第141話 休憩時間の裏話④-受け売りの言葉-

「まだ今年のアニバーサリー祭はまだ終わってないけどな」


「そうですね」


 わずかだが、時間は残されている。

 今。このとき。この現場の光景を。仲間の表情を目に焼き付ける大事な時間がまだある。


「話を戻すで。去年のアニバーサリー祭は事務所として薄氷を踏むような成功やった。破綻はしてないけど危うい。参加者としては失敗しなかっただけ。……ウチは去年よく考えてたんや。これから先どうすんねんやろ? 一年後は続けているかわからない。二年後は辞めているやろな。三年後なんてもう想像もできひん。そんなことを延々とな」


「辞めている!?」


「もちろん今は違うで。一年後は当たり前のように今と地続きで活動してる。二年後はもっと活動の場を広げている。三年後なんて色々やりたいことがあり過ぎて想像できひん。そんな風に変わったんは三期生がデビューしたあとの話や」


 暗い未来と明るい未来。

 心境が正反対に好転している。わずか一年。たったの一年。なんとも激動の一年だ。

 それは私も同じ。一年前の私に今の私は想像できなかった。


「一年前のウチは腐ってたし弱ってた。なあアリスちゃんから見て、今のウチの背中は立派に見えとるか?」


「はい。いつも明るく堂々としていて立派です」


「そう見えているんやな。よかったわ。ウチは一期生の先輩方の背中が眩しすぎて、目を逸らしたからな。気にかけてもらっていたから甘えてたんや。『先輩らは立派ですね』と噛みついて、ミワ先輩に『よかったわ。先輩として立派に見えるなら後輩に見栄を張れている証拠だから』って返されてな。後輩ができた今なら、言っている意味も理解できるんやけど」


「後輩に見栄を張っているから立派に見える?」


 実力と実績を兼ね備えている。だから立派なのではないのだろうか。

 先輩方はいつも自然体だ。

 見栄を張っているようには見えない。


「おっ! やっぱりアリスちゃんも理解できひんか。当時のウチはその言葉にイラっとしてな。『アンタらは人気も実力も自信もあるから立派やねんやろ』って言い返してん」


「ミワ先輩にそんなことを!?」


「言った言った。……相当追い詰められてたんやろな。惨めになってその場から逃げたわ。先輩の言葉が自慢に聞こえた。アリスちゃんみたいに、はぐらかしもできなかってん」


「えーと……私ははぐらかしてますか?」


「同じ胸を張って夢を語れない組を侮ったらあかんで。アリスちゃんはミワ先輩の言葉を流してたやん。アニバーサリー祭の方針を決める会議で。夢を抱いたならばすぐに自分のできることをしろって奴」


「立派なお話だと思いましたよ」


「うん立派や。しかし、その立派な言葉を素直に受け入れられへんのがない組や。努力するための熱量がない。その夢が抱けない。だからあの言葉はウチらには響かへん。響かなかったからアリスちゃんも『友達に伝えておきます』って流したんやろ」


「そう……だったのかもしれません。自覚していませんでした」


 響かない。

 なるほど。言葉の意味はわかる。立派だと思う。見習わなければと心に書き留める。

 でも心には響かない。

 この人は即座に動き出せるほどの熱量のある夢が抱けるんだ。そんな羨望が勝ってしまった。

 ミワ先輩の言葉が悪いわけではない。

 言葉を受け入れる器が私にないだけの話。


「ない組に響く言葉はもっとシンプルや。『足掻け』。これだけでええ」


「足掻けですか?」


「ウチらは空っぽの自分が嫌いやろ。でも追い詰められな動かへん。どんな言葉をかけられようと動かれへん。それでも追い詰められたときに動けなあかん。動けなかったら全て諦めることになる。暗い部屋の中で一人苦しむんや。惰性と無気力と焦燥。全てが恐怖になって襲いかかってくる。そこで足掻けなかったら押し潰されるだけ。アリスちゃんならあの恐怖がわかるんちゃう?」


「わかります……とても」


 暗い部屋で一人動けなくなる。

 呼吸するのも面倒でわざと吸うのをやめる。脳と身体が酸素を求める。苦しい。苦しいのに。その苦しさすら遠い。他人事のように遠いのだ。このまま死ぬのかな。ぼんやりと考える。

 限界が来たから呼吸を再開するのではない。呼吸を止め続けていることすら面倒になって浅く息を吸う。慢性的な厭世観。自分の生すらどうでもいい。自殺衝動すら湧かない。


 心がゆっくりと死んでいく。

 息苦しいよりも生き苦しい。

 無価値の呪いが心と身体を蝕む。

 心の奥底ではずっと『足掻け』と泣き叫んでいる。

 その声に気付いて、ようやく恐怖を感じる。

 私はなにを考えていた?


「せやろな。だから『足掻け』や。目的なんてなくていい。自分を変えたいという衝動に従え。考えるな。言い訳するな。どんな無様でも足掻き始めろ。他の誰かと比べてマシと思うな。それは一時的な誤魔化しや。自己評価零点からは変わらへん。自己評価なんて常に最低やろ。どうせ最低やねん。自分を変えるために足掻くしかない」


 どうしようもない。だから足掻くしかない。

 私もやり方なんてわからなかった。

 家を出た。メイド服を着た。家事に専念した。今までの自分から逃げたかった。別人になりたかった。だからメイド服しか着なくなった。

 変だとわかっていた。でも空っぽよりはいい。目印が欲しかったのだ。常にメイド服を着ている変な子。自分でそう思うことで、自分を見失わないようにした。


「そうせな空っぽの自分に心が潰されてしまう。夢を抱いて突っ走るある組はカッコいい。ない組はカッコ悪くていい。言葉を飾る必要すらいない。足掻け、足掻け、とにかく足掻け。あの恐怖から逃避するためには足掻け。それしかないんや。他者を貶めても自分の喪失は埋まらへん。自分を変える。違う自分になる。そうしないと心が満たされることはない」


 胸がギュッとする。

 足掻いた。迷走した。暴走した。押し潰されないように。恐怖から逃げるために足掻き続けた。その結果が今に繋がっている。そして今も足掻き続けている。

 もしかするとあの恐怖は心の防衛本能かもしれない。

 当時の私は心が呼吸をやめていた。身体よりも長い間、心が息をしていなかった。だから生き苦しくて恐怖したのだ。

 キツネ先輩の言葉が、私の心に響く。

 理解できてしまうから。共感できるから。

 心に響く。


「この言葉はアリスちゃんに響いたか?」


「はい…………はい。ちゃんと響いています」


「ならよかった。この言葉はウチのとっておきの言葉やねん。受け売りやけどな。この言葉があったからウチはお客様から二期生の仲間になれたんや。必死で足掻くこと。その大切さを教えてくれた人には、今も感謝してもしきれんのよ」


「教えてもらった?」


 一期生の誰か。それとも二期生のメンバー?


「真宵アリスちゅうねん。その子からの受け売りや」


「え……私……?」


「直接言われたわけやないけどな」


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