第25話
……。
恐らくコト姉の彼氏を見たのは初めてで、だからといってどうと、言ったこともない。
それは元々知ってたことだし、コト姉が幸せならそれで良いって思ってる。
だから、この胸が押しつぶされそうな感覚も、鼻の奥がツーンとする感覚も、きっと、このバカみたいな低気圧のせいなのだろう。
イヤホンをつけると、2回タップする。
暴れるドラムを聴きながら、黒いアスファルトの上を歩く。
水溜まりに浮かぶ油膜が、なんだか悲しく見えた。
……最近、お兄さんの元気がない。
普段からあまり表情が多い方ではなかったけど、最近はずっと冷たい無表情のまま。
1週間ぐらい前からずっとそうだった。
たぶんって言うか、感って言うか……。おそらく深緑先生のことなんだろう。
先生と喧嘩をしたのか、それとも、それ以外で何かあったのかは、分からない。でも、確実にお兄さんは深緑先生のことで落ち込んでるのは目に見えていた。
抜けた表情でお弁当を持つお兄さんが目に入る。
「お兄さん今からお昼?」
「あ、うん、今から飯」
「そうなんだ……もし良かったら」
「誘ってくれてありがとう、でも、今日は一人で食うわ、ごめんな」
そう言って、背中を向ける。
……。
そんな背中を見てなんだか悲しくなった。
私はお兄さんの恋を応援してる。
でも、それでもやっぱり私以外の女性のためにあそこまで落ち込まれると、なんだか悔しいと思ってしまう。
……。
あぁ、今更意地張っても仕方ないか。
正直嫉妬してる、深緑琴音に。
すごく美人だし、良い匂いするし、大人っぽいって思ってたら、幼い感じで笑うところとか。
本当、同じ性別の人間としてチートすぎる。
それにお兄さんと幼馴染みで、数年ぶりに再開とか、一体何のドラマなんだろう。
もう、いろんな要素を考えても、私じゃ勝てない。
でも、だからと言って、お兄さんに落ち込んでほしいわけじゃない。
だから……。
「あ、いた」
その後ろ姿を見つけて、息を吸う。
お兄さんともう一人、最近表情が暗い人物。
「深緑先生、一緒にご飯食べませんか?」
その背中に声をかける、ぴたりと動きを止めて、ゆっくりとこちらへ振り向く。
「どーしたの、恋瀬川さん?」
栗色の前髪がサラリと揺れた。
「先生のお弁当、女子力高い」
「そんなことないよ、みんなには幼稚って言われるよ? それよりも恋瀬川さんの手作り? 上手だね料理」
そう言いながら。深緑先生はタコさんウインナーを口に入れる。おそらくそれは幼稚なのではなくて、可愛いって意味なんだろうなって思った。
「葵でいいですよ、たぶん恋瀬川って呼びにくいと思うんで」
「え、いいの?それじゃあ、私も琴音先生って呼んで♪」
ふふっと笑うと、白い頬にエクボができる。
きっと、こう言うのを世間は大人と言うんだろう。先程の暗い表情とは正反対の笑顔に、なんだか嫌な感じがした。
「それじゃあ、琴音先生」
「ん? なにかな?」
生唾を飲み込む。こくりと喉が鳴って、胸の奥にソワソワ感が広がって行く。
一度、お兄さんに聞いたこの質問。
琴音先生はなんて答える?
「翔先輩……海野翔先輩のことどう思ってますか?」
その質問に、一瞬顔を引き攣らせる。だけど、すぐににっこりすると。
「んー、学校では生徒、勤務が終わったら幼馴染み、みたいな感じかな〜」
あはは。と感情のない声で笑った。
「……」
あぁ、なるほど。大人っていうのは本当に誤魔化すのがうまい。
でも、私が聞きたかったのは、そう言うことじゃない。琴音先生がお兄さんの事を好きなのか、好きじゃないのか。
琴音先生の、お兄さんに対する気持ちを聞きたいんだ。
だから……。
「でも、翔くん時々」
「先生」
琴音先生の言葉を途中で遮る。
驚いたような顔をこちらに向ける琴音先生。私は小さく息を吸うと、言葉を吐き出す。
「琴音先生は、翔先輩のこと好きですか?」
大人っぽくて、美人な琴音先生。
そしてお兄さんの初恋の人。
もう、私がお兄さんと結ばれることは、ないかもしれない。
でも、もう負けでもなんでも良い。
この質問に対する答えによっては、やっぱり私、応援したくない。
少なくとも、絶対にお兄さんにだけは不幸になって欲しくない、そう思ったから。
……。
ごめんね、お兄さん。私、嫌な女だね。
第25話 大人
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