第六章ーThis is my life, This is my story.ー

第156話 ゴリラは褒め言葉ですよ?

 本番では仮想現実の映像が投影される。

 その映像は鋭意制作中なので、まだこちらに届いていない。

 だから練習は全てイメージするしかない。


 私は真宵アリスとして不思議の国のアリスを演じる。

 簡単なストーリーは頭に入っている。流れる映像がわからなくても曲は完成している。全体像や秒感覚は把握できた。

 曲の歌詞から想像を膨らませる。物語の内容と照らし合わせて、歌に乗せる感情の強さを調整する。加えられるだろう必要な演出を逆算して、歌いながら演技プランを練っていく。


 デビューから一周年として、二つの記念楽曲を発表することになった。

 この一年の集大成だ。

 一曲目はとても真宵アリスらしい曲でタイトルは『全力暴走ガール』。キャラクターソングに近いかもしれない。

 歌手として活動してきたが、実はこれまで真宵アリスのキャラクター性を前面に出す曲はあえて作られていなかった。

 作曲家の性根が捻じ曲がっているから……ではなくプロデュースの問題だ。

 普段とは違う内面を引き出す。技巧を凝らした曲に挑戦して、表現の幅をアピールする。曲で私のイメージを固定させない。それが虹色ボイス事務所の方針だったらしい。

 デビュー曲でキャラクター自身の個性を出すと、その一曲でイメージが固定化されてしまう。一度イメージが定着すると覆すのが難しい。活動の方向性を狭めてしまう。VTuberとしては問題ないが、本格アーティスト路線を目指すならば避けたかったらしい。


 そして現在練習しているのは二曲目。

 タイトルは『Alice』。不思議の国のアリスを模した私の物語が描かれている。

 完全にイベント用。普段は歌わない。仮想現実の作り込んだ映像を用いるので、設備の都合で歌えないだろう。振り付けも演出も凝っている。歌唱ではなくミュージカルに近い。

 曲自体も映像がある前提なので、日常的に聞くタイプではない。再生数も伸びないことが予想される。

 それでも記憶に残る特別な楽曲だ。やる価値がある。一周年の記念のために『これが真宵アリスだ』と知らしめる目的で制作されたと聞かされた。


 二曲とも実はかなり前から準備はされていたらしい。

 発表の時期をずっと見計らっていたのだとか。

 虹色ボイス事務所の本気度がわかる裏事情だ。大人の事情ともいえる。期待が重く、失敗は許されない。でも月海先生からは「いつも通りやれ」とのありがたいお言葉を頂いた。

 先生がそう言うならば私は気にしない。

 伸び伸びできることをさせてもらう。


 一周年を祝うならば、個人的には三期生全員で歌う全体曲がよかった。しかし、全員が十分なクオリティを確保するにはまだ準備不足だ。全体曲をやるならば中途半端なモノは表に出せない。全員が誇れる楽曲の完成を目指す、と諭された。

 セツにゃんからは「私達は次のアニバーサリー祭までに仕上げます。そんな私達が奮起するようなアリスさんの全力をお願いします」と力強く後押しされた。

 セツにゃんの気合が十分に伝わってきた。その妙な力の入り方に次回のアニバーサリー祭が不安になったが気にしない。凄く間違った方向性で完成度が高まる予感しかしないが、未来のことに気を取られてはいけないのだ。

 私は今を全力で歌う。

 そんな意気込みでやり切ったのだが。


「――どうでしたか?」


「うーん」


 今できる全力を出し切った。それなりの自信と手応えがある。

 でも月海先生の反応ははっきりしない。

 いつもならばダメなときはすぐにダメだしされる。この反応はどうも困っているようだ。


「……ダメでしたか?」


「歌は問題はない。演技もいいと思う。……けど」


「けど?」


「やっぱり『Alice』は私の専門外」


「専門外ですか?」


「ミュージカル色が強いし、この部分は歌唱ではなくセリフとして感情を込めて演技して。……とか私には言えない。歌い方はともかく演技指導とかは演出家の領分だからね」


「なるほど」


 ミュージカル風の楽曲の評価は月海先生も難しいらしい。

 月海先生の様子から歌唱は本当に問題なかったようだ。けれど映像もできていない段階で感情の込め方など、演出部分に口出しできないのは納得だ。


「演出家は月海先生じゃないんですか?」


「残念ながらこの楽曲に関しては違うわね。アリスも面識があるはずよ。男性の方だけど」


「……男性」


 私に男性の指導者がつくことは今までなかった。

 演技ならば一期生の先輩方に相談に乗ってもらうことも多いが、さすがに演出指導まではやってもらえないらしい。

 それにしても私が面識のある事務所の男性とは……。ふと脳裏によぎるツルツルな足。


「まさか島村専務!?」


「……なぜそこに行きついたのか謎だけど違うからね。島村専務も色々忙しい人だし」


「そうですか。できそうな気がしたのでつい」


「……確かにできそうな気がするけど」


 安心した。

 足がツルツルな女子高生の制服着用の年配男性に指導されるのは避けられたようだ。あれからもメンズエステは欠かしてないらしい。


「でも当たらずとも遠からず」


「誰ですか?」


「着ぐるみパジャマ先生」


「なるほど着ぐるみパジャマ先生ですか。ん? ……男性? だんせい……そういえばあの人は男の人!?」


「その反応はまさか今の今まで男性と認識してなかったとか?」


「着ぐるみパジャマ先生のことは、違う分類で認識してました」


「違う分類? まあいいわ。……とりあえず苦手意識なさそうね。どういう分類かは気になるけど」


 とうとう私も着ぐるみパジャマ先生の指導を受けるらしい。

 ダンスに演技に振り付け。ブロードウェイ仕込みか海兵隊仕込みか謎の先生の指導だ。出身も生態も謎に包まれているけど評判はいい。

 共演経験のあるミサキさん曰く生粋のエンターテイナーだとか。


「この曲に関しては着ぐるみパジャマ先生が適任なのよ。あの人も少し前から正式に虹色ボイス事務所所属だからね。私みたいに部門のトップの据えられたばかりなのに、さっそく先日のアニバーサリー祭配信でも大活躍だったし」


「部門のトップ? うちに着ぐるみ部門なんてありましたか?」


「先端技術部門のトップよ」


「えっ!?」


「あの人は元々外部技術員というかエンジニアね。ずっと虹色ボイス事務所と技術提携していて、専門は仮想現実。あのシリコンバレーにもいたらしいわよ」


「まさかインテリジェンスなITゴリラだったんですか!?」


「ゴリラ言った!? 今はっきりと着ぐるみパジャマ先生のことをゴリラ扱いしたよね!?」


「ゴリラは誉め言葉ですよ?」


「……そんな目を泳がせながら誤魔化されても」


 まさかのシリコンバレー。肩書増加の驚愕につい本音が漏れた。あとハリウッドが追加されれば全米制覇する勢いだ。アメリカを越えてインドのボリウッドでダンスを極めていても驚かない。

 着ぐるみパジャマ先生は私が思い描く仮想敵ゴリラのイメージにピッタリなのだ。初めて遭遇したときの着ぐるみもシルバーバックだったし。

 それにしてもまさか着ぐるみパジャマ先生がシリコンバレーに巣くうITゴリラだったとは。シリコンバレーに具体的なイメージなんてなかったけど、一気に密林の谷になってしまった。


「まあいいわ。現在制作中の映像の全てを把握しているが着ぐるみパジャマ先生。だから演出家に適任ってわけ。ちゃんと指導を受けなさいよ」


「はい。着ぐるみパジャマ先生ならば大丈夫です」


 着ぐるみパジャマ先生は男性と認識できないので緊張しない。

 そういえば先日レアバージョンと遭遇した。

 実はあの着ぐるみはバッテリー内蔵で冷暖房完備のハイテク装備らしい。レアな着ぐるみは全ての毛が発光し、虹色のグラデーションを描くゲーミング仕様になる。

 暗闇の中で虹色に輝くゲーミングゴリラはまさに無敵のスター状態。勝てる気が欠片もしなかった。

 先端技術部門のトップも納得だ。

 私も光り輝くゲーミングメイド服を制作すべきかもしれない。


 私がゲーミングメイド服を検討していると、月海先生がわざとらしく私の顔色をうかがってきた。根が真っ直ぐな人なので、相変わらず腹芸があまり得意ではない。

 この様子は氷下天使先生を私に紹介したときに似ている。つまり自分でも乗り気ではないことを、私に提案しようとしているのだろう。


「アリスはスタージャムってテレビ番組を知っている?」


「スタージャムですか? 知りません」


「やっぱり知らないか。地上波ではなくネットテレビの配信番組ね。音楽関係者の評価は高いんだけど、一般的な知名度は低い。内容は一組のアーティストに密着してドキュメントを交えながら、好きにライブしてもらうだけ。番組製作者のこだわりが強すぎて予算もかかるし、番組の長さも安定しないから扱いづらい。今では一年に数回配信するぐらいの頻度だし」


 月海先生が早口で説明してくれている。

 口ぶりからその番組の大ファンというわけではないが、一定の評価はしているようだ。ただ奥歯に物が挟まった口ぶりから察するに。


「その番組制作者とお知り合いですか?」


「……よくわかったわね。私達がまだバンド活動していたときにお世話になった人なのよ。音楽好きというか音楽狂いでね。当時は地上波の歌番組を担当していたんだけど、こんなので音楽の魅力を伝えられるかとネットに転向してね。本当にこだわりが強くて採算度外視だから常に赤字。でも内容はいいし、支持者も多いから番組制作が続いているみたいな?」


「その人がなにか?」


「……真宵アリスに出演依頼が来ているのよ。時間は短くてもいいからって」


「ネットテレビの番組に出演ですか」


 まさかの配信外の活動のオファーだった。

 マネージャー経由で今までもなかったわけではない。アニメのお仕事もやった。でもネットテレビとはいえ虹色ボイスのチャンネル以外での出演は初めてかもしれない。

 でも月海先生の様子からただのオファーではなさそうだ。


「先方は真宵アリスのリアルの顔出しを希望」


「え……?」


「もちろんアーティストとしての真宵アリスを高く評価してよ。虹色ボイス事務所はリアルの顔出しについて甘いし、真宵アリスがリアルの姿で生歌唱すれば話題に……ってなし! この話は断るからその宇宙ネコみたいな目はやめて! 死んだ目よりキツい! 乗り気じゃないのはわかったから! 普段から無表情なのに目で芝居するの上手すぎない!? 宇宙の背景が見えたんだけど」


 私がなにも言わなくても引いてくれた。

 さすがは月海先生である。少し虚空を覗いただけでわかってくれるとは。宇宙ネコの目は虹色ボイスの異次元チャンネルを見ながら、最近習得した特技だ。


 この日のレッスンはこれでお開きとなった。

 月海先生が最後に漏らした言葉を、私は気にも留めず帰路についた。

 聞こえてはいたのだが。


「……やっぱりリアバレは拒絶するよね。大事な時期だから上手く対応するように言わないと」


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 作者からの連絡。

 ダメな人はスルーしてください。読み飛ばし推奨です。

 重要なことは書いていないですし、私も読専の頃は飛ばしていました。


 そんなわけで最終章スタートです。

 不穏な終わり方ですし、不穏な展開はありますが、不穏なことにならないので安心してください。

 事務所と一部の人が阿鼻叫喚になるだけです。


 応援や評価★お待ちしてます。

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