Radio!!
ねむみ
Radio!! 前編
♪
沙夜『あー、あー、ただいまマイクのテスト中。本日は晴天なり。イッツ・ファイン・トゥデイ。聞こえますか? 問題ありませんか?』
瀬良『ちゃんと声は入ってるみたいだよー。始めていいんじゃないかな』
沙夜『オッケーオッケー。それでは始めさせていただきます。
時刻は九時を回りました。私と瀬良ちゃんによる最初で恐らく最後のラジオショー、タイムラインキャストを用いた一夜限りの特別企画。みんなお休み文化の日、当然ながら生放送でお送りしてまいります』
♪
世間では大勢の人間がSNSの海で泳ぐことを常としている。その中で、沙夜こと平井沙夜子が使っているSNSにおいて「そんな機能」があることを知ったのは偶然だった。
「タイムラインキャスト……?」
それは、SNSで繋がっている友達が使っていた機能だった。
ある晩、風呂上がりの沙夜子が頭をガシガシ拭きながらスマートフォンのSNSアプリを立ち上げると、ちょうど渋谷でやっていた街コンの様子が、その友達によってタイムラインに生放送で流されていた。どうやら「こんな空気感だよ」と報告するために載せているようだったが、はっきり言って画質もカメラワークも悪くてよくわからないと沙夜子は思った。
しかし、それとはまったく別に、この機能自体は興味深いものだと思った。映像や音声をリアルタイムで公の場にアップ出来るとは、さながらテレビ番組の生放送のようだ。
そのとき、沙夜子の頭の中でポンッとひらめきが弾けた。それはポップコーンのようにポコポコと立て続けに弾けて、あっという間に沙夜子の脳内をわくわくとどきどきで埋め尽くしてしまった。頭を覆っていたタオルの中で心臓の鼓動が反響しているようだ。
これは、ラジオ番組のようなものも流せるのではないか?
事前にSNS内でお便りなんかを募集して、それをもとに話を広げる。面白いことを言える自信はないが、相棒との対話形式にすれば部分部分で盛り上げることも出来るだろう。合間に音楽を流すのは――難しいかもしれないが、そこはリスナーたちに許してもらおうではないか。時間いっぱい話し続けるのは大変だろうが、前もって大まかな台本を用意しておけばきっと大丈夫だ。
風呂上がり如何に関係なく、身体が火照ってきた。気持ちがどうしようもなく高揚してきて、口元の緩みが抑えきれない。手にしているスマホから面白いものの気配をぷんぷん感じて、沙夜子はもうじっとしていられなかった。
急いでSNSアプリを閉じ、電話をかける。こんな面白そうなことに誘う相手は、沙夜子の中ではすでに決まっていた。
瀬良の本名は黒田星良という。セーラよりもセラのほうがかっこいいとのことでインターネットやSNSでは瀬良と名乗っているが、沙夜子的には本名のほうが小公女のようで可愛いと思う。
そんな小公女星良は、夜の十時半という非常識な時間に電話をかけてきた沙夜子を少しも咎めることなく(小公女のように寛大なわけではなく、単にまだまだ彼女の活動時間だった)友人の話に耳を傾けた。
興奮したまま早口で話し終えた沙夜子に対し、星良は時折相槌を打ち、最後に彼女らしい低めの声でこう言った。
「主導は沙夜さんね」
こうして沙夜子は唯一無二の相棒を手に入れたのだった。予想外の快諾であった。
♪
沙夜『えーというわけでですね。急にこんな一般人がタイムラインキャストなんぞ使ってラジオもどきを放送するってんで「どういうこったい」という方も多いかと思うんですけど』
瀬良『ほんとにね。恐らく私が一番そう感じたと思うんですけど』
沙夜『そうだねー唐突な話なのに付き合ってくれてありがと。リスナーの皆様も聞いててわかると思うんですけど、こちらの瀬良ちゃんは非常に心強い味方でしてね。私ひとりじゃこうやってラジオをやることなんて出来ませんでしたし、こんなにたくさんの人が聞いてくれることもなかったと思うんですね。ひとえに瀬良ちゃんの人望に感謝ですよ』
瀬良『褒めてないで進行して。ひとつめのコーナー行くよー』
沙夜『おっとごめんなさい。それじゃ行きますよ! まずはですね、お便りをたくさんいただいたこちらのお話ですね。多くの方の記憶にも新しいんじゃないでしょうか』
瀬良『本日、十一月三日は「文化の日」です。一九四六年に日本国憲法が公布された日ですね。なんでもこの憲法が日本の平和と文化を尊重しているから「文化の日」になったんだとか。でも、それだけじゃあないんですよ。ね、沙夜さん』
♪
翌日、授業が三限からしかない沙夜子は、朝九時から星良の1Kの部屋に威勢よく乗り込んだ。夜通し浮かれていた沙夜子はろくに眠れなかったが、それが逆にアドレナリンの分泌を促していたのだろう。後の星良は「目は輝いていたけれどその下の隈はどす黒かった」と語る。
ふたりはまずローデスクに肘をつき、ラジオで何のコーナーをやるかについて話し合った。が、これが想像以上に難航した。番組の長さは三十分ほどにしようと決めたのだが、すべてがお題フリーのお便りだと退屈しそうだ。それに、縛りがなさすぎるとリスナーもどういう内容を投稿すべきか迷うだろう。
「悩みを聞く……じゃ普通だよね。それこそお題フリーのお便りとして受け取ればいいよね」
沙夜子は頭をガシガシ掻きながら床に寝転がった。星良の部屋はきちっとしているので寝転んでもティッシュ箱の角が頭に突き刺さったりしない。ちなみに沙夜子の部屋では突き刺さる。
「自慢話とかは……日本人奥ゆかしいし、わざわざ投稿する人いなさそう」
「あのさあ」
思いつくままにポンポンと意見を口にする沙夜子とは対照的に、口元に手を当ててじっと考え込んでいた星良が口を開いた。
「決行日は、いつ?」
「……へ? いや、決めてないけど」
「決めて、今」
「ええー……」
ちらり、と星良のデスクに視線を投げる。加湿器の横でその存在を主張する卓上カレンダーには可愛らしい文字でOctoberと綴られていた。先週体育の日が過ぎて、これ以降は来月にならないと祝日がない。
「祝日がいいんじゃないかなーとは思うけど」
「どうして?」
「前もってみんなに宣伝する時にさ、『ラジオやります! 十一月三日、文化の日です!』って具合に言えば少しは憶えてもらえそうじゃない?」
「じゃあ十一月三日にすんのね」
「え……あ、うん」
意図せず決まった日程だが、沙夜子とて反論はなかった。準備期間はおよそ半月ということになる。よく知らないが充分だろう。
ちょっと待ってて。星良はそう言うとスマートフォンで何かを調べ始めた。程なくして、唐突に言い放つ。
「文具についての話題にしようよ」
「文具?」
特に何の脈絡もないように感じたが、星良はスマートフォンの画面を沙夜子の顔に突きつけて説明した。
「十一月三日は、東京都文具事務用品商業組合その他が正式に『文具の日』に指定しているの。ここに絡めてお便りを募集すればいいんじゃない? 文具の思い出って多そうだし。小学校の時に好きな男子に消しゴムもらったとか」
「ほう、もらったことあるんだ。未だに憶えてるの可愛いね」
急に座布団で殴られたが、テーマは無事に決定した。
「あと台本なんだけど……」
「それはお便りが集まらない限りはどうにもならないじゃん。お互いのアカウントで『お便り募集中!』って銘打って集めよう。沙夜さんは大学で友達から集めたっていい。内輪な話題は避けてね」
「瀬良ちゃんこそ引きこもってないで学校行けばいいのに」
口をとがらせるときつい目で睨まれたので、慌てて「わかったわかった」と鞄をつかむ。そろそろ出ないと三限が始まる前に講義室で昼食を食べる時間がなくなる。
「ちゃんとアカウントで募集かけてね! 瀬良ちゃんのほうが私よりフォロワー多いんだし! あといつものテンション低い感じの投稿じゃだめだからね!」
「うっさい早く行け」
口うるさく言ってくる沙夜子にうんざりした様子を見せながらも、星良はわざわざ玄関まで見送ってくれた。何だかんだいい人なのである。
数十分後、コンビニで調達した昼食を携えた沙夜子が三限の講義室に入ると、一年生の頃から仲良くしてくれている友人たち(当然SNSも繋がっている)が前方の席でおしゃべりしながらお弁当やらカップラーメンやらパスタサラダやらをパクついていた。
沙夜子が早足で近付くと「おはよー」と声をかけてくれるが、当の沙夜子は挨拶もそこそこに「ラジオやるんだけどさ!」と通路から机に身を乗り出した。彼女らはその勢いに一瞬ひるみさえ見せたが、すぐに「どゆこと?」と顔を見合わせ始めた。約一名など「FM? AM?」と質問してきたので、沙夜子は人差し指を立てて「SNS!」と言い放った。
「つーわけでさ、番組内で読むためのお便りが必要なんだ。内輪な話題はちょっと避けて、何か投稿してくれたら嬉しいな。文具についての話題と、あと何かお題フリーで」
文章として伝われば投稿の手段は問わないことを説明すると、友人たちは快く了承してくれた。実績も何もないようなラジオにおいてこういう友人たちの存在はありがたい。
「沙夜ちゃんひとりでやるの?」
「ううん、学外の相棒がひとり。とにかく、来月の文化の日にやろうと思ってるんだ。ぜひ聞いてね」
軽く宣伝してから、ようやく席に着く。昼休みが終了して授業が始まると、沙夜子は速攻で熟睡した。睡眠不足の皺寄せがやっと来たらしい。
「ほら」
五限が終わり、そのまま星良の部屋に直行すると、いきなり彼女から数枚のコピー用紙を鼻先に突きつけられた。思わず玄関の三和土で固まるが、星良はそんな沙夜子の手をぐいと取るとコピー用紙を握らせた。
「お昼から夕方までの間に届いた分。メールで来たから、ワードで三枚にまとめた」
「さっすが瀬良ちゃん、人望ある」
「もっと来るかと思ってたんだけどね」
靴を脱ぎながらぺらぺらと紙をめくる。指定されているから書きやすかったのか、文具についての話題がほとんどだ。
「『いつぞやはお世話になりました』……」
三枚目のコピー用紙の、上から二番目の投稿が目に留まる。ラジオの投稿にしては変わった挨拶だ。かと思えば、投稿者名が「あにけんの地縛霊」になっており、ああと納得する。
「それはうちの大学のアニメ制作研究会の人」
尋ねるより先に星良が言った。手にはのど飴の袋が握られており、無意識に視線を向けると「いる?」と差し出された。ありがたく頂戴する。
「それだけの投稿じゃ全然場を持たせられない。私と沙夜さんはドがつく素人なんだから、割かし面白い投稿を選り抜かないと話を続けられない。いいお便りを待つよ」
「は、はい」
どかりと床に座り込んだ星良に、沙夜子はのど飴の袋を開けながら首を傾げる。あれ、主導私じゃなかったけ?
しかし、相棒がやる気になってくれるのが嬉しくないわけがない。随分と頼りになるパートナーを手に入れたものだ、と沙夜子は胸を躍らせた。
「して、沙夜さんさあ」
同じくのど飴を舐めながら、星良はジトッと沙夜子を睨んだ。
「ラジオで流せる話し方はいつ訓練するので?」
「…………え?」
すっと背筋が寒くなる。この目はあれだ、いわゆる「ガチ勢」の目だ。否、沙夜子とてこの企画に対しては充分ガチ勢のつもりであったし、真摯に向き合っている、はずなのだが。
「素人がそんな早口で喋ってたら、機械越しでは全然内容がわかんない。活舌を根本からよくする、もしくはゆっくり話す。半月しかないんだから、後者で矯正するよ」
「え、えー……」
「あと、腹から声を出す。腹式呼吸ってわかる? 寝てる時には無意識には出来てるはずなんだ。ちょっと寝転がってみて」
星良が床を指差す。未だ立っていた沙夜子は、言われるがままに寝転がると、腹を意識するようにしてゆっくりと呼吸した。口の中ののど飴が少し気になったが、頬に収めて集中する。
「だめ。それじゃ肺呼吸だよ。寝転がってるのに苦しくないの? リラックスしてね」
腹に手を添えられて、思わずブハッと吹き出す。星良がすごい目で睨んできたが、くすぐったいのだからしょうがない。他人に腹を触られるのって我慢出来なくないか?
「沙夜さん」
「ハイすみません」
いつも以上に低い声で名前を呼ばれ、にわかに笑い声を収める。しかし、やはり腹を触られるのはくすぐったく、しかもこの状況を客観的に想像してみてしまった沙夜子がそう長いこと真面目なふりを続けることは難しかった。
「……ふひっ」
またひとつ、笑い声を漏らす。星良が「沙ー夜ーさーん?」と顔を覗き込むが、それすらも面白い。結果として再びけらけらと笑いだしてしまった沙夜子に、星良はとうとうぶち切れた。
「そんなに面白いならずっと笑ってろ! もう!」
そう叫んでから勢いよく沙夜子の脇腹をつかむ。あ、と命の危険を感じたが、沙夜子にとっては後の祭りだ。口の中ののど飴を笑って吐き出さないかだけが心配だった。
さんざっぱら沙夜子をくすぐった後、同じく笑い疲れた星良が「大声で笑ってる時は、だいたい腹式呼吸だからね」と呟き、それがまた沙夜子の笑いを誘った。箸が転がってもおかしい年頃というのは恐ろしいものである。
のど飴は、くすぐられてる最中に飲み込んでしまったらしく、口内のどこにも見当たらなかった。
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