第20話 神は天災を見せ示した。
息子が自殺して、49日の法要が済み、俺は九州支社の熊本支店に着任した。
家族は福岡市に残り、隣県ではあるが、俺は熊本市で単身赴任生活を継続した。
娘は変わらず、引きこもりで、高校も行けない状態であった。
2年間の東京生活は、俺に何の記憶も残さず、家族を1人失ったという事実のみが現実として刻印されただけであった。
ただし、俺の鬱病は家庭の不幸という餌を得たためか、その病状は、かなり悪化の進路を辿って行った。
薬と酒の生活
夜の徘徊
そして、暴力
加齢による成人病も加わり、日に三度、服用する薬の量は、1回に10種類を超え、食物を摂取せずに、俺の胃は満腹を感じることができた。
その頃から、度々、吐血するようになって言った。
コールタールのような赤紫のドロドロとした液体が水面台を彩った。
一度に吐く血の量は、かなり大量であったため、当然、貧血状態で、吐血後、2、3時間は頭がクラクラとしていた。
このことは妻にも内緒にしていた。
内緒にするというか、言っても仕方ないと思い、どうせ、人間ドックで引っ掛かり、妻も知ることになるだろうと思い、急いで教える必要はないと考えていた。
ましてや、妻も娘も、息子の死から立ち直っておらず、俺の吐血など、言ってもしょうがないことだったが…
こうして、最悪の心身状態で、熊本の仕事に就いたが、部署は不動産の営業であり、またしても、俺の仕事意欲は減退し、暇潰しに、会社に行くような感じであった。
処遇的には課長職に昇任し、一応、東京帰りの栄転ではあったが、この人事を会社上層部がどう考えて行ったかは、謎であった。
多分、会社としては、東京三多摩支社で、俺が潰れる予定であったところ、それが頓挫したため、仕方なく、通常レールにて、九州に戻したものだと思われる。
俺も、この時は、息子の自殺が大きく心を支配していたことから、会社に対する憤りなど、湧く余地もなく、至って平然に年度当初の仕事を粛々とこなしていた。
その2週間後、4月14日、午後10時過ぎ、あの熊本地震の1発目が勃発した。
その時、俺は社宅の布団の中に居た。
下から突き上げられる大きな揺れが何分間か続いた。
揺れが治まり、俺は部屋の電気を付けた。
部屋の壁にひびが走っていた。
俺は慌てて、会社に飛んで行った。
会社ビルは無事であり、多くの社員が駆けつけていた。
会社不動産の点検計画、社員の安否確認等がマニュアルどおりに開始され、その作業が朝まで続いた。
社員は全員無事であったが…
会社不動産のうち、益城町から熊本市北区までの物件はかなりの損害を被っていた。
4月15日、俺は部下2人を連れて、益城町の現場に入り、契約物件の修繕の要否をチェックして行った。
地震の規模は震度6強、熊本市では珍しく強い地震の発生であった。
そして、4月16日午前2時過ぎ、震度7弱の2回目の巨大地震が熊本を襲った。
俺はやはり部屋の中に居た。
布団に入って居たが、眠ってはおらず、息子の事を考えていた。
息子の最後の言葉
「お父さんの夢ばかり見る…」
息子はどんな夢を見ていたのか?
俺のどんな姿を夢で見ていたのか?
「お父さん、ごめんな…」
どうして、息子は俺に謝ったのか?
俺は夢の中で、息子に何をしたのか?
まさか、息子を怒鳴ったり、殴ったりしたのではないのか?
だから、息子は俺に謝ったのか?
神よ…
あんたは、どうして、いつも、いつも、肝心な箇所を俺に表出しないんだい?
神よ…
あんたは、そんなにも、あんたが創造した俺という人間が嫌いなのかい?
神よ…
おい!貴様は息子の夢に、俺をどう登場させたのか?
神よ…
息子を死に追いやるため、俺を息子の夢に登場させたのか!
俺は貴様を許さんぞ!
神よ!
もし、息子の夢を俺で操作したならば、俺は、お前を絶対に許さん!
覚悟せ!神よ!
この時、俺は神に対して怒り狂っていたのだ。
神は憤慨したのか…
とてつもない大きな地震を起こしやがった!
それも二度も強烈な奴を…
俺は大きな揺れが治るのを胸糞悪く待ち、それから部屋の電気を付けた。
天井の壁が一部崩落していた。
俺を殺さんかい!神よ!腐れがぁー!
俺は散乱した食器類を壁に投げつけ、神を威嚇した。
それが無駄な行動だと直に分かり、俺は社宅の外に出た。
西の方面の夜空がピンク色になっていた。
火災が起きているようであった。
俺は会社に向かって歩いて行った。
所々、自動販売機がひっくりかえり、パチパチと電磁波を花火のように醸し出していた。
通りの住宅のブロック塀は崩壊し、道幅の真ん中辺りまで瓦礫が積もっていた。
不思議と誰にも会わなかった。
不思議と街は静かであった。
俺は携帯電話を取り出した。
すると、携帯電話の充電量が少なくなっていたので、そんなはずはないと携帯電話を稼働させると、LINEの通知数が99+と表示されていた。
俺は慌てて、家に電話したが繋がらない。
俺はここで、事の重大さを痛感した。
この地震は尋常じゃない…
俺は財布の中身を確かめ、コンビニを探し、食料を買おうとしたが、どのコンビニもグッシャリと崩壊して、営業など出来ない状態であった。
歩んでも歩んでも、街は静かで、人っ子ひとり、見当たらない。
俺は得体の知れない恐怖を感じた。
これが神の怒りか!
くそぉっ!
俺は会社に向かうのをやめて、市役所に向かっていた。
川が見えてきた。
橋が崩壊していた。
俺は川岸に降りて、膝下しか深さのない川を歩いて渡った。
やがて、熊本市内の繁華街に辿り着いた。
ホテルのガラスが道路に散乱している。
マンションの二階が沈没し、一階駐車場の車を押しつぶしている。
電柱が折れて、電線から火花が走っている。
やっと、2、3人の人が歩いているのが見えた。
皆んな俺と同じ市役所に向かっているようであった。
正面に熊本城が見え始めた。
その時、俺は絶句した。
ピンク色の夜空に照らされた熊本城は、瓦が落ち果て、戦により落城した城のように、哀れな姿を露にしていた。
夜空をピンク色に染めるのは、20000戸の建物が崩壊した益城町の火災のせいであった。
俺は市役所に入って行った。
人生で初めての配給を受けるために…
誰に教わった訳でもなく、自然とここまでの行動が本能的に取られていた。
誰に教わることもなく…
皆んなそうであった。
天災に見舞われ、恐縮し、怖気付いた人々が、無言の民となり、長蛇の列を作り、パンと水の配給を受けていた。
口を開く者は誰一人として居なかった。
子供達は、市役所の床で人形のように横たわり、余震の続く中、おどおどしながら、頭を腕で押さえていた。
俺も長蛇の列に加わり、一歩、一歩、パンと水を貰うため、前に進んで行った。
ジリ、ジリっと、鎖で足首を繋がれた奴隷のように、ジリ、ジリっと、足を引き摺るように、配給の列は動いていた。
2時間程して、俺の手にパンと水が渡された。
俺はそれを抱えるように持ち、また、荒れ果てた熊本の街を、落ち葉が散乱した地面を蟻が縫うように歩き回るように、俺も瓦礫を縫うように歩いて行った。
社宅の近くに来ると、正面から太陽が顔を出し始めた。
何事も知らぬように、太陽は呑気に、又、この惨劇の空気を読まずに、辺りを照らし、惨状を露にして行った。
俺は愕然とした。
人工建築物が、悉く、崩壊していた。
何もかも、重力を持つものは落下していた。
俺は橋の落ちた川辺に腰を落とし、パンを一枚、食べた。
そして、自然に胸ポケットに指を滑らせ、いつものように煙草を探した。
運良く、いつものように煙草はそこにあった。
俺は太陽から目を離さず、恰も敵から、神から、死神から決して目を離さないよう、太陽光を睨みつけ、目が焦げるのも構わず、睨みつけ、煙草に火をつけた。
そして思った。
神よ!力を見せつけたつもりか!
自分しかできない事を見せつけたつもりか!
神よ!
やはり、お前は、息子の夢に、俺が好まない役柄として、俺を出したんだな!
俺にそれを怒られるのが、許せなかったのか?
おい!神!
俺に怒られるのが気に食わないから、力を見せつけたのか?
こらっ!神!
俺を怒らせるな!
この地獄は息子の居る地獄と同じか?
おい!神!
俺も息子の居る地獄に案内せ!
俺を早く殺せ!
俺は芯まで吸い上げた煙草を指で弾き、川に沈めた。
どうして、お前は、俺に謝ったのかい?
お父さんは、夢の中で、お前を叱ったりしたのかい?
謝るのはお父さんだよ。
ごめんね…
俺の頬に涙が流れ落ちた。
忘れかけていた、冷たい感触が、頬を駆け落ちた。
未曾有の天災は、俺に何の刺激も与えることはできなかった。
あの息子の振り返った、哀しい表情…
「お父さん、ごめんな…」
あの息子の声が、何度も何度も、俺の脳裏に木霊するだけであった。
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