第34話 凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時だ!

 今、俺は東京行きの新幹線のぞみに乗っている。


 昼過ぎに小倉発の新幹線に乗り、夕方には東京に着く予定である。


 サラリーマン時分にはよく新幹線に乗り東京に出張していたものだが、漁師となり船とは違う乗り物により移動するのは久方ぶりである。


 娘の結婚式に出席するため東京に向かっている。


 息子が自殺する前、その息子に殴られお岩さんのように顔を腫らした娘が東京で結婚する。


 あの時、娘は、今俺が乗っている新幹線に乗り、藁を掴む想いにより東京に居る俺の元に向かっていた…


 時は確実に移り変わっている。


 変わってないのは俺の心のみであるかのような、複雑な心境により、新幹線のシートに座り、精神安定のための琥珀色の液体をラッパ飲みしている。


 あの悲劇から娘は、自力で立ち直った。


 兄の死が、彼女に何を与えたのか?


 それは迫害者からの確実な安堵か?


 紛れもない親族の死の悲しみか?


 俺には分からない。


 そして、新たな門出を迎える娘に、それを問うこともできない。


 過去は終わったもの。


 今更、振り返り、確かめて何になるのか!


「黒い影」の言うとおり、俺は過去の確信に触れることをタブーとし、この移動時間の間、心の整理に努めている。


 そして、もう一つ、娘に申し訳なく思っていることがある。


 新婦の父として、肩書は必要ないとは言え、大会社の役員から一漁師として、この結婚式を迎えている。


 更に片手には杖を突き、びっこを引きながら、バージンロードを歩みざるを得ない。


 本当にごめんな…


 今、俺は究極の平行移動により東京に向かう新幹線の中で、ネガティブな気持ちを吐き出している。


 もう少し、俺の愚痴に付き合ってくれ。


 俺は俺の意思により会社、腐れ組織から足を洗った。


 それは決してネガティブなものではない。


 時が勿体ないと思ったからだ!


 この腐れた会社で俺は30年間、「逃げず」に我を通した。


 そして、遂に「我」が通じなくなった。


 俺はこの腐れた組織のみが俺の土俵ではないと感じた。


 俺の第二の人生の土俵、第二の労働の場所、俺は海を選択した。


 誰も助けてくれない、海という無限大の自然を相手に己を試す。


 だから、娘よ!


 お父さんは、決して落ちぶれてはいないんだよ!


 お父さんは、今、会社人の時より輝いているんだよ!


 お父さんは、漁師という仕事に誇りと希望を掴んだんだ!


 娘よ!


 お前にそれだけは、感じて欲しい。


 お父さんの未知なる強豪に抗う戦闘的な本質が表出された、決してボロ雑巾ではない、新兵たる意気揚々とした意気込みを感じて欲しい。


「凧は一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。」


 ウィストン・チャーチルの言葉である。


 正に今あるお父さんは、未知なる強豪に立ち向かっているのだ。


 腐れた組織に流されてはいないのだ。


 海という無限大の自然を相手にするのだ!


 娘よ!


 父は漁師として、高く舞い上がる!


 こんな高揚した気持ちを抱き、俺は東京に向かっている。


 俺は見たんだ。


 腐れた組織の余りにもお粗末な、その本質を…


 娘よ!


 お前には、その事は決して言わない、安心してくれ!


 お前を、もう、お父さんの、腐った会社組織の犠牲になんか!絶対にしないよ。


 お兄ちゃんみたいに、お前を失いたくないんだ。


 だからね…


 お父さんはね…


 勇気を持って、腐れ組織と闘い、そして、敗れ果て、そして、野に降ったんだ!


 新たな挑戦をするために!


 風に流されず、風に向かい


 そして、高く高く舞い上がり、新たな高地から己を見つめ、そして、お前を見つめるためにね。


 娘よ!


 新婦の父に娘に語る場面が仮に有るとしたなら、お父さんはこう語る。


「2人が付き合い始めた2年前の春。そして、その冬にコ○ナ禍が猛威を奮い出し、私達は先の見えない暗闇に迷い込んだ、そんな不安な日々を送っていた。


 そんな中、娘から結婚すると報告を受けました。


 それは、『希望の光』、そのもののように思えてなりませんでした。


 その時、私たちは、間違いなく闇夜に居た。


 真っ暗闇の世界。


 そこに光が差し込めた。


 汚れのない、純粋な『希望の光』。


 太陽が闇夜に最初に放つ『曙光』のように…


 私達に『希望』をくれた。


 本当にありがとう。」


 娘よ。


 お前には感謝しかない。


 お父さんが再び関門海峡を渡り、大阪に向かった2年前。


 お前はお前で、この日の幸せを掴もうと、同じ星の下、東京で息をしていた。


 兄貴の分までしていたのか…


 それは関係ないな。


 親のエゴだ。


 何も問題ない。


 お前には間違いなく、今という幸せがある。


 娘よ。


 お父さんが死んだら、お母さんから聞くかもしれない…


 お父さんの会社人生の最後の2年は、正に地獄絵図さながらであったことを…


 でもね。


 娘よ。


 お父さんは、最後まで戦ったよ!


 決して妥協せず、決して保身に走らず、決して狡猾にならず、決して自分を捨てず、決してお前ら家族を犠牲にすることなく、最後まで、己を突き通したよ!


 娘よ。


 結婚おめでとう。


 


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