第78話 かつてのライバルの転生に困惑しかない③_side雨宮ひかり
ディレクション会議は円滑に進んだ。
ディレクション会議といっても決定事項を聞くだけの演者向けの説明会だが。
内容は今回制作するアニメ『アームズ・ナイトギア』の方向性。
目指すべき完成形を制作陣と演者が共有する。
この意識合わせを最初にしておくのが重要だ。
経験豊富なベテラン声優ならば必要ないかもしれない。でも新人が多い現場では意識のズレが演技のズレに繋がってしまう。求められている演技は誇張されたものか自然体か。全体の作風はコメディかシリアスか。アニメーションの画風や配色に合う演技はどういうものか。
全体像を共有することで齟齬が修正できる。
もちろん顔合わせとスケジュール管理などの制作進行も大切だ。
大まかな説明が終わったところでアニメ総責任者の石館監督が立ち上がった。
今回は音響ディレクター兼任らしい。
「それじゃあ実際にスタジオ入りして演技を見せてもらおうか。もちろん事前に渡した台本は覚えてきてますよね」
今日は本収録ではない。
だからといって台本を覚えてこない共演者はいなかった。
このアニメは良くも悪くもすでに話題性がある。成功すれば次の仕事につながる。新人は一度のチャンスを物にしなければ次がない。だから必死だ。
スタジオブース入りして仮収録。
線画の粗いアニメーションに合わせて台本の流れにそって演技していく。
私は主人公のイリア役。
魔力適正が高いが制御ができず失敗ばかりの新人ナイト。前向きで頑張り屋。人類の敵アモーポスに故郷を襲われた戦災孤児。自分を救ってくれたナイトに憧れを抱いて軍に入隊する。
天性の明るさで周りを惹きつける典型的なヒロインだ。少なくとも序盤は。
物語後半の展開を考えて最初は明るく元気いいヒロインを強調した方がいいだろう。
両親を失った過去の闇はまだ必要ない。
叔父夫婦に預けている妹がいるので少しお姉さんぶった感じで。
『諦めなければなんとかなる!』
そのイリアの親友のティナ。
希少な常識人として控えめなツッコミ役。
感知能力が高く索敵役として部隊の要。だがその感知能力は諸刃の剣だった。日常生活に支障をきたすほどの感知能力はティナの心にトラウマを植え付ける。性格はいつもオドオドしたコミュ障。見た目もロリ美少女。
外見内面のイメージを考えれば真宵アリスが適役だ。これ以上ないほどにハマる。
けれどこの役は桜色セツナで決まっていた。
『う、うん? ……それはさすがに違うと思うよ?』
声優初挑戦の桜色セツナは上手かった。
演技から離れていたはずなのにちゃんと役を作り上げてきている。声も作り込んでいる。
昔よりも格段に演技が上手い。
子役時代よりも幼い演技が上手いってどういうことだ。
……不覚にも少し萌えた。
さすが原作人気ナンバーワンキャラだ。
問題は真宵アリス。
配信を見る限り演技力は問題ない。でも人前でちゃんと演技ができるのかは別だ。重度の人見知りなのは見ての通り。
それに台本を読む限り完全にミスキャストだ。
役名はプレシア教官。
希少な頼れる大人役であり、主人公が反発してしまうほど頼れない大人役である。
常にタバコを吸っているハスキーボイスで気だるげでやる気のない美人教官。
タバコなど全ての設定が伏線と言ってもいい難しい役どころだ。この役ぐらいは経験豊富なベテラン声優を充てるべきではないか。そう思うほどに難しい。
少なくとも声質も外見も全く異なる真宵アリスには縁遠い役のはずだった。
『ふはぁ〜……今年の新人はやる気あるね。とりあえずギア装着してグラウンド走ってこい』
その声はゾクリとするほどに作り込まれていた。
どうやったらこの見た目幼女からハスキー美女ボイスが出ているのか理解できない。目と耳の情報が合わなくて脳が混乱する。
私だけでない。演者もスタッフも驚きを隠せず目を見開いている。
それなのに石館監督だけが首を傾げている。
「うーん……なにかが違うな。もう一回やってみてくれる?」
監督に視線が集まる。
今までも軽い演技指導はあった。それは緊張で声が上ずっていたり、役のイメージと違っていた場合だ。
真宵アリスの演技は文句のつけようがないほど完璧に思えたのだが。
再び真宵アリスが口を開く。
先ほどは面白がるように。今度は無関心さを強調して。
同じ声音と台詞なのにこうも変わるのかと見せつけるように。
「悪くはない。でももう一回。思いつくままパターン変えてみてくれる?」
真宵アリスのリテイクは続く。
そのたびに声のトーンも高低も変える。よりハスキーに。次はクリアに。込められる感情も揶揄い。無関心。気だるさ。怒り。呆れと次々変化していく。
どれだけ声と演技の引き出しがあるのかわからない。
いつの間にか演者もスタッフも真宵アリスと石館監督のリテイクの応酬に聞き入っていた。
あまりに長いので真宵アリス以外の演者がブースから出されて休憩になる。
その間もブース内ではずっとマンツーマン指導が続いていた。
私は思わず廊下のソファーに座る桜色セツナに声をかけた。
のほほんとした表情でドリンクを飲んでいる姿が気に入らない。
「さくら! ちょっといい!」
「なんですかひかりさん? あと今はセツナです。セツナもしくはセツにゃんと呼んでください」
「せ、セツにゃん? いや……ないわ……セツナって呼ばせてもらうわね。同じ事務所なんでしょ? あれを許していいの?」
「あれ? あー……この度は虹色ボイス所属の真宵アリスがご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そうじゃなくて! あの子の演技は完璧だったでしょ。それなのに何度もやり直させるなんて」
桜色セツナはきょとんとした表情で首を傾げた。
本当に予想外のことを言われたという表情だ。
「……なによ?」
「ひかりさんが変なことを言うから。演技の良し悪しを決めるのは監督ですよ。監督が気に入らなければやり直しです。子役時代もそうでしたよね」
「そうだけど! それはあまりに演技ができていない場合でしょ。真宵アリスの演技は上手かった。パターンが欲しくなったとしてもこんなに何回もリテイクを食らうのはおかしいでしょ」
「んー。でもそれを決めるのは監督ですし。それにアリスさんも嫌悪感を抱いてませんでしたから」
「え?」
「アリスさんは悪意に敏感です。石館監督は言葉通り『求めている演技となにかが違う』と要求しているだけ。だからアリスさんも申し訳なさそうにリテイクに挑んでます。もちろんアリスさんが嫌そうにしていたら話は別ですよ。石館監督が悪意を持ってリテイク連発しているならば私は役を降ろされようが断固として戦います。でもそうじゃないなら別にいいかと」
冷静に淡々と。それが客観的な事実だと言い切られた。
目の前にいるのは配信で残念な桜色セツナではない。
子役時代の氷室さくらだ。
なにが転生だ。やっぱり天才肌で現実主義者の性分は変わっていない。
そもそも私は最初から真宵アリスの演技に口を出す立場にない。
熱くなっていた心が徐々に冷めていく。
「つまりあれは正常な演技指導。だからなにも言うことはないということね」
「そうですね。あえて言及するならば」
「……するならば?」
「しょんぼりしているアリスさんが可愛い」
「結局そこなの!? 配信でも『アリスさん可愛い』を連呼して! あんたはそれしか言えなくなったのか!」
せっかく見直したのに。
気を抜いた後だったのでついツッコミを入れてしまった。
すぐに失言に気付く。
桜色セツナがソファーから立ち上がりすり寄ってきた。
そのまま私の手をギュッと握って、顔を近づけてくる。
近い。満開の笑みだ。
「配信見てくれているんですね! ありがとうございます。チャンネル登録はお済ですか? もちろんアリスさんの配信も見てくれているのですよね。私の配信を見て、アリスさんの配信を見ていないなんてあり得ません。見てないなら一緒に見ますか。いえ見ましょう」
「見ないわよ今は! ちゃんとアリス劇場のチャンネル登録はしているし、全ての配信を見ているからそんな笑顔で勧誘してくるな!」
「ふふーんありがとうございます。まさかあの雨宮ひかりさんが見てくれているなんて思いもしませんでした」
「……共演者だもの。ちゃんと相手の活動ぐらいチェックするわよ。こんなこと普通でしょ」
「それだけですか? では今からアリスさん語りでもご一緒に……って残念ながらおしまいみたいですね」
スタジオブースの方を見ると項垂れた真宵アリスが出てきた。
時計を確認する終了の予定時間が迫っている。
あの様子では監督からの合格は出なかったのだろう。
なにが悪かったのか私には理解できないが。
桜色セツナは私の手を離して真宵アリスに駆け寄る。かと思ったが、数歩踏み出しただけでこちらを振り向いた。
「昔馴染みの雨宮ひかりさんには忠告しておきます」
「忠告?」
「真宵アリスの評価をもう少し上げた方がいいですよ。その方がひかりさんのためです」
「なによいきなり。また意味のわからないことを」
「先ほどアリスさんの演技を完璧と言っていましたよね。私の意見は石館監督に近いです。今日のアリスさんの演技はダメでした。環境に慣れていないだけかもしれません。でも根本的にアリスさんの演技ができていません。ただ演技が上手いだけです。そんなアリスさんの演技を完璧と評価するなら、アリスさんへの理解が甘いとしか思えません」
「え?」
冗談で言っているわけではなさそうだ。
先ほどまでの笑顔はなく真剣な表情を浮かべる桜色セツナ……いやこれはやっぱり氷室さくらだ。
過去に私が思い描いていたライバルの氷室さくらがそのまま成長していたら。
そんなことを想起してしまうほどに異なる雰囲気をまとっている。
私が演技の天才と憧れた氷室さくらがそこにいた。
「アリスさんなら大丈夫です。すぐに自分の演技を取り戻します。そのときひかりさんは自分の演技ができますか?」
「なっ……当たり前でしょ!」
「それならいいです。アリスさんの暴走に巻き込まれて、勝手に踏みつぶされたりしないでくださいね。共演者を潰したとなると、アリスさんが今後演技することをためらってしまいますから。羨ましいことにひかりさんの役はアリスさんと絡むこと多いですし」
どこまでも真宵アリス本位の言葉。
呆気に取られてなにも言えない私を無視して、桜色セツナは今度こそ駆けだした。
そのまま真宵アリスに抱き着いて、振り回し始める。疲れているのだろう。真宵アリスはされるがままだ。
先ほどの氷室さくらは幻だったのか。
そう思うほどの変わり身の早さだ。
おかげで言葉の意味を問い返すことさえできなかった。
「……なんなのよ一体」
不満はある。
疑問もある。
過去の累積で言いたいことは山程ある。
でも飲み込んだ。私は喜んでいるのかもしれない。
だって笑顔を浮かべている自覚があるから。
かつてのライバルは転生して別人になっていた。その転生は大成功していたらしい。かなり強化されて戻ってきたようだ。こういうのを転生ボーナスとでも言うのだろうか。
正直ずるくないか?
やる気をなくし落ちぶれたライバルだと思っていた。
それなのにずっと演技に打ち込んできた私の方が呑まれた。
それに真宵アリスもいる。
忠告は素直に受け止めよう。
評価を上方修正して備えよう。
私も成長しなければ。
「ああ……この現場は楽しくなりそう」
なんとなく。
この作品が私の第四の転機になる気がした。
その答えを知るのは割と早いかもしれない。
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