第86話 真宵アリスのスランプ脱出会議③

 ミサキさんは「うーん」と首を傾げながら考え込む。

 そして苦笑いを浮かべた。


「私は自分のことが好きか嫌いかをあまり考えたことがなかったかな」


「考えたことがない?」


「うん。だからたぶん自分のことが好きなんだろうね。悩んだことがないってことだから」


 私とは真逆だ。

 ずっと自分のダメなところを思い浮かべて悩んでしまう。言動に後悔して引きずってしまう。

 そしてそんな自分が嫌いになっていく。


「私は高校卒業まで陸上をずっと頑張っていたんだよね。どれだけ打ち込んでも結果は出なかった。途中から上を見るのも諦めていたと思う。それでも真剣に続けたのは『自分は最後までやり抜いたんだ』という自己満足を得たかったから。情けない話だけどね」


「そう? なにか一つのこと打ち込んでやり抜くことはカッコいいと思うけど」


「ありがとうリズ姉。たぶん当時は自分でもそう思っていた。自分は高校生活で陸上をやり抜いた。その功績が欲しかった。そう誰かに誇りたかった。でもそれって凄く打算的だよね」


「打算的って……そんな卑下しなくてもいいでしょうに」


「かもね。ただ陸上をやめて、大学に進学して、普通の大学生活を始めた。すると凄く空しくなってね。自分はなにをやっているんだろ? なにをやりたいんだろ? 陸上をやっているとき『やり続ける』ことに意味を見出していたから悩まなかった。本当にやりたいことなんてない。必死に走っている間は余計なことを考えなかった。だから続けることができたのかもしれない。そのことに気づいたら急に全てが空虚になってね」


「そういうのを燃え尽き症候群って言うんだっけ?」


「んー確かに燃え尽きていたんだろうね。集団の中にいると空虚さが広がる一方でさ。とにかく一人になりたくて始めたのがソロキャンプや釣りだった。星を見たり、焚き火を見たり、釣り糸を垂らしたり。心が落ち着くイメージがあったから。きっと自分探しの旅のつもりだった。……すぐに飽きたけど」


「すぐに飽きたの!?」


「飽きる! 釣りはやっぱり釣れたときが面白い。釣り糸を垂らすだけだと虚無感が凄いよ。絶対に釣ってやると試行錯誤を始めてようやく楽しめた。ソロキャンプも同じ。自分で試行錯誤して、ようやく面白いと思えた。よく『何時間でも見ていられる』なんて言われるけど、夜の星も焚き火も長くて三十分が限度。星や炎を見ても自分なんか見つからない。退屈を紛らわせるために色々やりたくなるわけ」


「……のんびり自由なアウトドアに憧れていたけど現実はそんなものなのね」


「当たり前と言えば当たり前の話ですね」


「炎を見ていたら目が疲れる。星をずっと見上げていたら首が疲れる。寝転びながらなら家のお布団でぬくぬくしたい」


 やはり悟りを開くのは難しいらしい。

 ミサキさんは悟りを開きたかったわけではなく自分を探し求めていたみたいだけど。


「さすがアリスちゃん。家で寝ているのが最強なのは同意だね。でも野外という不便な環境を快適に調えて一人で本を読んだり、ラジオを聞いたり、動画を見たり。そんな贅沢も面白いよ。真冬に暖房つけてアイスクリームを食べるような謎の背徳感があるから」


「……背徳のアイスクリーム。今ようやくソロキャンプの魅力が分かった気がする」


「そこでなの!? 他にもっと色々あるよね」


「虫嫌い。なぜ虫の多い山で寝泊まりしなければいけないのかわからない。それに釣りは餌から無理。川も海も虫が多い。……特にフナムシはダメだと思う。あれはダメ」


「人には相いれないものがありますよね。瞳のハイライトが消えたアリスさんも可愛いです」


「ぷっ……ふははは。フナムシを出されたらこれ以上はアウトドアの話はできないね。まあ一人で好き勝手アウトドアするのは楽しい趣味になったわけだけど、自分探しの旅は失敗したわけ。それで次はなにやろうと思ったときにずっと見ていたVTuberの動画の影響だろうね。今度は発信者になりたくなったんだよ」


「発信者? 配信者じゃなくて?」


「別に配信がやりたいわけではなかったかな。ただ誰かに発信したかっただけ。インターネットの向こう側で誰かが楽しそうなことをしている。今の自分は受け取るだけ。受信するだけで発信してない。このままだといずれ自分の中が満杯になって飽きてしまう気がしてね。それに自分から発信することで、閉塞感のある今が変わるかもしれない。そう思って虹色ボイスにたどり着いた」


「だから発信ね。それでVTuberになってからなにか変わった? 自分は見つかったの?」


 リズ姉の質問にミサキさんが遠い目をした。

 テントの向こう側に広がる空に憧れる瞳だ。

 なぜか哀愁が漂っている。


「それがデビューしてから忙しくてね。自分探しの旅をしていたのも今日久しぶりに思い出したぐらい」


「ミサキさん本当に忙しそうにしていたからね」


「……本当にVTuberがこんな忙しいとは思っていなかった。覚えることが山のようにある。動画のプランを作って、専門家の人に習っていざ収録。すると『ここが間違っている』『誤解を招く』『わかりにくい』『説明的になり過ぎて面白くない』『もっと簡素に』『中身がない』『途中で飽きる』とダメ出しのオンパレード。何度も撮り直して、ようやく合格を貰って投稿したら動画の成否を確認せずに次の動画の準備して――」


「ストップ! ミサキさん今度泊りがけで呑もう! ストリーマー型も大変だけど動画投稿型も大変なのはよくわかったから! これ以上つらいことを振り返らなくていいから!」


「知識学習系のレクチャー動画。それも初心者向けでわかりやすく制作するのは特に難しいですよね」


「ミサキさんの動画わかりやすくて好きだよ」


「……皆ありがとう。リズ姉今度本当に呑もうね。結局私は自分探しに失敗したまま自分らしさもわかっていないかな。ただ余計なことを考えないのは充実している証拠かな。今が凄く楽しいよ。自分から発信して反響があるのも嬉しいし」


「なんだかんだ言っても充実はしているわよね」


「そうだね。それにアリスちゃん」


「なんです?」


「色々大変なアリスちゃんには悪いけど、実は今日も凄く楽しんでる。三期生仲間とのイベントってだけじゃなくてね。スランプのアリスちゃんを救うぞ、とこんな風に仲間で集まってさ。改めて自分を見つめ直す機会ももらって」


「いえいえ気にしないでください。相談に乗ってもらっているのは私ですし、深刻で暗い雰囲気になるよりよほどいいです」


「ならよかった」


 ミサキさんはニコリと笑ったあと、組んだ手を突き上げて大きく上体を伸ばした。

 話し疲れたのだろう。

 第一印象は体育会系のアウトドアなお姉さん。苦手意識が少しあった。しかし接しているうちに飄々として掴みどころがない猫のような人だとわかってきた。

 自分の意見を他人に押し付けたりしない。動画でも上から目線で『このやり方が絶対に正しい』という見せ方は絶対にしない。提案形式で楽しそうに進めていく。

 だから見ていて飽きないし、疲れない。

 それが人気の秘訣なのかもしれない。


「それで最後はセツナちゃんの番でいいのかな?」


「そうですね。私が皆さんに自分らしさというモノを教えて差し上げます!」


「自信満々だね」


「満々ですよ。だって私は自分が……氷室さくらが大嫌いですから」


「……えっ?」


 まさかの発言にミサキさんもリズ姉も目を見開いて驚いている。

 そんな中でセツにゃんは自信満々に胸を張っている。


「実は最近嫌いになるほど、自分を見つめ直したばかりです」


 ネガティブな発言とは裏腹にその表情はどこか誇らしげな笑顔だった。


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