第2話 セラピーに行ってもストレスの原因は無くならない

10:48,10,26,A.C.2028




 スリーロードリバー橋工業地帯側




 男は呆然としていた。


 ニューヘブンポリスに駐屯している、ダリウス合衆国地上軍第5方面軍第16統合軽装甲旅団に所属するアレックス・マッケンジー上級少佐。


彼は散らかった兵器の残骸、警官隊や合衆国軍に対し、勝手に指示を飛ばす褐色巨乳の銀髪女に対してどう対応をとれば良いのか、2011年度地上軍士官学校卒業成績順位第117位の灰色に染まった脳細胞がフル回転で悲鳴を上げていた。


(アァ終わった。俺の今年の休暇終わった。一体俺が何をしたというんだ。神よ)


 アレックスの脳内には1時間半前からの状況がフラッシュ・バックしていた。


 当日の朝、市内にある統合旅団が借りているオフィスに出勤途中のアレックスは窓を開けながら涼しい秋の季節を満喫していた。


 出勤途中の喫茶店でコーヒーとドーナツを買い込み、5年ローンで購入したSUVに乗ってビルの駐車場に車を止め、ビルに入っていく。


 途中旧式アンドロイドの警備員が正面玄関のドアを開き、すぐ側の入館証を読み取りパネルに翳す。


エレベーターに列は無く、そのまま自分の個室がある7階まで上がり、部屋の前で生体認証スキャンを受け、「本日の入室を確認致しました」との機械音声がどこからとも無く発せられる。


 そして、お待ちかねの高性能反発素材で出来た安楽椅子だ。経理部に無理を言って購入して貰って本当に良かった。


 ドカッと腰掛けると心地よい反発が肩と腰に跳ね返る……コレだ、コレなのだ。多少出世コースから外れようがこの時間には代えられない。


 コーヒーを啜り、ドーナツを頬張ろうとしたその瞬間、端末からの呼び出し音が鳴る。不届きな奴だ。


この優雅な時間にふざけたマネをしやがって。廊下でひたすらシット・アップをさせてやろうか? そう思いながらせめて給料分の仕事だけはしてやろうと端末の応答システムに許可を出す。「出せ」


 部下の胸から上が空中に投影された三次元モニターに出る。


「ガデス大公国製の軍用兵器が暴走して市街地に被害が出ております。現在市の警官隊が対応しておりますが、このままでは持たないと思われるので至急ご命令をお願い致します。上級少佐」


「……少佐! 上級少佐!」


 呼びかけられハッとする。


 呼びかけて来たのはヴィスリング技術中尉だ。


 エメラルド色の目と薄赤い髪とソバカスが特徴の女だ。


「これから市警察の科学捜査班と技官でタスクチームを組み、兵器の残骸に対して現場での検証と解析を行いたいのですが、方面軍司令部に対して許可を取り付けて頂けないでしょうか?」


 一見ごもっともな意見に聞こえるが、この女は出世欲が強い。


手柄を立てて昇進したいのがミエミエだ。俺を取り次ぎ係だとでも思っているのか? これだから戦場を知らない軍大学出身の若手エリートは嫌いだ。


 しかし、ここで合理的な理由もなく技術部の提言を断れば間違いなく事態が拗れるだろう。


俺は許可を出す。どうせ直ぐに許可は出ないし、ポリティクスが絡む問題だ。


人員も国防省から直接派遣されるだろうし、この女の思い通りには土台ならない。


「了解した。直ぐに方面軍司令部に取り次ぐ。新しい命令が降りるまで現場の保全に努めろ」


「り、了解いたしました。少佐」


 直ぐに許可が出ると思わなかったのか否かは分からないが、声が上擦っているぞ。上級をつけろ上級を。


 そして俺はもう一つの「難物」の相手をしなければならない。そして異国の軍服を着た銀髪の女に対して向き合う。


「ご協力感謝致します。えーっと……」参った。名前を聞いた事ないぞこの女。


「マーヴェリックだ。ジアース調停機構にイルミナ連邦軍から派遣されている」


 聞く前からなんとなく分かっていた。もう嫌だ。外交案件か? 外交問題か!? 


「調停機構はこの件を調停機構本部預かりにする事をダリウス合衆国政府に『提言』した」


 ん? 


「そして本部からはD-297条が発令された」


「でぃーにひゃくきゅうじゅうななじょう?」 


「調停機構管理都市の全区域の行政権・司法権の機構への全委譲と駐留する全ての軍に対して調停機構本部危機対応局の人員で構成されたチームが指揮権を持つ。これは条約で決められた範囲の行動だ」


「つまり貴方達は私の部下になる」


 そういう事か。通りでタメ口を聞いてたワケだ。


「で、具体的には何をすれば宜しいのでしょうか? 指揮官様?」


 負けてなるものか。悪いが俺の休暇はアンタらの思い通りにはならない。セラピーには通いたくないんだ。


「ガデス大公国軍の駐屯地から干渉移動ゲートに繋がるルートを地下地上問わず全て封鎖して欲しい」


 負けた。戦争の準備だ。



11:14,10,26,A.C.2028


 ガデス大公国軍ニューヘブンポリス駐留司令室



 ヴィトゲンシュタイン大佐は自慢の精巧な指の1本1本から一気に複数のマニピュレータを出し、本国に送る報告書を入力していた。


軍用兵器暴走の件、そして調停機構本部から派遣された人員に関して収集した簡潔な情報を纏め送信し、本国の指示を仰がなければならなかった。


 彼は本来事務屋で専門は陸上輸送だったがこの地では久しく戦争状態になく、また紛争の発生するリスクも極めて低いとの参謀本部の判断と司令官に必要な階級を持っている事から現地司令官に任命された。


 他の機構管理都市に駐屯している司令官達も一部を除いて似たようなものだ。


 武闘派の人材達は軒並み自分達の世界であるヴェルトに侵攻して来た対ゲオルギエフ帝国戦線に宛がわれている。



「フゥ……ため息しか出ないな」


 軍が雇っている傭兵部隊の隊長であるカルロスに対して呟く。先程から長時間全く瞬きもせずこちらを見据えている。この男が義体化率の高い戦闘サイボーグである事は明らかだ。


 カルロスが口を開く。


「大将。何が起きるかまだ分からない内にため息をつくのは禁物ですぜ。溜息は油断の証左だ。後、市街地に潜ませせている部下との連絡が取れない。恐らく市街地エリアの大半に通信封鎖がかけられてる。秘匿暗号通信ですらダメでさぁ…」


 この男は司令官である私に対しても重要な事を言わない時がある。


詰問すると決まって「聞かれなかったから」などと嘯く。不誠実な男だ。


歴戦の傭兵だと聞くが所詮対帝国戦線での戦にあぶれてこっちに来たのだ。信用には値しない。


 彼は続ける。


「本国か他の管理都市に逃げるなら今のウチですぜ。近いうちに駐屯地から市街地に通じる道は封鎖され、ここは包囲される」


 大佐はすぐに反論した。


「敵前逃亡、ましてや戦闘すら起きてないのに勝手な判断で早期撤退するなど軍法会議での極刑は免れ得ない。現時点での全面撤退は有り得ない」


「先程専用回線で送った報告書を参謀本部が判断し、暫くすれば対応すべき内容が送られてくる筈だ。慌てなくても大公国有数の頭脳集団が正しい判断を下すに違いない」


 ヴィトゲンシュタイン大佐は畳みかけた。


 一方のカルロスは苛立っていた。


 その頭脳集団とやらが正しい判断とやらを下す保証は何処にあると言うんだ。


それに現地の軍が軍法を守っているかどうか等、軍情報部が個々の義体に監視用マルウェアでも仕込んでない限り分かりなどしない。


後で口裏を合わせれば良いだけだ。


 ここに派遣されている情報部の青瓢箪はどさくさに紛れて捻り殺しておけば違法行為が漏れる事もない。適当にでっち上げれば良い。


 恐らくここまで残留に拘るのは他の管理都市や植民地に駐留している将校との出世レースや、「機族」とその私兵軍に対する自分の体面を保ちたいだけではないのか?


 これだから軍官僚と仕事するのはイヤなんだ。


 カルロスは故郷の南ガデスに帰りたい気分になっていた。


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