第143話 休憩時間の裏話⑥-ない組が胸を張って語れること-
懺悔を終えたあと、キツネ先輩は大きく伸びをした。
天井を見上げたまま笑っている。
「足掻いてみたら気づけた。ウチはずっと最高の仲間と先輩に囲まれていたんや。今は最高の後輩もおるな。なあアリスちゃん。ウチらの初対面を覚えているか」
「事務所の休憩室でした」
「そや。あのときウチが大声出してアリスちゃんを驚かせた。それを他のメンバーに咎められて謝罪したやん」
「そうでしたね」
「あれもあいつら計らいやねん。あそこで遭遇したんは偶然や。だけどあいつらはウチがずっと謝罪したいことを知っていた。無意味な謝罪やと止めてもいた。謝罪するだけ迷惑。それがわかっていたから、あのとき謝罪させたんや。どんな形でも向き合って頭を下げる機会をウチに与えるために」
「あの謝罪にはそんな意味があったんですね。……全然気づきませんでした。てっきり集団芸だとばかり」
キツネ先輩は私の発言が面白かったのか「集団芸」と反芻した。
「ぷっ……集団芸……集団芸か。ウチは結局、自己満足にしかならない謝罪をアリスちゃんにしてしまったな。ただあいつらは最高の仲間やねん。わかるやろ」
「はい」
「ウチは今も変わらず胸を張って自分の夢を語れない組や。でもな。仲間のことやったら胸を張って語れる。先輩のことも語れる。もちろん後輩のことも語れる。仲間を助ける為ならすぐに動く。もう迷わへん。そんな風に変わった。足掻いたから変われたんやウチは。だから最近は自分のことをそれなりに好きになれた」
真っすぐに。晴れやかに。
胸を張ってキツネ先輩は語った。
「あのとき足掻くことができたんはアリスちゃんのおかげや。足掻いてくれてありがとう。VTuberになろうとしてくれてありがとう。どんな理由でもええ。アリスちゃんが足掻いてくれたから、今のウチになれた。ウチが変わらんでも、ヴァニラは復帰していたかもしれへん。でもウチは虹色ボイス事務所を去っていたと思う。きっと今も変わらず腐ったままやった。足掻くこともせずにな。だからこれは二期生としてやなく、ウチの個人的な感謝や。ホンマにありがとうな」
これはズルい。
足掻いていた。ずっと足掻いていた。自分でも無様だとわかっていた。
一番弱い時期の私の無様な足掻きを肯定してくるのはズルい。
「アリスちゃんはウチのヒーローやねん。いや性別考えたらヒロインが正しいんか? でもヒロインは助けられるイメージあるからな……うんアリスちゃんはヒーローや。せやからもっとウチを頼ってな。ヒーローに頼られるのは嬉しいことやから。ウチが頼りないなら一期生の先輩方や二期生の仲間でもいい。アリスちゃんはもっと周りに我がままを言ってええね……ん?」
「――グスッ」
「え? ……え? なぜ泣いてるん? ウチが泣かしたん?」
「……ばい」
「えーと……あかん、配信用の衣装やからハンカチ持ってない。他のメンバー呼んで……いやこんなとこ見られたら――」
キツネ先輩が混乱している。
しかし涙なんて急に止まらないもので。
「――あーーーーーーーっ! ツネがアリスちゃん泣かしてる!」
「カレン! たすけっヘブ!」
「後輩を泣かすとはこの人でなしがっ! 見損なったぞ! レバー! レバー! てっちゃん! こてっちゃん! ミノ! ハチノス! センマイ! ギアラ! ハラミハラミハラミ!」
「これにはわけが……ってボディーブローすな! 適当にホルモンの名前言うなっ! ひゃっ! 脇腹はやめろいつも言っとるやろ! 人間に胃は四つないし、ハラミは横隔膜で脇腹ちゃうねん!」
怒涛のような紅カレン先輩の攻撃に圧されて、キツネ先輩が遠ざかっていく。
私は啞然とするしかない。涙も驚きで吹き飛んだ。
カレン先輩から遅れて、碧衣リン先輩と黄楓ヴァニラ先輩がやってくる。
ヴァニラ先輩からハンカチを受け取った。
「アリスちゃん大丈夫?」
「はい……じゃなくて誤解で!」
「ごめん盗み聞きしてたから知ってる」
「えっ?」
「カレンのあれは場の空気を変えるためのパフォーマンスだから」
廊下の端からカレン先輩の怒号が聞こえてくる。
「エイドリアーーーン! 仇取ったるからな! マスコミにリークして虹色ボイス事務所所属のVTuber翠仙キツネが後輩イジメ? のニュースがトップページに載り、SNSのトレンドになるようにしてやる!」
「まだローキーネタか! あとそれは本当にやったあかん奴や!」
「……リンちゃん止めてきて」
「了解」
リン先輩が仲裁に行く。
なぜか竹刀を持って。
竹刀?
――バチンッ!
「あぶなっ! マジで叩きに来るなや! 誤解や言うとるやろ!」
「リンちゃんどうして私まで! 振りがマジだよ!」
「大丈夫。みね打ちだから」
「竹刀にみねないやん!」
「実はある」
「あんの!?」
「剣道ルールでみね打ちだと一本にならなかったりする。ただ痛さは変わらない」
「ならあかんやろ!」
「問答無用。ゲームで撃たれた恨み。ここで晴らさでおくべきか」
「私は本当にとばっちりだ! 逃げるぞぉー!」
私はヴァニラ先輩の顔だけを見る。
バシンバシンしなる音がする。廊下の奥が怖い。見てはいけない。
「師匠はどうして竹刀を?」
「……実はさっきのゲームでアリスちゃんに、一太刀も浴びせられなかったでしょ。それが地味に悔しかったみたいで、ずっと素振りしてたの。気が高ぶっていたのね。よし私は全員を止めてくる。だからアリスちゃんはあっちを対応して。頼りにしているから」
ヴァニラ先輩はそう言い残して、今度こそ仲裁に行った。
ハンカチを残して。
なんだったのだろう?
盗み聞きされていたのはわかった。話に集中しすぎて、周囲への警戒がおろそかになっていたようだ。
あっち。
ヴァニラ先輩の言い残した言葉に従うと、他にも盗み聞きしていたメンバーの気配が三人……いや四人いた。
そのうちの一人が私に向かって走ってくる。セツにゃんだ。
「アリスさん! 助けてください! 緊急事態です!」
「緊急事態? うん……うん? 行くけど」
流されるままについて行く。
もう盗み聞きを咎めるべきなのかもわからない。
セツにゃんに手を引っ張られて廊下の角を曲がる。
そこには弱り切った表情のリズ姉とミサキさん。
この二人がいて対処できない緊急事態とはいった……いっ!?
……これは駄目だ。
一目見てわかった。
人生経験の浅い私には対応できない。強敵過ぎて、手に負えない。
事情が事情だけに私では荷が重い。
白詰ミワ先輩が廊下の床にへたり込んでいた。
のの字を書きながら、わかりやすく落ち込んでいる。
「――響かない。私の言葉は響かない」
「えーと……」
助けを求める。
セツにゃんは期待した目で私を見ている。
リズ姉とミサキさんは目をそらす。
盗み聞きを咎めて、この場から逃げるべきか。
落ち込んでいるミワ先輩にそんな酷なことはできない。
メイドロボな私にも人の情はある。
聞いたばかりのキツネ先輩の言葉が、次々と頭の中を駆け巡った。
一期生の先輩方の笑顔を曇らせてはいけない。
私は決意する。
勇気を振り絞って選択するのだ。
「あのミワ先輩!」
「なにアリスちゃん。後輩に話を流されるだけの先輩になにか用?」
「うっ……確かにあのとき私はミワ先輩の言葉を流してしまったかもしれません。それは受け止めきれない私が未熟なだけ。ミワ先輩は悪くない」
「それで?」
「私は未熟です。今も未熟です。気の利いた言葉の一つも言えません。でも! キツネ先輩なら言えます! 落ち込んでいるミワ先輩を立ち直らせることもできるはずです! キツネ先輩なら! ついさっき先輩達に頭を下げたいと言ってましたし!」
丸投げを!
「アリスさんが丸投げした」
「見事に責任逃れしたね」
「……アリスちゃんがキツネ先輩を売った」
人聞き悪い! だってさっき頼っていいと言われたし!
固い決意でぶん投げます。
「ぷっ……はははははは!」
「えっ? ミワ先輩?」
落ち込んでいたはずのミワ先輩が急に笑いだした。
颯爽と立ち上がり、衣装をパンパンと弾く。
「うん合格。自分で対処できないなら、それでいいのよ。あー必死になってて面白い。この状況でキツネちゃんに丸投げできるなら大丈夫ね。いい感じに肩の力も抜けているみたいだし」
もしかしてわざと落ち込んだ振りをしていた。
そんな疑念ににっこりと答えが返ってくる。
「私も後輩に響く言葉を持たないとね。そこは反省。でも今日はキツネちゃんをとことん弄り倒すことにしたの。楽しみね。落ち込んでいる場合じゃないのよ。かつての虹色ボイス事務所最大の問題児! 翠仙キツネの悪行が配信で白日の下に! ってね。それぐらいしても今のあの子なら大丈夫でしょ」
どうやらキツネ先輩の命運が決まったらしい。
私が売り飛ばしたから。……ではなくキツネ先輩への信頼の証だ。きっとそう。私のせいじゃない。たぶん大丈夫。
今の私には決定を覆す力もなければ、助けることも不可能だ。
いつか立派な大人になって報いよう。
そう決意して残っていたドラゴンブレイクを飲み干した。
少し温くなって甘ったるいが悪くない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます