第106話 結家詠と真宵アリス

「うたちゃん。答えは見つかったの?」


 ねこ姉が心配そうにこちらを見ている。

 最近私が悩んでいたせいだろう。楽しい食卓にも迷惑をかけている。

 いい加減答えを出そう。


「うん。やっぱりゴーヤーはシンプルにさっと炒めるのが一番いいと思う。あと邪道かもしれないけど、私はゴーヤーチャンプルーよりもソーメンチャンプルーにゴーヤーを入れる方が好き」


「……私もゴーヤー入りのソーメンチャンプルーの方が好きだけど、今その話はしてないからね」


「ん?」


「ここで可愛らしく首を傾げられても……。確かにうたちゃんのご実家の家庭菜園でゴーヤーが獲れ過ぎちゃった問題で我が家の食卓も連日ゴーヤー料理だよ。うたちゃんが調理方法で悩んでいたのも気づいていたよ。だけど、配信前にわざわざゴーヤーについての質問はしないでしょ」


「最近の一番の悩みが『調理方法は色々あるけどゴーヤーはさっと炒めるのが一番美味しいんじゃないか問題』だったから」


「うたちゃんがゴーヤー片手に物思い耽る姿は見ていたよ。でも本当にゴーヤーのことで悩んでいた事実にねこ姉は今すごーく驚いています。他に色々あったでしょ? 他の三期生とキャンプに行ってスランプは脱出できた。でもそのあとも悩んでいたじゃない。ゴーヤーが送られてくる前から」


 ゴーヤーが送られてくる前。

 歌のレコーディングやアフレコなど配信以外でも忙しかった。

 色々と悩んでいたと思う。

 私と同じく忙しくなったマネージャーのお酒の量が増えたのも悩みだ。カレン先輩化だけは防がないといけない。けれど、それはそのお酒に付き合っているねこ姉が一番痛感しているはずだから私から言うことではない。

 他になにかあったかな。

 ねこ姉が気にしそうな悩み。


「あっ! それならつい先日結果が出たよ。私は一体誰? みたいなレゾンデートルについて少し考えていただけ」


「想像以上! 想像以上に哲学的だった! レゾンデートルで悩んでいたの!? しかも解決したの!? あれって人生をかけて悩み続けるような問題じゃないの!? 明らかにゴーヤー問題より重い悩みだよね?」


「レゾンデートルの答えは出てないよ? 少し深淵に歩み寄れただけで。私は結家詠であり、真宵アリスである。他の誰かになれるかもしれないが、私以外にはなれない的な?」


「その回答がなんかもう深い! どうしよ……ねこ姉は想像以上のうたちゃんの成長に胃が痛くなってきた」


「連日のゴーヤーの食べ過ぎかも。一応量は調整していたけど、ゴーヤーは栄養が豊富過ぎて過剰摂取すると胃痛の原因になるらしいから」


「……たぶんゴーヤーが原因ではないけど胃薬飲んでおくね」


 ねこ姉はそう言ってテーブルに突っ伏してしまった。

 もしかしたら勘違いさせてしまったかもしれない。レゾンデートルの答えなんか出るはずないのだ。少し歩み寄れただけで深淵を見ることはかなわない。

 ねこ姉も言った通りレゾンデートルは人生の命題なので答えは出ないだろう。

 ただ気になることがあったので少し実験をしてみた。

 その結果として納得できる答えが出た。

 レゾンデートルの答えとは程遠いだろうが、満足できたので実験は成功だ。


 私の名前は結家詠。

 けれど別の名前で呼ばれることの方が多くなった。


(『真宵アリス』と)


 結家詠にとっての真宵アリスはどのような存在だろうか。

 演じているだけの役か。それとも頭の中にいるもう一人の私か。

 自分らしさを見失ったときも考えた。

 セツにゃんに説かれて自分らしさの答えは見つけた。

 けれど見つけた答えはどちらの自分らしさだろう。


(結家詠は両親とねこ姉以外から呼ばれることのない名前になった。別に結家詠の名前を誇示したいわけではない。望んで外との接触を断ち、引きこもっている。知らない人から呼ばれても無視する自信がある)


 私の見つけ出した自分らしさはおそらく真宵アリスのモノだ。

 結家詠はそれほどサービス精神旺盛な人間ではない。

 問題が起こらなければ家で引きこもってダラダラしたいのが結家詠だ。

 VTuberとして配信を始めたきっかけも、これ以上ネット冤罪やデジタルタトゥーに悩まされたくなかったから。解決方法を見つけたと思ったから動き出しただけ。

 配信は楽しいが真宵アリスをインストールしなければ無理だ。

 結家詠でしたいとは思わない。


(セツにゃんは自分らしさとは自分の理想の姿だと言った)


 多くの人が私を真宵アリスだと認識している。

 結家詠にとっての真宵アリスは配信用の自分だった。

 そのために構築した。

 今では配信以外の仕事もしているが、真宵アリスに求められた仕事なので個人的に矛盾はない。

 真宵アリスの自分らしさとは収益化配信時の真宵アリスだと再認識しただけ。

 そのおかげでスランプは脱出できた。


 けれど、もしかしたら私は真宵アリスのようになりたかったのかもしれない。

 潜在的な願望。

 真宵アリスこそが私の理想の姿で、私がそれを認められていないだけなのでは?

 そんな疑問が浮かんできた。


(お仕事大変だからオンとオフはきっちりしたいです……)


 これだけはわかる。

 真宵アリスは多忙だ。

 だから理想の自分ではないと思う。

 真宵アリスを否定はしたくない。

 けれど断言できてしまう。


(忙しいのは理想とは程遠い!)


 事務所所属でお仕事はあるし、応援してくれるリスナーも裏切れない。

 色々な期待と責任を負ってしまっている。

 配信を続けたいと望んだのは私自身。

 納得しているが、理想の自分との認識には違和感しかない。


 目立ちたくない。

 結家詠は承認欲求も乏しい。面倒ごとを避けてきた。その結果として引きこもった。

 そんな結家詠の理想が真宵アリスというのは違うと思うのだ。


(私にとって真宵アリスがどのような存在かわからなくなった。だから実験した)


 天依スイで活動してみた。

 名前と姿を変えたもう一人を作り出した。

 違うアバターを用いているだけ。

 私にとって真宵アリスと天依スイは同列のはずだ。

 ただ役と設定に従って演技している。

 アニメのキャラクターになりきってアフレコしていた時と変わらない。

 そのはずだった。


(……でも違った)


 天依スイについてはマネージャーとも話し合っていた。

 ありがたいことに天依スイは周りから声優として高い評価を得た。

 真宵アリスと天依スイが同一人物と発表しない選択もあった。

 配信と歌手活動は真宵アリス。

 声優活動は天依スイ。

 今後も役割で名前を使い分けることができたのだ。


(でもこれ以上天依スイとして活動することは許されないと判断した)


 だから私は第七話のエンディングクレジットで発表することにした。

 天依スイとしての活動は成功した。

 とても注目が集まっている。

 それなのに思ってしまったのだ。


(真宵アリスでしたとバラしたらみんな驚いてくれるかな?)


 なんて真宵アリス本位の思考だろう。

 結果として天依スイはいなくなる。

 それなのに天依スイを真宵アリスのために使い捨てる考えが自然と浮かんでいた。

 天依スイを応援してくれる人にとても失礼な考えだ。

 だからプレシア教官の死とともに天依スイも早期退場させなくてはいけなかった。

 いつの間にか私の中で天依スイは真宵アリスの付属品となっていた。

 それなのに正体を隠して活動するのは、天依スイを好きになってくれた人への裏切りのように思えた。


(私にとって真宵アリスは特別な存在であることは間違いない。いつの間にか特別になっていた)


 その結果が出たので今はもう悩んでいない。

 結家詠にとっての真宵アリスは理想の自分ではないし、自分らしさとも思えない。

 しかし、すでに真宵アリスは役を演じている範疇ではなくなっていたのだ。

 その確信を得ることができた。


 私は結家詠であり、真宵アリスである。

 真宵アリスと天依スイは同一人物である。

 けれど結家詠にとっての天依スイは役の一つでしかない。

 自分を天依スイだと認識できなかった。真宵アリスから派生した役として認識した。

 どうして真宵アリスと天依スイで異なったのかはわからない。

 結家詠にとって真宵アリスは特別なもう一人の自分だ。

 もう結家詠と真宵アリスを切り離して考えることはできない。


(答えは出た。これ以上悩んでも無駄だから考えない)


 私は私を受け入れる。

 結家詠真宵アリスらしく配信に臨む。

 ただ皆で楽しめるように。

 真宵アリスは理想ではないが、私の思想からは外れていない。

 調べてみるとアバターは本来そういう意味らしい。

 私は私である。

 他の誰でもない。


アバター思想の体現者真宵アリスをインストール」


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