されているし好かれている。そんな四季華と誰よりも役に立てていない瀬藍が一緒にいようものなら、冷たい空気を纏われてしまう。
そこまで考えて、瀬藍はかぶりを振った。
(だからこそ役に立てるように、こうして鍛練してるんじゃない)
そう自分に言い聞かせて、立ち上がった。すぐに後ろ向きになる自分が嫌になる。
先程の位置へと戻った瀬藍は、的にしていた木に再び向き直った。瀬藍の亜麻色の髪は、この年頃の娘にしてはとても短い。肩よりも短く、毛先が軽く跳ねてしまっている。顔の両側にある髪だけは耳にかけられるようにやや長くしているが、それでも長さが足りないのか髪質の問題なのか、耳にかけてもすぐに滑り落ちてしまう。
しかし、そうするのが癖となっているので、今もその髪を耳にかけた。またすぐに落ちてしまうだろうなと思いながら、先程よりは落ち着いた気持ちで薄刃を投げた。
音もなく、薄刃が幹に刺さる。深さは少し足りない気がするが、ひとまずは狙い通りに刺さった。
(よかった……)
ほっと息を吐いたその時だ。
「――やっぱり薄刃の扱いが上手いなぁ、瀬藍は」
「!」
唐突に湧いた声に、瀬藍は慌ててふり返る。そこには、にこやかに手をふるまとめ役がいた。
「四季華!」
「悪いな、覗かせてもらってた」
そう詫びた四季華が、草を踏みしめてこちらへとやって来る。
「い、いつから見て……?」
「少し前からだな」
つまり失敗していたのも見られていたということだ。瀬藍は顔を真っ赤にしてうつむけた。
「ごめんなさい、無様なものを見せてしまって」
「無様?」
「だって、あんなに的を外すなんて」
薄刃を握って、何年も経っているというのに。恥ずかしくなる瀬藍に構わず、四季華はたった今薄刃が刺さったばかりの幹へと歩み寄る。
「これ。1度刺したところにもう1度投げ込んだんだろ?」
「う、うん。一応……」
四季華は萎縮する瀬藍に何の衒いもなく笑いかけてみせる。
「それなら充分にすごいと、俺は思うぞ」
――気遣っている、わけではなく。嘘を吐いているわけでもない。
四季華は、昔からそういうところがあった。他人の良いところを見つけ、まっすぐに評価してくれる。優しくしているわけではなく、四季華にとっては、これが自然体なのだ。
(だからこそ、みんなに慕われる……)
幼い頃の瀬藍にとって、四季華は憧れのお兄さんだったのだ。そんな彼に声をかけられて、彼のまとめる狐面衆に入れてもらえたことが、未だに信じられない時がある。
こんな風に1人でいる瀬藍の前にひょっこり現れて、親しげに話しかけてくれることが度々あると、特に。
「き、今日はどうしたの」
彼の惜しみない称賛に、どう応えていいのか分からない。照れくささに目を逸らしながら尋ねると、四季華は苦笑の気配を見せた。
「瀬藍が俺に何か言いたそうにしてたから、どうしたのかと思ってな」
「!」
(……あ……)
そうだ。自分は何を浮かれていたのか。現実に引き戻され、瀬藍は目に見えてさっと青ざめた。四季華に言わなくちゃいけないことが、まずあったじゃないか。
「四季華、この間は、ごめんなさい……‼」
そう言い切るか言い切らないかの内に、頭を下げていた。そのまま顔を、上げられない。
沈黙は、それほど長くはなかった筈だ。しかし瀬藍には、短いからこそその一瞬一瞬が怖くて仕方なかった。
「……そうだと思った」
四季華のやわらかく苦笑する声が落ちた。
「この間って、俺が腕を負傷した時のことだよな?」
「……」
こくり、とうなずいた。やっぱり顔を上げられない。
「……俺も怪我しちまったから、気にするなって言える立場でもねぇし」
四季華のこぼした言葉に、びくりと肩が跳ねる。
「でも気にしてくれるお前だからこそ、信頼できるっていうのもあるんだよなぁ」
瀬藍は、顔を上げた。四季華は、手のかかる弟妹のことを話す兄のようにやわらかい表情をしていた。
「けど仕方ねぇよ。斬り落とした途端に分裂するなんて、誰も思わないんだから」
それは、あの常夜祓いの翌日には皆に共有されたことだった。瀬藍が桐江と共に他の仲間達から分かれた後、真後ろから妖を追っていた四季華と朱火はその姿を捉えていた。
彼の片鎌槍が確かに真っ二つにしたかと思った途端、2体に分裂して1体は更なる速さで離脱、もう1体は攻撃的になって襲いかかるように。逃げ去った方が本命だと見た四季華はそちらを追い、残る朱火と合流した桐江に凶暴な方の相手を任せた。瀬藍が離れた後の桐江が四季華と朱火に出くわしたすぐ後に、四季華の槍が妖を捉えたのだそうだ。
こちらの制止も聞かず勝手に瀬藍が離れたのだと桐江が皆に堂々と述べたのを思い出し、瀬藍は肩を縮めた。そんな瀬藍の気持ちを読み取ったように、四季華が口を開いた。
「桐江に何か言われて離れたんじゃないか?」
ぎくり、と固まってから下手を打ったと気が付いた。そろっと四季華の様子を窺うと、四季華は「だろうなぁ」と肩をすくめている。
「あ、あの、桐江には」
「言わねぇから安心しろ。俺が組ませ方を失敗した」
氷槍だったらそんなことしなかったのになぁ、と四季華が頭をかいた。
何だか告げ口してしまったような後ろめたさが湧き、瀬藍はそっと目を伏せる。桐江の言葉に唯々諾々と従った自分だって悪い。それに……、
「でも、四季華に妖から庇わせちゃったのは、やっぱり私の不注意だから」
「予測がつかないのが妖ってもんだ。反省は尽きないが、気に病む必要はない」
死者が誰1人出ていないんだし。そう言って、四季華がからりと笑った。
「でも、私のせいで四季華が怪我を」
留守にしていた仲間達は、未だに四季華が負傷したことを知らないでいる。そうして守られていることが余計に、瀬藍の胸を苦しくさせる。
「あのなぁ」
胸元をぎゅうと握り締める瀬藍に、四季華が歩み寄った。そして、
「この腕を噛んだのは瀬藍か?」
「……。はい?」
怪我をした腕をわざわざ目の前に掲げての問いかけに、瀬藍は間抜けな声を漏らした。四季華はといえば、大真面目な顔だ。
「お前が俺の腕を噛んで、歯を食い込ませたのか? 食いちぎろうとしたのか?」
「い、いや」
「随分と野性的だなぁ。大人しいお前がこんなに立派に噛みつけるなんて兄ちゃんびっくりだぞ」
「や、やってない……!」
さすがに真っ赤になって、瀬藍にしては珍しい大声で全否定していた。はっとして顔を上げると、悪戯っぽく笑った四季華と目が合った。
「ほらな。噛んだのはお前じゃないだろ?」
「……」
そう言われては、何も言いようがない。狐面衆に入ってから分かったことなのだが、四季華は思いのほか、こうして丸め込むのが上手い。
「お前が反省しているのは、充分に分かってるから。そもそも怪我をせずにお前を助けられなかった俺も悪い」
妖の動きがあんまり速くて、呪符も槍を投げるのも間に合わなかったんだよなぁ。四季華が愚痴るようにぼやく。
「だから、お互い頑張ろうぜ。な」
ぽん、と。瀬藍の頭の上に、軽めに手の平が載せられた。そのままぽん、ぽんと、2,3回軽くその手が跳ねる。幼い頃もほんの時たま、憧れのお兄ちゃんはこんな風にしてくれた。瀬藍はあの時と同じように目を細め、自然とうなずいていた。
「……うん。私、頑張る」
「その意気だ」
照れくさそうに微笑む瀬藍に満足そうに笑うと、四季華は瀬藍から手を離した。
「あぁそうだ、これを渡すのもあってここに来たんだった」
「これ?」
四季華が藍色の着物の袖から取り出したのは、笹にくるまった何かだった。
「おにぎり。お前、どうせ稽古に集中してて全然食べてないだろう」
「え……でも、そんな」
「せっかく握ったんだ。食べなさい」
「えええ」
確かに狐面衆の食事は当番制で作るので皆料理をするが、四季華からわざわざこんな風に差し入れをもらうなんて。
自分なんかにもったいないと1歩退きかけるが、その前に四季華に無理矢理握らされてしまった。
「そんな、悪いよ」
「じゃあ、俺が怪我した時に武具の手入れを代行してくれた礼だと思って。な?」
確かに桐江から遅れて四季華と朱火の分の道具類をよこされたので、それらも手入れをしていた。しかしそれは、自分のせいで怪我をしたのだから当然のお詫びだと思っている。
「いいんだいいんだ。お前の手入れは丁寧だから、正直今回ばかりはさぼれてよかった」
四季華の飾り気のない物言いに、瀬藍は思わず吹き出した。
「そういうわけだからさ。しっかり食いなさい」
そう釘を刺して、四季華は離れて行った。木々の間に紛れ込み、やがて完全に見えなくなる。
そこまで見送ってから、瀬藍は笹の包みをそっと開けた。中には、三角のおにぎりが3つ並んでいる。瀬藍は思わず、ほろりと笑みをこぼしていた。
「……多いよ、四季華お兄ちゃん」
少食の瀬藍には、骨の折れる量ではあったが。胸が確かにほうっと温かくなるのを感じ、瀬藍はそっと笹の包みを閉じた。
――自分があと数日の内に狐面衆の一員じゃなくなるなんて、思いもせずに。
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