第116話 惨劇の山

「ぶっ!」


「ねこ姉……大丈夫?」


「ゲホッ! うん…ケホ……ズッ…ごめん気管に入った」


「無理に喋らなくていいから。ちょっと拭くもの取ってくるね」


「ケホ……ありがとう」


「山中の方が衝撃映像が連続らしいから、お酒を呑むタイミングには気をつけないと」


「先に言ってほしかった」


 ついに缶ビールを開けたねこ姉。

 肴は炙ったイカでいい。

 干したスルメイカではない。

 新鮮で肉厚なイカにサッと火を通して柔らかく仕上げた一品だ。


 レタスなどの野菜と混ぜてドレッシングで和えると、お手軽シーフードサラダにもなる。

 種類を揃えるなら冷凍のシーフードミックスの方が便利だ。でも海鮮はやっぱり新鮮な方が旨味がある。イカは単品でも十分に存在感と満足感あるのでオススメだ。

 お酒は呑まないが個人的に食感が楽しいので重宝している。


 それにしてもまだ明るいうちからビールを吞んでいいのだろうか?

 この配信は深夜に見るべきだったのかもしれない。


―――――――――


「谷原ルーズソックスブリーフロスト! ブリーフチェーーーンジッ!」


「いやだいやだいやだいやだいやだあそこにもう落ちたく――ギャアァーーーー!」


「中野ルーズソックスゥゥゥーーーーーーー!」


「無理だ! 松村メタボ! 諦めるんだ! ローション山下りに巻き込まれたら助からない! それは一度落ちたお前が一番知っているだろ」


「でもあいつはもうっ!」


 島村専務の静止に足を止める松村メタボ。

 視線の向こうにはローション塗れの滑り台で山の急斜面を落ちて行く中野ルーズソックスの姿があった。

 山の下の方から無情な審判の声が響く。


「中野ルーズソックスブリーフロストッ! ブリーフオールロストッ! 中野ルーズソックスはノーパンにより退場!」


「くそっ! ついに一人目のノーパンだ!」


「……山は想像以上過酷だな。今は銃撃がないから安全だが」


「宙吊りにされた谷原ルーズソックスの救助待機で俺らも動けないですけどね」


「それにしても……長いなルーズソックス」


「俺も同じこと思ってました島村専務」


「宙づりにされてルーズソックスが太ももの付け根まで落ちてくるとは」


「白い色で完全にブリーフと一体化してますね」


 マジマジと観察された谷原ルーズソックスが目を瞑り、木の枝に宙吊り状態で揺れた。

 真っ白い足は揃えられており、水揚げされた巨大マグロのようにも見える。


 山に入ってから散発的に襲ってくる着ぐるみパジャマ先生からの狙撃。

 姿は見えず一方的な狙い撃ちだ。

 先頭を歩いていた島村専務と桂木シックスパックもすでにブリーフ残り一枚。


 おっさんサバイバー達が警戒を強めると銃撃の傾向が変わった。

 動きを支配し、罠に誘導するようになったのだ。

 谷原ルーズソックスは銃撃から身を隠そうと木の陰に回った。死地とは知らずに足を踏み入れた。そこにはすでにローションが撒かれており、足を取られた。そこからさらに罠が発動し、両足を縄で縛られて宙吊りにされたのだ。


 中野ルーズソックスは身を低くくして回り込もうとして、縄で滑り台に引きずり込まれたのだ。

 この滑り台は分厚いウレタンシートを半円状にまげただけの簡易的なモノ。その上にブルーシートを被せてローションを流している。山の傾斜を利用しており、流されたローションのせいで異常に早く落ちていく。

 落ちた先にはブルーシートの池がある。

 中身はもちろんローションだ。一度落ちると脱出困難なローション地獄。滑り台では運よくブリーフロストを回避できたとしても、ローションの池から脱出しようとして盛大に転げまわる二段構えの罠である。


「山に入る前から滑り台の存在には気づいていた。まさかこれほど恐ろしいとは……」


「下にあるブルーシートの池は目立っていましたし、そこから伸びる何本モノ滑り台。まったく隠す気はない。誰がこんな目立つ滑り台に落ちるかと油断していました。まさか罠で引きずり込まれるなんて」


「罠だけじゃない。着ぐるみパジャマ先生の銃撃。足場を悪くするためにばら撒かれたローション。罠への誘導。全て計算づくのキリングゾーンだ」


 撮影スタッフがゆっくりと宙吊りの谷原ルーズソックスを下ろしていく。

 この時間帯はさすがに銃撃をしてこない。

 おっさんサバイバー達に訪れた休憩の時間だ。


『……想像以上にローションがえぐい。あー……えっと谷原ルーズソックス救助に時間がかかるため、しばしの間何台ものカメラで撮影したローション滑り台での山下り映像を三本続けてどうぞ! ローション池からの脱出編もあるそうです』


 島村専務残りブリーフ一枚。フェイスブリーフ有。

 谷原ルーズソックス残りブリーフ一枚。ローション塗れ

 中野ルーズソックス残りブリーフなし。ノーパン。

 佐伯メタボ腹残りブリーフ一枚。

 田中メタボ腹残りブリーフ一枚。ローション塗れ。

 松村メタボ腹残りブリーフ一枚。ローション塗れ

 桂木シックスパック残りブリーフ一枚。


―――――――――


「ぷっ……これ冷静に考えたらダメでしょ。ローションと山の斜面はダメでしょ。スピード出すぎて完全に顔引きつっているし、ローション池で完全に目が死んでいるし、頭からローション塗れだし」


「ミサキさんに聞いたけど、現場でもサイレントローションは問題になったんだって」


「サイレントローション?」


「スネアよりも恐ろしい滑り板の恐怖。滑り台のブルーシート上のローションはまだいい。でもウレタンシート置いてローション撒いて葉っぱで隠す罠は山の中では危険過ぎるって」


「……そうだね」


「あと一度ローション池に落ちるとシャワールームが必要だとか。ブリーフチェンジしても身体中がローション塗れで転げまわることになるから」


「反省点多いね。まさか第二弾企画されているの?」


「おっさんサバイバー第二弾の話は知らない。あったとして山を舞台にはしないって。ただこの実験企画の経験を活かして、配信用に真っ当なサバイバルゲーム企画は準備している話は聞いてる。もちろんローションはなし」


「これ……実験企画なんだ?」


「動きのある映像や構図の撮影経験とサンプルを取りたかったとか。そんなことよりついに最終対決だよ」


―――――――――


 山小屋はすでに見えるところまで来ている。

 山小屋の入り口前にはすでに見慣れたブルーシートのローション池。

 そしてその前に着ぐるみパジャマ先生が待ち構えていた。顔にはひょっとこの仮面。着ぐるみパジャマはウリボー柄だ。


「よくここまで辿り着きましたね。島村専務とローション塗れの愉快な仲間たち」


「出迎えご苦労と言ったところか。途中で銃撃を止めたのは演出かな? 着ぐるみパジャマ先生」


「ええ……隠れて狙撃するのが基本。けれど、あのまま殲滅させてしまっては私がカメラに映れないことに気づきました」


「まるでいつでも殲滅できたと言わんばかりだな」


「できましたね。全てローションのおかげ。ローションの可能性を私を含めスタッフの誰も理解していなかった。こういうゲームでは銃よりもローションの方が強い。最初はこの辺り一体にブルーシートを敷いてローションを撒き、私だけは安全圏から狙撃するつもりでした」


「くっ……恐ろしいことを」


『攻略させる気ないですよね?』


「さすがにスタッフに止められました。難攻不落過ぎると」


「この企画のスタッフに理性があったのか」


『その言葉に完全に同意します。理性ないんですか? 特にその服装について』


「最後くらいは真面目に銃撃戦をしましょう。どうせあなた達は突破できません。山小屋前に仕掛けられたローション池と巨大扇風機のセット攻撃を」


『さらっと難攻不落の布陣が敷いている……それ絶対バラエティ的に突破できないですよね』


「谷原ルーズソックスと桂木シックスパック。お前らは先に行け。そしてローション池と巨大扇風機のセットを突破してこい。私とメタボ三連星は着ぐるみパジャマ先生をここで倒す。……この方には人数を割いても無駄だろうからな」


「「はい!」」


「二手に分かれますか。いいでしょう。あの二人がどのようにローション池と巨大扇風機のセット攻撃を攻略するのか。仕掛けた私も真面目に攻略法を知りたい」


 谷原ルーズソックスと桂木シックスパックの二人が着ぐるみパジャマ先生の横を通り過ぎる。

 そして着ぐるみパジャマ先生と対峙するのは島村専務とメタボ三連星。


「さて始めようか。メタボ三連星……ノーパンになってくれるか?」


「「「……はい」」」


「済まないな……いつもの頼む」


『設定のせいで会話が酷い』


「準備はできたようですね。この距離です。私が四人を撃つには十分ですよ」


 メタボ三連星が身を低くして一斉に走り出す。

 その姿は三位一体。同じ女子高生のセーラー服。メタボ腹でへそ丸出し。全員が腰痛持ち。無呼吸症候群について真剣に考えている。

 そんな彼らが重なり合うように一直線に走り出した。


「これはまさか!?」


「「「メタボストリームアタック!」」」


「ただの突進じゃないですか!」


 着ぐるみパジャマ先生の銃弾は正確無比に佐伯メタボ腹をピンク色に染め上げる。


「佐伯メタボ腹ブリーフロストッ! ブリーフオールロストッ! 佐伯メタボ腹はノーパンにより退場!」


 佐伯メタボ腹が即座に右に倒れて、その後ろから田中メタボ腹が現れる。

 距離まだ遠い。

 その田中メタボ腹の顔にすぐにペイント弾が直撃した。


「田中メタボ腹ブリーフロストッ! ブリーフオールロストッ! 田中メタボ腹はノーパンにより退場!」


 田中メタボ腹が即座に左に倒れて、その後ろから松村メタボ腹が現れ……ない!


「いない! どこに!?」


 着ぐるみパジャマ先生が辺りを見回す。

 島村専務が叫んだ。


「今だ! やれ! 谷原ルーズソックス! 桂木シックスパック!」


「なっ!? いくらなんでもそれはズルい!」


 慌てて着ぐるみパジャマ先生が山小屋の方を振り向く。

 山小屋前でローション池の中。巨大扇風機の風を受けて盛大に転倒する二人の姿が見えた。

 二人の転倒により審判の声が響く。


「谷原ルーズソックスブリーフロストッ! 桂木シックスパックブリーフロストッ! 両者ブリーフオールロストッ! ノーパンにより退場!」


「しまったっ!」


 騙し討ちを装った虚言。

 完全に虚を突かれた形になった着ぐるみパジャマ先生が向き直ると、松村メタボ腹が突進してきていた。田中メタボ腹と同時に倒れて死んだふりをしていたようだ。

 けれどまだ距離がある。

 苦し紛れの松村メタボ腹の銃撃を軽く避けて、着ぐるみパジャマ先生の放つペイント弾が松村メタボ腹の顔をピンク色に染める。


「この程度で……なにっ!?」


「もらったぁっ!?」


 松村メタボ腹が前のめりに倒れる。

 その後ろから島村専務が迫っていた。その島村専務が袋を投擲して、着ぐるみパジャマ先生にペイント弾を放つ。


「甘いです!」


 銃弾は外れる。着ぐるみパジャマ先生には当たらない。着ぐるみパジャマ先生が撃ち返したペイント弾だけが島村専務に当たった。

 同時に着ぐるみパジャマ先生の頭に島村専務が投擲した袋が落ちてきた。


「これは……?」


 中身はローションだった。

 ペイント弾ではない。ローションなので本来ならば着ぐるみパジャマ先生は失格にはならない。

 だから着ぐるみパジャマ先生も投擲物を無視して島村専務を倒すことに集中したのだが。


『……着ぐるみパジャマ先生がピンクに染まった』


 元はばら撒かれていた透明なローション。

 そこにペイント弾が撃ち込まれてピンクローションにされていたのだ。

 ピンクローションが着ぐるみパジャマ先生をピンクに染め上げている。


「島村専務ブリーフロストッ! 島村専務ブリーフオールロストッ! 着ぐるみパジャマ先生は……?」


 審判も戸惑っている。

 ペイント弾での銃撃ではない。

 この場合の判定がどうなるのかルールがわかっていない。


「ははは! 私の負けでいいよ。戦場で敵の投擲物を無視するなんてあってはいけない。ゲームだから。手りゅう弾がないから。投擲物は大丈夫。……なんて甘い判断が招いた結果さ。受け入れよう! 私の負けを!」


「着ぐるみパジャマ先生着ぐるみパジャマロスト! 素寒貧により退場!」


 戦いは終わった。

 全てを失って戦う相手がいなくなった。

 動く者はただ一人。

 島村専務が手をあげて申請する。


「フェイスブリーフの使用を申請する!」


「島村専務ブリーフチェンジを認めます」


 何度かお世話になったカーテンのみの着替えルームが運ばれてくる。

 島村専務はおもむろに顔面に着けていたブリーフを外し、スカートの中に着用した。


「行くんだね……素顔を晒してでも」


「ああ」


「ローション池と巨大扇風機の攻略は?」


「……谷原ルーズソックスと桂木シックスパックがなぜ立ったまま挑んだかわからないんだが。スカートが捲れないよう足を折りたたみ、風の影響を受けないように頭を下げて、ローションの中を滑って移動すればいいのではないか?」


「その体勢はまさか!?」


「わかるか?」


「ジャパニーズ土下座スタイル! あれは身体が柔軟なアジア人以外にはなかなか難しい……少なくとも私には無理だ」


「そうか」


 島村専務は行く。

 ローション池と巨大扇風機に挑む。

 絵面が相変わらず酷い。

 セーラー服のおっさんの土下座しながら手をバタバタさせてローションの池を滑り渡る。

 無事に山小屋の入り口まで辿り着いた。

 そして着ぐるみパジャマ先生と他のおっさんサバイバー達が見守る中、山小屋のドアノブに手をかけた。

 その後ろ姿は誇り高さまで感じられる。


「七海ミサキ君! 君を助けに――」


「ひっ!」


 ――バンッ


 と島村専務の顔面に七海ミサキの銃弾が突き刺さった。

 牢屋は部屋の奥。

 格子越し。

 割と距離はあるし、障害物もある。

 それは見事なヘッドショットだった。


「島村専務ブリーフロストッ! 島村専務ブリーフオールロストッ! 島村専務ノーパンにより退場!」


 審判の声が空しく響き渡る。

 フラッグ救助失敗。

 おっさんサバイバー全滅。

 敗北が決定した。


『ごめんなさい。想像以上に……想像以上にモニター越しではない全身ローション塗れでテカテカしている女子高生セーラー服の姿の男性が無理でした』


「いや……仕方がない。実際の救助でも対象が錯乱していることを考慮していなければならなかった」


―――――――――


「酷い……ぷっ……酷すぎる……頭からローション塗れで女装したおじさんの救助はそりゃあ嫌だ」


「ぷっ」


「あっ! 今うたちゃん笑ったよね! うたちゃんも笑った!」


「……笑ってない」


「嘘はダメだよ。うたちゃん」


「少しだけで笑った」


「よろしい!」


 どうやら私も異次元に少し取り込まれてしまったこと認めなければいけないようだ。

 でも少しだけ覗き見たぐらいである。



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