第11話 ディスプレイの中と外②
ディスプレイの中はいつも輝いて見えていた。
それなのに今は陰っている。
虹色ボイス三期生VTuber真宵アリスの待機所。
待機人数は十万人に届こうかという勢いで増えている。すでに過去最高の同時接続者数を記録している。でも流れるコメントは固かった。
リスナーが期待ではなく緊張を抱いている。
:人多い
:今もっとも話題のVTuberの収益化記念だし
:ネット冤罪か
:社会問題
:今デビュー配信見返してみ
:当時のデビュー配信でも気圧されたのに今見返すとなんか泣けた
:どういう覚悟でVTuberになったのかとかそりゃ簡単には言えないわな
:まだ始まってもいないだろ
:「わたしは人間が怖い。リスナーの皆さんが怖い」
:「知っていますか? 数は力です。数は権力です。白も黒にしてしまえる暴力です」
:……重い
:デビュー配信でちゃんと匂わせてる
:高校中退って言ってたからイジメ被害者だとばかり
:そっちでも重い
:ネット冤罪だと俺らが加害者の可能性が
:こんな聞きたいけど聞きたくない配信は初めて
そんな光景から結家詠は逃げるように思考を逃避させた。
(これはやっちゃったかもしれない)
ディスプレイだけが光源の真っ暗な部屋。
天を仰いでも見慣れた天井しかない。
(もうこわくはない)
なにかをつかむように天井に向けて手を伸ばした。もちろんなにもつかめずグーとパーを繰り返す。
心の中にあるのは恐怖ではない。申し訳なさと後悔だ。
(逃げたい。でも逃げていいとは思わない)
そのままゆっくりと後ろに倒れ込む。ぽふんと柔らかいクッションが後頭部を包み込んだ。
(久しぶりにちゃんと寝れた)
手足をだらりと伸ばして、大の字に寝転がる。
少し気になったのでメイド服のしわは伸ばした。
(告白できればもう十分。それで満足できるはずだったのに)
デビュー配信とは対称的だ。光と影。ディスプレイの中と外。今から悲壮な告白をするはずの演者が、違うことで思い悩んでいるとは誰も思わない。光に照らされた場所以外は誰も見ることができないのだから。
仰向けのまま深く吸って長く吐く。普通の深呼吸だ。
今までどんな気持ちで配信していただろう。恐怖はもう消えている。だからゆっくりと繰り返す。心を無にして、デビューしてからの一か月を思い返す。どれくらいそうしていただろう。
顔を上げると部屋の明かりがついていた。
「うたちゃん大丈夫?」
目の前には見慣れたねこ姉が心配そうにこちらを見ていた。
「ねこ姉おはよう」
「うん。おはよう。なんか大丈夫そうだね」
上体を起こし、ディスプレイの時計に目を向ける。予想通り開始時刻までまだ二十分以上の時間があった。
「前回みたいにバズっていたから、心配で見に来たのに。のんきに寝ているし。これから一世一代の大勝負って感じじゃないよね」
「……うん。実はもう怖くないんだよね。前まであんなに身バレしたら人生終わりだ、って不安だったのに」
「そうなの?」
「前の雑談配信でね。ネット冤罪について口にしたら、なんか夜眠れるようになって。みんな真剣に私の発言を受け止めてくれて、もしも過去が暴かれても『アリスが言ってたネット冤罪ってこれか』と納得してくれるんじゃないかと思ったら。もう目的を果たしているって気づいて」
「そっか。みんながうたちゃんの言葉を聞こうとしてくれているもんね」
「でも違うんだよね。心に余裕ができたらわかったんだよ。こんな事態にしたいわけじゃない。申し訳ないことしているって」
ディスプレイが輝いていない。
集まっているリスナーは断罪を恐れるような、怖いもの見たさで集まっているような、義務感で集まっているようにさえ見える。
求めていた光景は本当にこれだったのか。
違う。そうじゃない。そうだったのかもしれないけど、今はこれじゃない。
「じゃあ普通の収益化記念配信にする? 目的が果たされているのなら、わざわざつらい過去を掘り返す必要もないよね」
「それはダメ」
否定の言葉は自然と出ていた。
別に無理して話す必要もない。目的を果たすだけならすでに終わっている。
けれど違う。宣言したのにしないのはリスナーへの裏切りだ。みんなが真剣に話を聞こうとしてくれている。なのに私が逃げてはいけない。過去を掘り返すことは別につらくはない。怖かったのは誰にも興味も持たれず無視されること。言葉が届かないこと。伝わらないこと。
多くの人の前で自分に張られた不名誉なレッテルを剥がし、世界を塗り替える。そんなことのためにVTuberになったのだ。今更そんなことでは迷わない。
じゃあなにが気に入らないのだろう。
答えは簡単だった。
せっかく集まってくれているリスナーが楽しそうじゃない。
(ここで逃げちゃダメだ。過去からも、リスナーからも、なによりVTuber真宵アリスからも逃げちゃダメ)
最初はネット冤罪を晴らすために始めた。
始めてみると楽しかった。リスナーが笑ってくれるのが嬉しかった。そして数の影響力だけを求めてデビューしたことが申し訳なくなった。
だからデビュー配信のときは『まだ早い』と言い訳して逃げた。すでに同時接続者の数は十分だったのに。
(向き合わないと。ちゃんとVTuberになるために)
自分が思い描いた分身は勢いで呑み込みリスナーを楽しませる存在だった。
「うたちゃんの目が据わった」
「ねこ姉って都合のいい女だよね」
「……うん。その唐突な暴言。うたちゃん暴走モードだね。ダメな方に振り切ったね」
「両親には配信で言ったけど、ねこ姉のことも尊敬しているし、愛してるよ」
「軽い! え……叔父さん叔母さんのときは号泣モノだったのに、私は暴言吐かれた後におまけのように告白されるの!? さすがのねこ姉も感情が追い付かなくて、まったく涙が出てこないよ」
ねこ姉が何か言っているが無視する。
学校で校長先生の話とか嫌いだった。真面目でシリアスな話をしてなにが面白いのか。そんなことをするためVTuberデビューしたんじゃない。宣言した以上は逃げ道なんてない。だとしても、つらく重いだけの過去告白など誰が好んで聞きたいものか。
私ならそんな配信から逃げて聞かない。みんな少し真面目過ぎるのではなかろうか。基本は逃げる。小動物のごとく逃げる。なに待機所で十万もの人が真面目な顔して待っているのだろう?
面白くなさそうなら逃げていいんだよ。
この頑張った一か月。
相変わらず引きこもって直接会話したのねこ姉とマネージャーの二人だけ。
コミュ障も人間嫌いも直っていないダメ人間のままだ。
しかし学んだことは多い。配信する以上はリスナーを楽しませるべきだ。笑顔でみんなとわいわい騒ぐのが楽しい。嬉しい。心が満たされていく。そんな当たり前のことを理解した。
不幸自慢して悲劇のヒロインを気取るなんて私にはキャパオーバーだ。十万人の前で話すことよりもきつい。コミュ障は同情されたいとすら思わない。
数の力を利用するためにVTuberになった。不純な動機だ。それでも楽しかった。見てくれる人に楽しんでほしいと思えるようになった。その想いが本当ならあとは走り切ればいい。
「The Show Must Go On。ショーマストゴーオンだよ、ねこ姉」
「うたちゃんの座右の銘だね。でも好き勝手に暴走する言い訳にはならないからね」
私にやれることなんて多くない。
最初からリスナーの反応や空気感を想定し、誘導し、勢いだけで押し切る。
結局これしかできることはない。
「ねこ姉。今日私は世界を塗り替えるよ。自分の身に降りかかった悲劇を喜劇に塗り替えてみせるから」
「待って! うたちゃんの波乱万丈な巻き込まれ体質は割と洒落にならない悲劇だからね。なぜそんな喜劇王みたいな宣言するの?」
「わたしの人生にシリアスはいらない。うん今からお風呂入ってくる!」
「え? えっ? うたちゃん! もう開始予定時刻まで二十分切ってるよ! せめてシャワーだよ!」
ねこ姉の背中を抜き去り、着替えのメイド服を持って脱衣場に直行する。恐怖におびえる時間はもう終わっている。
「なんか無駄に思い悩んだから汗かいた」
お涙頂戴な不幸話は必要ない。しわのついたメイド服を脱ぎ去り、熱めのシャワーを頭からかぶる。洗い場の鏡に写る無表情な自分の頬っぺたを伸ばす。
(この表情筋の死んだ引きこもりめ)
軽く流したあと、水気をふき取り、ドライヤーで乾かす。そしてリラックス効果を求めて淡く甘いコロンをつける。綺麗に折りたたまれた新しいメイド服を身にまとえば完成だ。
心機一転し、真宵アリスというキャラクターを演じるだけ。
すでに開始時間が迫っている。
「キャラクター真宵アリスをインストール」
急いで部屋に戻るともうねこ姉はいない。一か月間の試行錯誤で成長した真宵アリスというキャラクターは十万以上の人を集めるに至った。
引きこもりの結家詠にはできなかったことだ。結家詠の言葉なんか誰の耳にも届かないし、真剣に聞いてもらえなかった。
だからこれから楽しまないと。私も。リスナーも。全員で。
「お仕事モード起動」
怖くない。手慣れた手つきでマウスが動く。恐れも震えもない。思い悩むのはもう十分した。
あとはショーの幕を上げるだけ。
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